抑止限界論への疑義

なぜ国際政治学者は中国に加担する?

月刊「世界」7月号を見ていたら、藤原帰一教授の名前があり、三浦瑠麗氏の師匠ということは知っていたので、どんな考え方をしているのか興味が湧きました。これまで教授の言論に、コメントにしろ、文章にしろ、触れたことはありません。
国際政治学のプロに対して、一素人が何かを述べるとは無謀極まりないことですが、
専門家であるにしろないにしろ、平和と戦争、世界と日本、政治と戦略、核と抑止等
専門知識はないにしても、一国民としてこの問題について考えてみることは、あって然るべきことではないでしょうか。
ウクライナがロシアに侵略される事態を目の前にし、それでも能天気に過ごせているとしたら、そんな楽観主義者は売国を通じて己れの利益をあげることに血眼になる輩と同類であり、その輩の発行する専制主義国家、共産主義国家行きのチケットを買わされることになること請け合いでしょう。
私は、日本がそんな国になることを望んでいないし、先人からの伝統を受け継ぐとともに、子まごの世代に良き日本を継承することを切に願うものです。

藤原論文の論旨

教授の論文のタイトルは、「抑止とその限界」、サブタイトルとして「ロシアのウクライナ侵攻と国際関係」となっています。10ページの限られたスペースの中で「抑止」をテーマとして論理展開しています。限定的な紙面だからこそ、教授の言いたかったことは絞られた、とみることはできます。概略を知ってもらうために、小見出しに沿って要旨を掻い摘まんでみます。
(導入)
ウクライナ侵攻は抑止の破綻だった」の一行から始まり「奇怪な光景だった。ロシアの侵攻によって抑止が破れたのを前にして抑止力の強化が、しかもロシアではなく、中国に対して求められていたからだ」
「抑止の破綻」
アメリカの核戦略がロシアに対する抑止力として働いていた」が「それでもロシアはウクライナに侵攻した。」「ロシアに対する抑止戦略は戦争の防止に失敗したのである。」
電撃戦と瀬戸際政策」
短期戦で勝利を目論んでの電撃戦は抑止の破綻事例。「ロシアのウクライナ侵攻は武力による国境線の変更を目的とする」ことであって、抑止は保たれなかった。
「ミックスシグナル」
今回米軍を投入する意思がないというバイデンの発言がロシアの侵攻を招いたという分析が広がり、このミックスシグナルによりアメリカが抑止を弱めたと解釈できる。
「核抑止と安定・不安定パラドックス
「ロシアの核によってアメリカの核兵器使用を抑制しながら通常兵器による戦争を継続」し、「NATOの直接介入も阻止するという戦略」をロシアはとった。
「長い戦争」
「これからロシアの劣勢が明確となり、ロシア本土の安全が脅かされる状況まで追い込まれた場合には、通常兵器を費消したロシアが生物化学兵器、さらに核兵器を実戦で使用する可能性は残される。」
「対中抑止力の強化とその矛盾」
「·····核に頼って中国を抑止する意味は乏しい。通常兵器よる抑止が核抑止よりも不安定であることを踏まえた上であっても、核への依存を高めることではなく、低下させることこそが、戦争がエスカレートする危険を防ぐために不可欠な選択である。」
「結び」
「核抑止力によってウクライナ侵攻を阻むことはできなかった」「ここで必要なのは抑止への依存ではなく、抑止の限界を見据えることである。抑止の破綻を前に中国への核抑止力強化を求めることに意味はない。」

ざっとこんな内容になっていますが、詳細は月刊「世界」7月号で原文をお読み頂きたく思います。
さて、私は、この論文で述べられている内容について、首を傾げてしまいました。ウクライナ侵攻を目の当たりにして、日本人がこれを中国問題に引寄せて考えてみることが、なぜ「奇怪な光景」なのでしょうか?戦後77年、惰眠を貪ってきた日本人が、覚醒できるかもしれない機会が生じているのに、それを批判しているからです。
むしろ、ウクライナの状況をわが国のこととして捉える精神は、健全な反応と言うべきでしょう。しかも、最後の一行、「抑止の破綻を前に中国への核抑止力強化を求めることに意味はない。」と結んでいます。エーッ!藤原教授本気ですか?と思ってしまいました。

おそらく教授は、2月27日に故安部元首相が核共有(ニュークリア・シェアリング)について国内でも議論すべきだ、と語ったとされる報道や、それをきっかけに広がる核共有の世論が念頭にあるのでしょう。専門家として、それらに対していわゆる警鐘を鳴らすつもりだったのでしょうか。

