萌え町紀行 ─ 2 上大岡

あなたは自分の萌え町をお持ちでしょうか。
それは初めて訪れてすばらしかった、などというのとは違い、一定期間そこに住んで、日々暮らし、季節折々の変化を肌で感じ、日常の蓄積の結果、その地でのアルバムが一冊、人生の本棚に配置されてしまっていることに気がつきます。
ま、そのアルバムのページを繰り、辿ってみたいと思います。自分と空気のように交歓した町は、どんな彩りと匂いを伝えてくれるのでしょうか。

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風 の 渚

車でこの街に入ると駅前の両サイドに急に高いビルが現れる、上大岡はそんな印象しかなく、通過する町に過ぎませんでした。しかし、思いがけず暮らすことになった4年半はとても生き生きとしています。今、桜が咲き始めたこの季節に、上大岡という町を思い返すのは、現在と過去を同期させてくれるようなところがあり、この上なくよいタイミングになったと感じられます。というのは、何しろこの町は、私の中でいつも花々が咲いているのです···
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桜というありふれたモチーフから入るこの平凡さもこの町には似つかわしいように思えます。大岡川沿いの桜は確かに豊饒な桜の賑わいを見せ、そこに集う人々の表情に桜の華やぎの影響を読みとることは容易です。こういう季節が常にあればとは思いますが、しかし、少し考えれば年に一度しかこない期限つきのイベントであればこそ、桜の華やぎがいやますことは、誰しも思うところでありましょう。

イト-ヨ-カド-別所店を少し過ぎた辺りから横浜市立南が丘中学校へ至る道に桜並木のところがあります。ある日、次から次へ親子連れが現れるので、たぶん入学式と知れました。桜と入学式、何度見ても晴れやかなシ-ンであり、親子の大きな節目がこんな季節にことほがれるとは、なんとも喜ばしいことと言うしかありません。大袈裟とは思いますが、こんな瞬間に神様の存在を浮かべてしまう自分は、たぶん、どこか感性の回路がショートしているのでしょうか。

親子連れが疎らになりだし、時間が迫っているのかと思っていると、角を曲がってまた母子が現れました。なんと、少年の背丈はお母さんの身長を越えています。しかも、少年の手はしっかり母の手につかまっています。年齢的には少年でしょうが、身体的には青年とも言えそうなぐらいです。私は軽い驚きとともに、とっても「かわいらしい」と感じていました。
微笑ましいと思ったのではありません。よくよく考えてみれば、子ではなく、母に視点があったのかもしれません。たぶん、この子と手を携えて歩く最後の機会と思っていた、そんな想像があったのかと。
以前の自分なら、あまっちょろい奴とその子を侮蔑的に一笑していたのでしょうが、こういう気持ちの感じ方に少し変化が起きているように思えます。少年の気持ちもまるごと受け入れた上で、かわいらしいシ-ン、そう感じている自分がいます。
満開を過ぎた桜並木の下、シンボリックな映像展開の中に何かとても満たされているものが感じられ、この世をことほぎたい気持ちになってきます。
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桜の季節だけではなく、通勤途中にしろ、休日に図書館に向かう道すがらにしろ、さまざまな花と出会います。花と言っても特別のものではありません。住居の軒先の鉢植えや庭先の樹木の花、家並のない路傍に咲く花もあります。いったいどうしたことでしょうか。世の中に急に花が溢れだしてきたわけではないでしょう。おそらく、私が、そのような日常に彩りを見せるもの達を受け止め出しているという変化、と思うのです。きれいごとを語ろうとしているわけではありません。気持ちの中に生起する微妙な変化をスルーせずに、キッチリ捕捉しようとする何かです。

当然花や鳥や月だけではなく、人とのやりとりで生じる感情的な動きについてもです。理屈ぽい私のことですから理屈が絡むことは余計にそうなります。
きれい、かわいいなどに対する受容の広がりは、おかしい、変などに対する追求の高まりと、ほぼ同期しているかのようです。

散歩を目的に出かけることはまずありません。ボールペンの替芯を買いに行くとか、図書館に期限になった本を返しに行くとか、本当に些細な用事があってのことです。しかし、この道中を散歩と言ってもいいのではないでしょうか。通勤とかではなく、休日に些細な目的で出歩く時間は散歩に他ならないのではないか、と思います。

