萌え町紀行 ─ 4 自由が丘

あなたは自分の萌え町をお持ちでしょうか。
それは初めて訪れてすばらしかった、などというのとは違い、一定期間そこに住んで、日々暮らし、季節折々の変化を肌で感じ、日常の蓄積の結果、その地でのアルバムが一冊、人生の本棚に配置されてしまっていることに気がつきます。
ま、そのアルバムのページを繰り、辿ってみたいと思います。自分と空気のように交歓した町は、どんな彩りと匂いを伝えてくれるのでしょうか。

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ユーミンモード2021

「萌え町紀行」として体験談ではない切り口を模索しています。別の書き方が何かありはしないか、ということです。私にとっての自由が丘とは、そのようなものとして迫ってきます。広告コピーを書くように自由が丘を描いたらどうなるだろう、いや、町そのものについて語るとしたらどうなるだろう、そう思っています。

自由が丘という住まいの選択も、私の動機によるものではありません。5年ほど暮らしました。26年ぶりにこの町を訪れてみると、個々のショップの代替はあるものの、そう大きくは変わっていない、ということに安心します。

変容凄まじい渋谷駅、一昨年開業した渋谷スクランブルスクエアの地下にもぐって東急東横線に乗り込みます。さすが「ダンジョン」と呼ばれるだけあって、この深度とわかりにくさには閉口します。
私は無頓着だったのですが、人によってはこの路線にステータスを感じるようです。確かに東京と横浜を結ぶわけですから、言われてみればそうかな、という程度の感じです。中目黒、祐天寺、学芸大学と続き、その過程で記憶が起き上がってくるものがあります。
ふと、中吊り広告に目をやると、気になるものがありました。席を立ち、それを撮りました。「自由が丘だ!」と思ったのです。雑誌STORYの中吊りの特集タイトル「朝のオシャレな立ち上げ方」、ここに私は自由が丘がある、と感じてしまったのです。
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このタイトルにあるライフスタイルが、自由が丘というものとピッタリ重なるように感じるのです。おそらく30~40代の女性をターゲットとした、ファッション中心の構成です。モデルは明るく微笑んでいて歯の白さとともに爽やかさのオンパレードという展開です。雑誌に限らず、実際にロケ地として自由が丘が使われることは相当多いのではないでしょうか。コマーシャル向きの町とも言えましょう。

また、「朝のオシャレな立ち上げ方」というキャッチコピーにも、前向きに生きる積極的な女性のスピリットが表現されています。「立ち上げる」とは、パソコンや企画や事業を開始する際に使う言葉ですが、それを女性のライフスタイルのコピーとして取り込むセンスが「今」を発露させていて、そこがエモいと感じられます。鮮度がある分腐蝕も早いかもしれませんが…

ここまでで、すでに自由が丘の一面が出ていると思いますが、「女性の好きな町」ともされているように思います。それがどこからきているかと考えてみるに、それは猥雑性のない清潔感からくるのだろうと思います。歌舞伎町のようなところがないということです。建築物の高さ規制があるのか空も広いし、明るい感じがします。石畳の舗道にショップが次々展開しそれが界隈性を醸しだし、街全体がオープンモールのショッピングセンターとなっています。目黒区にモダンで西欧テイストの一角が出現している、そんな風に感じられます。

自由が丘の地名は、自由が丘学園からとったようですが、それが駅名になり、町名になっています。ネーミング倒れにならず、
内容としてオシャレ感を維持できているからこそ、支持されているということなのでしょう。秋には女神祭りがありますが、町をあげて「女性の街」を標榜しているのかもしれません。
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突如としてイタリア風の町並みが出現したりもします。カラフルでこざっぱりしていて、見方によっては薄いペラペラものと言えなくもありませんが、自由が丘をそのように切り捨てるには及びません。
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亀屋万年堂本店や御門屋などの存在が、この町を引き締めている、と感じられます。和の老舗というところがミソでしょうか。
また、熊野神社があり、奥沢神社を擁する町なのです。私は神社仏閣を町の「臍」と考えています。フワフワと波に揺られて浮遊するのではなく、しっかり歴史という錨を下ろしています。