まず私は、「核抑止によって阻むことのできる戦争に大きな限界があることがウクライナ侵攻によって明らかになった」(同書p85)としても、有効性だけで行動を判断するリスクがあるのでは、と考えます。というか、有効性を土返ししてもやらなくてはならない場合がある、ということです。ゼレンスキー大統領がロシアに対する反撃にどれだけ有効性を見ていたか知りませんが、まず自国を守ろう、死守しようと腹を決め、その意思や信念の強さに西側諸国の支援を呼び込んだのではないか、という気がします。勝ち目はないと退却する国を誰が支援するでしょうか。

試案「対抗力」

また、私は「抑止力」ではなく「対抗力」という概念で捉えたいと考えています。抑止力を配備するにはそれなりの準備と手間がかかりますが、なんらかの事象や状況に対して、神経反射的に瞬発力で国家意見として表明し対抗することです。国際政治に必要な国家能力であり、表明することがすなわち抑止力に資する計算があります。
安倍元首相の発言とは、対抗力の表明としてみることができます。

さらに、私たちはスウェーデンフィンランドの例を目の当たりにしたではないですか。6月29日、NATO北大西洋条約機構)は、2か国の加盟手続きを正式に始めることを決めたとの報道がありました。これに先立っての両国のNATO入り表明は、切迫感に裏打ちされつつ俊敏な対抗力の行使だったと捉えられます。この場合は、抑止力をそのまま対抗力として表明した例として見ることができます。

冒頭「ウクライナ侵攻は抑止の破綻だった。」と教授は始めて、末尾では「抑止の破綻を前に中国への核抑止力強化を求めることに意味はない。」と締め括っています。字義通りに受けとめて安易な核抑止力のエスカレートを牽制しているのはわかるのですが、この論調の底流にあるのは、戦争反対、平和希求といったところでしょう。

この根っこのところは同じでも、われわれの行動や発言は、なかなか同じにはなりません。今出回っている行動や考え方をXY座標に配置してみました。藤原教授の言われる「核抑止無意味」は、第3象限に入るでしょう。
私が区分した第3象限の6項目について、見てみましょう。

●戦術論─当たり前ですが戦略があって戦術があるのですが、戦略なき戦術とでもいうべきものです。戦略のない逐次対応作戦
は、敵味方の双方現状条件情報に支配されます。誤りに基づく諜報にも支配されます。その意味での他者依存であり、上位プランに収斂しない場当たり行動と言っているわけです。東谷暁氏はその著書「戦略的思考の虚妄」の中で「政治の目的を決めるのは誰であり、戦略を策定するのは誰なのか、そのことが問われないかぎり、戦略の議論は無意味」と、日本の数々の戦略論について、その主体性のなさを指摘しています。つまり、主体性に基づく戦略を欠いたプランは、戦術論に過ぎないとも読めるのです。

核廃絶─全世界一斉同時的合意や、際限ない時間が必要でしょう。この地球には、ならず者国家があることを忘れるわけにはいきません。理想には違いありませんが、自己意思だけでは済まないところに難しさがあります。この理想を無邪気に追いかける人がいるなら、それは幸せというべきでしょう。「核廃絶」とは論理的に破綻しているように思われますが、言い続けることが必要な性質のものかもしれません。

●核抑止無意味論─これは藤原教授の論述を指摘しているわけですが、軍事エスカレートに慎重である思想は、頷けます。教授著「平和のリアリズム」にも、それは漲っています。しかし、それなら軍事に頼らない政治的抑止策を教示頂けないかと思うのです。

憲法九条堅持─九条を守ることが戦争回避につながり、専守防衛が平和になる道との思考。他者、他国が、自分と同じように思考してくれると思えることが、正にお花畑と言うべきでしょうか。

●降伏論─他者他国を性善説で捉えていて、降伏の先にあるものを見ていないのでは、と思えます。「退却論」は昔からあったようで驚きますが、司馬遼太郎梅棹忠夫が対談でそれに賛成する旨を述べています。ひょっとしてリアリズム論として傾斜しているのでしょうか。ロシアや中国の恐ろしさを思う時、私はそんなインテリを唾棄せざるを得ません。しかも、侵略とは自国の文化を失うことであり、言論人がそんな事態に甘んじるのでしょうか。

日米安保条約─以前小室直樹が、日本の防衛に関して「アメリカにやらせればいい」と発言していたのを見て、自分の思考が転倒した記憶があります。他力を戦略的に活用する意味では、これほど利用価値のあるものはないでしょうが、早々にこれを捨て去り自立する道を、日本は目標とすべきでしょう。もう、半永遠の課題といった体のものかもしれません。

私は6項目を、他力本願の理想主義として
第3象限においてみました。
私は決して戦争を望むものではありません。座標図から言えることは、日本は変わらなければならない、ということです。但し、私見による真のリアリズムでは、核抑止と核廃絶論は同居していいし、戦略と戦術論は同居すべきものだし、憲法は改正して当たり前、降参や退却論は持っての他と考えます。
私が藤原教授の論述を否定的に捉えているのは、以下のような、今のわが国の状況があるからです。