散歩の達人」では、散歩について何らかの規定や定義を記載しているのでしょうか。私の見るところ町や街のガイドブックと言えば聞こえはまだしも、ショップやレストランの宣伝媒体になっているのではと危惧されます。「HANAKO」が高額の広告料をとってショップ記事を掲載していることは、周知の事実です。とはいえ、人権や差別を不必要に煽って世論をミスリードする雑誌に比べればまだマシなのかもしれません。雑誌ビジネスを論難するつもりはありませんが、思想の「清貧」は問われるべきでしょう。せめてここは「散歩の達人」に頼らずとも散歩のオリジナルな定義を試みてみるのも一興です。
散歩とは、宇宙と交歓する歩みと感じられます。

野暮な説明は抜きにして、近所を「徘徊」した折りのちょっとした出会いが思い出されます。時々この親子、たぶん父子と思っているのですが、いつも気になって見てしまいます。
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何故このライオンが気になるかはわかりませんが、どうも、私は父ライオンの立場でこの二匹を見ているようです。私はいつも自分が子の立場で父を見てきたように思いますが、今となっては、自分が紛れもなく子を持つ父となっています。
親ライオンとしては、この弱肉強食の世界で、何か知恵なりノウハウなりを子に伝授してやろうとするのですが、いくら言葉で情報を伝えたところで伝わりはしない、と考えています。伝えようのないことがあるのであり、自分で学びとるしかないことがあると思っています。だからこそ「獅子の子落とし」があるのではないか。獅子とライオンは違いますが、いつもこのことに思い及ぶことになるのです。

私の「お宅」は、丘の上にあります。単身4年目になる上大岡でのオタク生活は、佳境に入っていたということかもしれません。上大岡駅弘明寺駅との中間地点、部屋の窓から京急電車の往還を見下ろすことができます。京急線はこの丘陵地帯の谷底を走っていることになります。
希に、船の汽笛が空を覆うように、素っ頓狂に響いてくることがあります。海側に丘を越えれば磯子あたりなのです。

横浜市南図書館はいわば私の「サ-ドプレイス」といっていいかも知れません。気持ちの拠点とでも言ったらいいような、というか、気がつけば、「そうだ図書館へ行こう」と気が向くことが多いのです。「サ-ドプレイス」などとスタバのコンセプトを援用するのはやめて、「マイ・フェイヴァリット・シングス」の一つということにしておきましょう。図書館への道中、ジョン・コルトレーンの旋律は私の中で時々鳴り響くわけです。50年以上も前にジャズ喫茶では頻繁にかかったものです。今やJR東海の京都CMメロディとして定着したかのようです。
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南図書館は京急線弘明寺駅のすぐ脇にあります。というより、弘明寺の西側一帯が小さな森になっていて、なにしろ弘明寺公園を形成しています。この公園に図書館があるのです。上大岡側から図書館に向かうにはこの森に一度入ることが必要なのですが、この道行きが実に愉しい。
木々の緑の変化や梅や桜、春先にはマグノリアの白さが華やかです。白木蓮は背の高い樹木で、まだ寒さの残る季節に、白のワンピースに身を包んだ麗人に出会うかのような、ソフトなショックに見舞われます。折り重なる木々の葉から漏れる陽射しも表情豊かで心をほぐします。道端から猫が現れたりもします。
いつ頃からか私にはすっかり定番ルートができていました。高架下のファミマを左折して、マンション前の小さな公園で遊ぶ子供達を見ながら、急傾斜の坂を登ります。斜度20度ぐらい、スキーなら緩斜面ですが歩いて登るにはきつい斜度で、これが50~60メートルその先は人だけ通れる細い道になります。

冬の緑の乏しい殺風景な季節からどんどん気温が上がりだし、あっという間にこの森林公園は緑に覆われます。細い道が、くの字に折れ曲がる辺りで手摺りに腰をもたせ、一息ついて上大岡方面を見れば、そこそこ登っているので、眺望が開けます。
気がつくと、風の強さで木々の枝が揺すられ、ザーッザーッと音が寄せては返しています。風の心地良さに、吹かれるままにこの音に浸っていると、その音は波打ち際の音と全く同じです。目をつぶってみれば、本当に由比ヶ浜にでもいる錯覚に陥ります。風の波に自分が洗われているかのようです。完全にここは別世界です。ここは一体どこなんでしょう。どことはわからないものの、確かに覚えのある安らぎに満たされています。何時間でも浸っていたい、ここは一体どこなんだろう?