実は、亀屋万年堂をググっていたら、あっと驚くようなエピソードが出てきました。あのナボナの商品開発ストーリーに、イタリアのナポリと関わりがあったのです。こういう「いわれ」は本当に楽しくなってくるとともに、ブランド価値の生成にもつながるところがあり、おもしろい。詳細はここにあえて書きませんが、私が興味深く思う視点は、正真正銘の和と思っていたものが、なんと西欧のエッセンスを取り込んでいたというそのエスプリです。それはそのまま自由が丘の成り立ちと重なるように思うからです。このような他の文化の咀嚼度や、和洋折衷が巧みに実現していることが、この町を軽薄から救っているように思われます。

私が迷うことなく松任谷由実を自由が丘に結びつけたいと意図するのは、女性たちにとって恋愛の師匠であり、生き方の女神と思っているからです。宇多田ヒカルはコンテンポラリー過ぎるし、竹内まりやは旧来の女性のポジションの中に留まっています。その点ユーミンは、舞台演出であれ、ファッションであれ、振り付けであれ、歌詞であれ、クリエイティビティで、よく消化しているとともに生き方自体におしゃれのフレグランスを纏っている、と感じます。日本的な伝統に立脚しつつ、欧米的なスパイスも使いこなしているクリエイターではないでしょうか。実際に住んでいる場所とは別に、ここでのイシューはあくまで総合的なイメージのことです。

具体的に歌詞に現れる世界観を見てみましょう。
「ひとつ隣の車両に乗り うつむく横顔 見ていたら 思わず涙 あふれてきそう」
竹内まりやの「駅」からですが、恋々とした思いが情感たっぷりに歌われます。
一方、ユーミンの「ひとつの恋が終るとき」では、
「鍵ならかえさないで 二人のドアはもうひらかないから」
と、決然とした別離が歌われます。リズムもしっかりしていて、何しろ
「駅へ送ってゆくよ 最終電車 去ってしまう前に」
とあくまでも「送る」のです。「行かないで」ではなく、別れに際して自分の意思でしっかり「送る」ことを選ぶ、この主体性がカッコいい。

実生活においても、松任谷正隆を夫とし、仕事上のパートナーでもあるという、夫婦としてのよき関係性があり、このあたりも総合してユーミンへのリスペクトにつながっているのではないか、そう思えます。このあたりが女性たちの師匠たる由縁でしょうか。

音楽はリズムやメロディとともに構成されるので歌詞だけで決めつけるつりは全くないのですが、「駅」の歌詞はそのまま演歌の宇宙につながっています*。「ひとつの恋···」については、歌詞ではあるもののむしろ私はコピーを感じます。時代の感性に載せるというセンスはまさに広告コピーの世界でしょう。
「♪ポスターみたいに破ってしまいたいけれど···」
このフレーズを初めて聞いた時正にそう思いましたし、これは
「オシャレな朝の立ち上げ方」と同質のレトリックと感じられます。

歌や感性や生き方が時代を呼吸していると感じられるユーミン。この女性が自由が丘という町と重なってしまうのは、私だけの強引な接着ではないことを願うばかりです。
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私が住んだのは熊野神社のすぐ近くです。昔、隣町の緑が丘に三島由紀夫が住んでいた頃、熊野神社の祭で御輿を担いだエピソードはよく知られています。秋のお祭りは境内にビッシリ露店がひしめき、凄い人混みとなります。田舎者の私としては都内にこんな風情が出現することに驚いたものです。私の結婚式は、この熊野神社であげたという因縁もあります。
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久しぶりの自由が丘の空気に浸ったせいか、ランチはコーヒーではなく紅茶でスモーブローでも食べたい気分になってきました。カッティングチーズを、おおめにかけて…★

*註
竹内まりやの歌をダサいと思っているわけではありません。ユーミン、宇多田それぞれ聴きますが、圧倒的に竹内まりやに割く時間が多いのが実際のところです。

付記
こういう記事の書き方は、正に田舎者であることをさらしています。自虐ではなく、人に指摘されずとも知っているよ、と先に言いたいわけです。