侵食が進む国内

最近になって上海電力問題がクローズアップされてきて、日々情報が更新され、驚くような広がりを見せています。
発端は、大阪の咲洲(さきしま)メガソーラー発電所設置に纏わる事柄です。元大阪市長橋下徹氏が関与しているらしいことから、煙がたちのぼってきました。市への参入手続や、市民への情報公開状況等、明らかになればなるほど杜撰極まりなく、大阪市議会では侃々諤々やっているようですが、本質はわが国の安全保障に関わる論点での問題です。維新の会の松井市長や吉村知事は、口裏を合わせたかのように橋下氏を擁護しているかのごとき、また、国の方針のもとで動いているとのことで、全く国防意識が見られません。そこにあるのは、売国により維新の会へ利益誘導している、といわれても仕方がない図式があります。
大阪だけではなく、岩国でも上海電力のメガソーラー発電所の建設が進行中です。しかも、日本国のあちこちでソーラーだけではなく、風力発電についても中国資本が手を伸ばしてきている有り様です。

事の重大さは、中国のインフラ会社が国内にのさばり、いつでも日本を物理的にコントロールできる環境が形成されるということです。特に、中国には、国防動員法や国家情報法という法律があり、日本国内にいる中国人はいつでも中国共産党の指示に従わなければならないということがあります。今や、超限戦の中国に、すっかりインベージョンされてしまっているのです。サイレントではなく、日本人が中国に手を貸しているという破廉恥です。

正に「外患誘致」であり、橋下徹や、松井一郎や、吉村洋文以外に、河野洋平竹中平蔵北尾吉孝などの関わりも指摘されています。背景で誰かが大きな絵を描いているのでしょう。自分の利益のために日本を売ろうとして、中国に浸かっている面々です。「スーパーシティ構想」や「パートナーシップ協定」と国内向けに表現しても、中国側では「一帯一路」と明示しているのですから、舐められたものです。
このように日本が足元から中国の支配戦略に侵されつつある時、何故、国際政治の専門家が、「中国への核抑止力強化を求めることに意味はない」などと、わざわざ表明するのですか?中国に加担するのですか?と言われてもしょうがないでしょう。
国際政治の専門家なので、国内政治のことは眼中にないのでしょうか。

ロシアのウクライナ侵攻に対して、3月テレビ番組で橋下徹氏が「退却した方がいい」といった発言をし、保守系の言論人から総攻撃を受けました。これは、日本を虎視眈々と狙っている中国に対して中国を利するコメントとして非難されたわけです。私が、藤原教授の論文を批判するのは、これと全く同じ図式なのです。中国からの脅威はすでに始まっている実態があるのに、国内世論を諭すがごとき見解、それ今言うことでしょうか?

平和を志向する藤原教授に語って頂きたいのは、核へシフトしつつあるかのような国内世論をたしなめることではなく、中国との衝突をいかにして避けるか、核や軍事ではない政治的な抑止策であり、その道の手引きであるように思えるのです。

NATO加盟国に

また、素人考えですが、中国は日本と戦争することなく侵略する方向も考えているのでは、と想像します。サイレント・インベージョンMAXとでも言うべき戦略です。中国のアメリカとの「相互確証破壊」の成立を基に、アメリカは日本の管理を中国に譲るようなことがあるかもしれません。そこは、皇統や歴史·思想の自由のない世界です。中国共産党日本支部の成立です。
ですから、国際政治なり軍事の専門家が今為すべきは、上海電力問題を始め、安易な中国人帰化政策、中国資本での土地買い占め等々、日本が中国に浸透されてしまっていることを照射し、批判することかと考えます。間に合うかどうか·····。
かつ、さっさとわが国もNATO に加盟し(現在はグローバル・パートナー国)、起死回生を図らねばなりません。そんな切迫感に押されての奮起こそが、とても主権国家として胸を張れない、アメリカ父さん国の運命なのかもしれません。

参考文献
「戦略的思考の虚妄─なぜ従属国家から抜け出せないのか
「平和のリアリズム」 
「日本人のための戦略的思考入門─日米同盟を超えて
   孫崎享著 伝社新書
核武装論─当たり前の話をしようではないか
「平和構築入門」より第3章「拡散する核兵器
   佐渡紀子著 有斐閣コンパクト


SNSジャーナリズムの時代

─ 上海電力疑獄をめぐって

2022年も6月に入りましたが、今最もホットなニュースといえば、上海電力問題と言えましょう。ロシアのウクライナ侵攻の出口が見えない中、わが国の中では特にネット世界の話題として、日々更新され、新たな事実がさらされています。

橋下徹とは何なのさ
特に、元大阪市長橋下徹氏が絡んでいて、テレビ出演しては派手に騒ぎ立てることもあり、その真偽のほどが耳目を集めているといったところでしょうか。
予め一言お伝えしなければならないのは、
このブログでは上海電力問題そのものについて論じるものではありません。私の視点は、上海電力問題にまつわる報道、表現方法について考察を試みるものです。