ある夏の日、高齢の母を中心に、子らの兄弟、その孫達が一堂に会することがありました。母から見れば、曾孫まで揃う裾野の広がりです。
その中に私の弟の息子、甥がまもなく結婚するということでその相手も来ていました。結婚のお披露目の機会になったわけです。甥は二十代半ば、お嫁さんも同じぐらいでしょう、少し下かもしれません。
後から私はこのお嫁さんのことがずっと気になっていました。言葉多く会話したわけではなく、むしろ会話らしい会話もなかったのです。お嫁さんは、みもごっているとのことでした。
彼女は幸福感に溢れていました。とても「満たされている」感を発散しているのです。幸せのオーラに包まれているかのようです。そこににじみ出ているものは、温かく、優しく、周囲をほぐし、癒す、何かがあります。
もうすぐ結婚というそのことや、同時に母になるという、そういう状況はあるでしょう。そのせいかはともかく、もっと直接的に彼女の表情や身体から何かが溢れだしているのです。聖母マリアとはたぶんこんな風に、周囲に慈愛を振り撒いていたのかもしれません。

私が真っ先に想起したのは、自分が小学生だった頃叔母が結婚して子を授かった頃のことです。60年近い遡及になりますが、私は当時の叔母を思っていました。あの頃の叔母にも同じような安らぎの風情があり、一直線にそこにある臭気に辿り着いていました。その生まれてきた赤ちゃんの寝姿にすり寄って、私と弟は「いい匂いがする」と争って、自分の顔や身体を密着させあうことがありました。
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ザーッザーッという頭上の波の音とともに、この森を吹き抜ける風の流れは、私を異次元へ誘っていたのでしょうか。あの慈愛に包まれたお嫁さんがお母さんになる時、産まれてくる子はどんなにか健やかなことでしょう。風に煽られ散乱する桜の中で、母と手をつないで入学式に向かう長身の男子は、母の胎内に懐胎した時の慈愛をまだ引きずっていたのかもしれません。
それ以上に、この水音の緑の中にいる私とは、そのような癒しの感覚を呼び寄せていることは、私自身が今、慈しみの風の中にある、ということなのかもしれません。私は時間や空間を超えて、ただ揺り篭の中にいるようなものだったと言えましょう。もしかしたら、この場所は神的な何かと交感し、宇宙と交歓する特別の場所なのでしょうか。
それにしてもなぜ葉音が水音として感じられるのでしょうか。もしかして、この私の頭上の葉音と、どこかの渚は同期していたのかもしれません。また、私がこの世に産まれる前の記憶と、今が同期していたものでもありましょうか。音の触感が根源的とでもいうような、慈愛として感じられるかのようです。
風の渚は、宇宙や神様とつながるドアだったのかもしれません。
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以後、ここが私の散策定番ルートになったのは当然の成り行きでしょう。

上大岡を離れて一年経ったある日、たまたま用事がありこの町を訪ねることがありました。用事を終えると足は嘗ての「お宅」に向いているのでした。早春の風の強い、花粉が飛びまくる天候です。あの橋のたもと、あの家の玄関先···と、どこにどんな花が咲くか、焼きついています。季節はズレていたかもしれませんが、黄色が美しい山吹の花の家は、すっかり建て替えられていました。
いよいよ、「お宅」のある丘に上がる坂道に入ります。秋なら紅い実が可愛い姫りんごの木は、その下を通ることが本当に楽しいことでした。私が「お宅」に向かうのは、ある期待があったからです。この地を去る日に見送ってくれた赤いハーネスをつけたあの猫に会えるかもしれない、と思ったのです。そうして、その後は、風の渚に向かうことに決めていました。★

付記
今回上大岡を採り上げましたが、実はこの町については一度書き、投稿しています。上大岡とは一切表現していませんが、事実上、「萌え町紀行・上大岡編その①」とも言える内容かと思っています。
ご参考までURLを下に貼っておきます。