わが国の安全保障に関わる重要問題であるとともに、橋下徹氏の言論が極めてあやしく、ネット動画を通じての新たな情報は、われわれを強烈に引き込んでしまうものがあります。4月頃からか、この問題については、私もいつの間にか引き込まれていました。次から次へとネット動画があがってきて、視聴者の関心も高いようで、大勢のネット民が注視する問題となっていると思われます。

お二人は炎上がお好き
センセーショナルなところでは、橋下氏の発言に対し、百田尚樹氏がツイッターで噛みつき、それに橋下氏が応酬するやりとりあたりでしょう。今回の件では、ロシアのウクライナ侵攻に対して橋下氏の「早く退却した方がいい」といった趣旨のコメントが端緒だったと思います。
それに反して、敵国の攻撃に背を向けて退却するというような発想には、ウクライナのゼレンスキー大統領を応援する人々には、到底理解できないものです。そうした百田氏に追随する主張の言論人を、橋下氏は「百田グループ」と命名。百田氏はこれを逆手にとって自身の動画で「百田グループの皆さんこんばんは」などと活用しています。
特に橋下氏の発言が中国を擁護し、中国を利するベクトルを持っていることが問題であり、真偽のほどはともかく彼は過去に中国のトラップにかかっているのでは、とも囁かれています。

上海電力は橋下電力か?
4月、いや5月になっていたかもしれませんが、花田紀凱氏の動画番組「週刊誌欠席裁判」のゲストで出演したジャーナリスト山口敬之氏は、橋下徹氏に関して調べ始めているとのコメントがありました。その番組のメンバーも橋下氏の発言に対する疑問を表明していました。山口氏は橋下氏の問題については番組中極めて禁欲的にコメントをするばかりで、戦略として全部を語らないと明言していました。徐々に全貌を明らかにされると受け止めた私は、その後この問題への興味を充填されてしまったようなものです。

しかし「週刊誌欠席裁判」の中で、山口氏がゲスト出演しても、この問題について、その後あまり語らなくなったような気がします。私が番組を逐一ウオッチできているわけではないので、私が知らないところで語られている可能性もあるものの、月刊Hanada7月号で山口敬之氏著「橋下徹と上海電力の闇」の掲載が出てきたので、そういう風に詳細発表の場を定めたのだろうと、合点がいきました。
(「週刊誌欠席裁判」の有料動画で、山口氏は橋下氏や上海電力について触れている模様)

ここで上海電力問題の核心を確認しておきますが、まず上海電力日本株式会社は中国共産党直系の国営企業であり、同国が国策として進める一帯一路の具現化として、大阪咲洲(さきしま)メガソーラー発電所の設置が行なわれ、それを運営しているのが上海電力日本㈱です。これが橋下市長の時代に、いくつもの不審な手続きを経て誘致が行なわれているために、橋下氏や大阪市議会に疑義が持たれているわけです。しかも、電力インフラをかの専制国家に売り渡すことは、わが国の安全保障上のリスクを招くことであり、とんでもない問題です。このことについて今まで公けになったことはなく、これを山口氏は「ステルス参入」と言い「橋下市政が呼び込んだ」と喝破しています。

山口氏はウェブサイトの「Hanadaプラス」でも記事訴求を展開していて、一番最初の投稿は2022年4月8日となっています。この問題を発見し、取材し、精密に追跡を始めたジャーナリストは山口氏であろうと、私は思っています。有本香氏が8年前からこの問題を取材していると述べていますが、それなら、何故その頃から糾弾しなかったのだろうと、不思議に感じます。他の専門家もこの問題を取り上げていて、百花繚乱といった感じですが、エビデンスを掴みファクトを一つ一つ明らかにしているのは、山口氏と言えましょう。

月刊Hanada7月号表紙
同氏が、この問題の周知のために展開しているツールを一覧してみましょう。
YouTube等動画
刊誌欠席裁判
・文化人放送局
メルマガ
ブログ
 ・Hanadaプラス
●雑誌
 ・月刊Hanada
などです。

これらで基軸になるのは、ブログやメルマガや雑誌の記事と言えましょう。
山口氏が上海電力の異常な参入=ステルス参入について、受注資格がないのに大阪市が事業者として認定しているなど、次々に暴いていて、私が次は?と思っている時確か6月頭、金子吉友氏の動画「咲洲メガソーラー、脱原発、IRカジノ─橋下徹の密謀説」だったと思いますが、これを見たら驚いてしまいました。時間は3時間以上4時間あったかもしれませんが、あっという間でした。※
この動画(YouTube)を機会に金子吉友氏を調べてみると、「あつまれニュースの森」の番組をもつユーチューバーといったところですが、コンサルタントとしての仕事も行なっているようです。

金子吉友登場!
金子氏の動画は、彼のコメントで説明していく際に、エビデンスとなる上海電力のホームページを見せたり、自身の作成によるチャート図を示し解説していきます。コメントつまりナレーションだけではないので、わかりやすく感じられます。大阪市のウェブサイトから引用したり、山口氏のHanadaプラスから転載したり、その説明資料の豊富な活用は驚くほどです。こうした技術的処理はかなり手慣れているように見受けられます。

圧巻は、「一帯一路誘致スキーム(相関図)」です。これには唸ってしまいました。全容が一覧できるのです。この相関図に出てくる名前を列挙すれば、河野洋平
橋下徹松井一郎、吉村洋文、竹中平蔵北尾吉孝·····等々という具合です。この図で、あるいは金子氏の動画を通して、最重要点は一帯一路という中国の国策に、日本の一部の人間が加担しているらしいという事実です。

私は金子氏の動画を知るまで、咲洲メガソーラー事業における上海電力の誘致が、わが国の安全保障上極めて由々しきことという認識はありましたが、それが一帯一路とは結びついてはいませんでした。実は一帯一路の施策としての上海電力の進出だったとは?!しかも相関図で一目瞭然なようにわが国の様々な人間が、その実現に手を貸している!
おいおい、どうなっているんだ!!

数年前からサイレント・インベージョンが語られ中国に侵食される諸外国に唖然としていましたが、この国の足元でこれほど進行しているとは、ゾッとしてしまいます。

この金子氏の相関図が出てきた時点で、私は上海電力問題のプレゼン方法に関して、
山口氏のプレゼンが急に小さくなっていく感覚を味わいました。この問題の全容の表現方法として、総合的全体的包括的であることが金子氏の戦略であり、山口氏の取材によるエビデンスは金子氏の全容の部分的補強に資することになってしまいます。山口氏は、入札の方法、請負会社の資格等、一つ一つ解き明かし、問題を示していきます。

蟻の眼か、鳥の眼か
帰納法的に一点一点を攻め、線と成す、そういう方法に見えます。一方金子氏は、演繹法的に面で一気に風呂敷を広げて見せ、部分的不備は後から掘り下げていけばいいのです。まず全容を俯瞰してしまう手法です。これは、上海電力問題の指摘を、視聴者へのプレゼンテーションと捉えて、そのアプローチの違いと言うことができるかもしれません。私は、「上海電力問題プレゼンテーション競争」が起きているとおもしろがっています。

相関図
金子氏がいつから上海電力問題に着眼したのかは掴みかねていますが、大阪市のIRや大阪維新について追跡していたようです。その流れの中で山口氏の問題意識、橋下徹─ 上海電力問題に繋がったのかもしれません。氏の表現上の主戦場は、動画になっているように思われます。一方山口氏はSNSも活用するのですが、旧来のジャーナリストのイメージが濃厚ではないでしょうか。

ここで山口氏の名誉のために押さえておきますが、当初私は山口氏には一帯一路に関わる視点はなかった、と思っていました。あくまで日本の安全保障を犯す上海電力問題、という認識だと見ていました。念のため、Hanadaプラス「橋下徹研究①」から読み返してみると、氏は当初から一帯一路政策に籠絡されているわが国の状態を認識されていました。すなわち、橋下徹氏への追及とは、中国の国策のスキームにはまっているこの国の問題研究という構想での着手だったことは明らかです。

今のところ新聞テレビ等の大手メディアでの大々的な報道は為されていないようです。中国と日本の国家同士の大問題に発展する可能性を燻らせています。
われわれ国民としては、断固として上海電力を排除すべきと考えるのが当たり前です。それが、今さらできるのかどうかわかりませんが、法的な対応なのか、放置はできない事柄です。まずは、マスメディアで周知され、大阪の問題で済むはずもなく、国会で審議されるべきほどの内容でしょう。それがもしできないとなったら、この国は本当にヤバいことになるでしょう。

関連する登場人物からして、維新の会だけではなく、自民党の関与もあるのではないか、とも言われています。かつての田中金脈問題、ロッキード事件等を超える大疑獄かもしれません。スキャンダルの側面はともかく、双方の国策上相容れない性質を持つ、対立軸の衝突になるように思われます。民主主義国家と、専制主義国会との対立とも言えます。仮に日本が上海電力排除を決めたとして、中国は高額の賠償金の類いを要求してくるでしょう。紛争の火種の可能性さえあるのではないでしょうか。これまでの最近の同国のやり方を見れば、推して知るべしです。債務トラップにより、港を失った国の話題は、まだ記憶に新しいところです。

立花隆の時代
過去の疑獄事件を想起してみれば、故立花隆氏の活躍が浮かんできます。田中金脈問題やロッキード疑獄等、随分昔のことになりましたが、国会での証人喚問のテレビ中継は、強烈でした。もちろん、上海電力疑獄がどこまでオープンになるか、できるかはわかりません。
立花隆氏が田中金脈問題に関して、4年前にインタビューに答えています。1974年月刊文藝春秋への掲載で始まったことに関して述べています、以下少し引用します。
「74年10月に発表しましたが、新聞は当初、追随しませんでした。当時は、新聞が書かないとニュースとして認められないような時代。新聞記者は雑誌ジャーナリズムを一段下に見ていたと思います。米紙が報じたことで、日本の新聞もようやく追いかけました」

当時は「雑誌ジャーナリズムが新聞から低く見られていた」とのことで、米紙が動くに及んで、日本の新聞をも追従するに至ったそうですが、氏が「調査報道」により雑誌のパワーを開花させた事実は揺るぎないところでしょう。
1970年代はインターネットが今のようには普及していませんが、現在はSNS花盛りで特にYouTubeを始めとして、ここ数年動画チャンネルはネット界を席巻しているように思われます。
私の関心事は、ネット界で沸騰している上海電力問題が、既存のメディアである新聞やテレビ報道に影響を及ぼすことができるか、の点です。オールドメディアを通じて広く一般国民に周知されるか、です。このようなことが実現できてこそ、SNSを通じた民主主義の新しい時代に繋がるように思うのです。国民一人一人の声が届き易い構造の確立とは言えないでしょうか。この時、SNSは大きな意義を実現させることになるでしょう。

金子氏動画タイトル一例

中核メディアになる日
金子吉友氏は、全く新しいタイプの言論人であり、ユーチューバーとも言えます。芸人が池上彰氏で勉強して動画登録者数を稼いだり、既存の専門家が動画でもアピールするというのとは違って、情報収集力、話し方、動画構成力等、その資質が新しいと感じられます。水際立っています。
また上海電力問題に関して一つ付け加えるとすれば、金子氏の動画のパートナーとして登場する“J氏”の存在も大きいと言えましょう。動画の構成としてJ氏との対話形式とする回があるのですが、このJ氏がまた凄い。マカオ在住で、調査に関わっている方のようです。情報力、物の見方がハンパないと言っておきます。要は中国の立場、視点で上海電力問題を語れるのです。金子氏がこの問題に関してJ氏のエッセンスを注入していることは間違いありません。

大阪の府議や市議達も動き出したようです。SNSが上海電力疑獄という大きな爆弾いやテーマと出合って、新たなジャーナリズムの時代を形成する、今まさにその場面に差し掛かっているのかもしれません。このブログを投稿する頃には、大手メディアがこの問題の報道に乗り出し始めていることを願うばかりです。★

補足
私が最初に見た金子氏の長時間動画が「橋下徹の密謀説」であったかは判然としません。別のタイトルのものだったかもしれません。












萌え町紀行-7仙台高松入口

昨年11月末に「萌え町紀行ー6 金沢八景」を投稿してから、半年近くが過ぎました。昨年年末から今年にかけて、私の身の上に、入院、退職、引っ越しという三つのことが、ほぼ同時期に起きました。これを転機と言わずして何と言うでしょう。こんなライフステージの変化に遭遇するとは、しかし、退職も引っ越しも計画上のことですが、病気はまったく想定外でした。こんな激変に、制作行為がなおざりになるのは仕方がないことかもしれません。首都圏から一転して宮城県へと生活も変わりました。
計画外の私の身体に関わる異変もあり、今現在の私の感覚としては、一瞬にして首都圏から仙台へ空間的にワープし、瞬間的に
6カ月後に時間的にテレポーテーションした、といっても言い過ぎとも思えません。
要は、また制作への着手の再開が、過去の感覚を一気に引き寄せているかのようで、これが、私を遮った時間を忘れさせてくれているような気がしています。

50年後の断崖

仙台で生活することは既定事項だったわけではなく、経緯があってそうなったのです。もちろん、そうなる可能性もあったわけですが、昔からそう決めていたわけではありません。
27歳までは仙台で仕事をしていました。仕事上の縁があって東京にノコノコと出て行ったというしだいです。およそ40年以上を経て帰仙したわけですが、今、どうしても書き付けずには済まない体験の中にいます。

仙台 東照宮
「高松入口」とは、バス停の名称です。市の北方に「高松」という町名があって、「小松島」に隣接、東照宮の近くです。およそ50年前、18歳から三年ほど勤めた会社の寮がありました。1970(昭和45)年、三島由紀夫自死するという大事件があった年からこの独身寮で生活し、この年のことは社会人一年生のことでもあり、鮮明に記憶されました。


この独身寮のことでは、近所にあった「明日葉」という化粧品店のことが、すぐ浮かびます。「明日葉」は、カネボウ化粧品のチェーン店ですから、当然ながらカネボウの商品を取り扱っています。いつしか、私の部屋の棚には、男性化粧品が揃っていました。エロイカでした、上位ブランドのバルカンには手が出ず、ローション、クリームからオードトアレまでのフルコースです。一品一品買っていって、揃ってしまって、ボディパウダーも買った記憶があります。その香りを思い出すと当時の「明日葉」の店内がリアルに想起され、とても50年前のことには思えません。それらの化粧品を売ってくれたのは美容部員の、ある女性です。もう、おわかりでしょうが、私はその女性目当てだったのです。
とても美しい方でした。今でもその笑顔は鮮明に、昨日のことのように浮かびます。
「〇〇ちゃん」と呼んでいました。しかし、告白したわけでもなければ、デートしたことがあるわけでもありません。それ以前だったのです。正直自分が若かったと思います。なんか、彼女をからかうようなことばかりを言ってしまうのでした。これは小学生レベルと言えましょう。
バス停「高松入口」のそばで、当時その「明日葉」を含む数店舗のある建物は活気がありました。幼児たちもその店舗の前でよく遊んでいました。私は〇〇ちゃんに近づきたい下心で、その子供たちにも親しむようにした覚えがあります。
しかし、その後彼女が結婚したとは、その化粧品店の主に聞いたような気がします。フルネームは知らずじまいだったわけです。

その6~7年後に、資生堂のCMソングとして尾崎亜美の「マイ・ピュア・レディ」、また「春の予感」がヒットしました。なんともセンスのいい曲で、さらにその数十年後、私の中で春の兆しの感受とともに、メーカーは異なりますが、〇〇ちゃんとの結びつけが、起きるようになっていました。マイ・ピュア・レディのモデルが〇〇ちゃんによく似ていることも関係していたのでしょう。この曲を聴いては、1970年の頃の「高松入口」や「明日葉」を遡及する現象が我が身に起きていました。

三島が残したもの

1970年は「三島由紀夫が自決した年」だったわけですが、私は19歳、世の中の動きは全くわからず、社会人として就業していたものの正に五里霧中で彷徨っていたという感じで、その年から三島を読み出していて、三島世界に取り憑かれていた矢先に、作家の死にいきなり出くわしたという晴天の霹靂でした。その衝撃があまりに大きかったので、そのことから、自分の精神に三島が深く浸透していることが察せられました。

社会のこと、世界のことは、まったく捉えようもなく、日々歯ぎしりするような生活だったと記憶します。世の中のことを早くわかりたい、知りたいというような、焦燥感のようなものに振り回されていました。確か三島が「若さとは世界解釈の衝動だ」とどこかに書いていたと思います。
自分はどうやって生きていくのか、何をやろうとしているのか、皆目見当がつきません。とりあえず勤めた仕事が、自分の人生とどう折り合いがつけられるのか、まったく想像できないことでした。社会や世界は自分の外部にあり、自分とはまったく絶縁しているというように感じられています。

勤務先が変わり、仕事も変わり、30代40代になって、堺屋太一大前研一など経済や社会動向の著作に触れていると、世の中が自分に近づいているという感覚がありました。以前は、本の中のことは本の中の話という感覚があったのですが、その垣根がなくなり、実は自分が社会に入り込んでいたのかもしれません。

小松島公園  高松の近くにあるが、当時全く関心がなく行ったこともなかった
視野を世界に広げてみれば、自分が生まれてこの方、概ね世界は平和だったと感じています。もちろん、小学生の頃キューバ危機があり、後から恐ろしいことが過ぎ去ったという感覚はありました。その内ベトナム戦争が始まり、70年安保闘争もあり、72年沖縄の本土復帰があり、同年のあさま山荘事件ではテレビ中継に釘付けになりました。73年は、オイルショックに見舞われ、
1989年の天安門事件については、「事件」などと言う表現は妙に客観的ですが、これは一方的な虐殺と言うべきでしょう。2000年代に入ってすぐ米国同時多発テロが発生。勤務先の同僚が「戦争が始まった」などとほざいていましたが、『戦争とテロは違うだろ』と内心私は思っていました。災害や事故を別にして、世界的に地域によっては戦争で何人も亡くなるできごとはありましたが、概ねこの国は平和な時代を過ごしてきた、と振り返っています。

さて、2017年トランプ大統領が就任してから米中の対立が鮮明になってきました。
2010年代半ばになるとボンクラの私も、政治や世界の動きをだいぶ意識するようになりました。基調は日本をどうしようと思うのかに尽きます。そういう意識で周囲を見渡すと、マスコミ報道や偏った言論人のコメントのひどさは目を覆うばかりです。私が生まれる6年前の終戦から続く米国の日本弱体化政策は、見事に功を奏しています。おそらく三島は日本のこんにちを、1970(昭和45)年にはっきり観ていたのだと思います。「果たし得ていない約束」に書かれた末尾の…
「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このままいったら『日本』はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済大国が極東の一角に残るのであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである。」
という表現は、この国に対する彼の深い絶望からきているもののように感じられます。わずか4ページほどのこのエッセイは哀しい。
「文化防衛論」も「反革命宣言」も、初出から50数年経った今も、いまだに輝きを放っているではありませんか。三島には、こんにちの日本の弱体化が見えていたに違いありません。
特に、米国が対中姿勢に舵をきったように、具体的には、中国という問題が屹立してきています。

2月24日の衝撃

今、日々報道が行なわれているように、ロシアは「ウクライナ軍事作戦」として、侵攻を続けています。とんでもないことが勃発してしまっています。
私の退院は今年の2月25日、その前日に
プーチン大統領は何ということを仕出かしてくれたのか!私の健康で、すこやかな生活の前途が踏みにじられたかのようです。すでに3ヶ月になろうとしているのですが、これはわが国にとって、喫緊の大問題として迫っているように感じられます。ウクライナとロシアの問題を超えて、これは日本に突きつけられた問題として感じられるからです。日本と中国の問題に直結しているからです。香港の民主化は封じ込められ、近年台湾への中国の侵攻がリアルに語られるようになりました。尖閣諸島への頻繁な航行、空母遼寧での示威行為などを見ても、台湾の鳴動はわが国に連動していると見るべきでしょう。中国の100年の怨み計画(百年国恥)はどんどん水位を増しています。

佐橋亮著「米中対立」によれば、トランプ大統領は中国の人権問題については、看過していると指摘しています。あれだけ対中国姿勢を鮮明にしたトランプにしてもそういう面があったとは、米国がこんにちの対中姿勢に至るまで、紆余曲折を経る間に中国は恐ろしく強大になってしまったことの要因は押して知るべしと言うべきでしょうか。中国はマーケットとしての面や、経済の活性化から民主化への期待が、米国がここまでのさばらせてしまい、中国を増長させてしまったもののようです。

東北大学(片平) バックはウェスティンホテル仙台
戦後これだけ戦争が肉薄して感じられるのは初めてではないでしょうか。ひとえに中国の存在からきています。天安門事件のあと、中国が国際社会に復帰するのに、日本は手を貸しました。天皇陛下の訪中まで行ない、なんというお目出度い国なんでしょう。日米安保条約と米製日本国憲法で、この国は完全に骨抜きにされてしまいました。先日、片平にある東北大学構内を歩いていたら「核兵器のない世界をご一緒に作りましょう!」というポスターの掲示に出くわしました。大学教授や弁護士等の名前が写真入りで紹介されています。ウクライナは1991年ソ連から独立した時点で、当時世界第3位規模の核兵器保有していましたが、すべて放棄してしまいました。これがなければロシアに侵攻されなかったとは、よく言われるところです。要は抑止力の問題です。「核兵器のない世界を」そりゃあそうでしょう。理想はそうでも、世界はリアリズムで動いているのです。仙台におよそ40年ぶりにもどり、東北大学構内でこんなお花畑に遭遇するとは、落胆を禁じ得ません。この方たちは、たぶん憲法9条を守れと言うのでしょう。
この国の先々が暗澹たるものに思えてくるのは私だけでしょうか。

50年前を求めて

2月下旬に退院、帰仙した私は少しずつ出歩くようになり、燻っていた気持ちが噴出するように4月、「明日葉」のあったあの街に行ってみようと思い立ちました。

ここで一旦整理しておきますが、まず冒頭で「50年前」と語り、もう一方で「およそ40年ぶりの帰仙」と言っているこの部分です。50年前とは、「明日葉」の近くにある寮で暮らしていた頃で、その寮の勤務先から、仕事を変えて27歳まで仙台にいた、ということです。また、尾崎亜美の歌と「明日葉」との結びつけについてですが、この資生堂のCMソングのヒット当時(1977年)から接着していたというわけではありません。LP1枚を買ったくらいですから、尾崎亜美に魅了されていたことは間違いないでしょう。「春の予感」(1978年)は南沙織が歌ったと思いますが、この曲についてもです。私達は、ここ10年ぐらいの間にYouTubeなどを通じて、過去のあらゆる楽曲にアクセスできるようになりました。このかつてのヒット曲を聞く機会があった折に尾崎亜美を思い出すとともに、「マイ・ピュア・レディ」や「春の予感」を聞いているうちに、化粧品との関わりから「明日葉」そして「〇〇ちゃん」と結びついていったものと思われます。要するに尾崎亜美の楽曲と「明日葉」が結びつくにはそれなりの関連性があったといいたいわけです。さらに、「高松入口」の寮に住んでいる頃、あまりにも春の風がすばらしかったのでそれをエッセイに書き、同人誌「文芸東北」に投稿、掲載されました。「春の予感」と「春の風」ではちょっと違いますが、そこに醸し出される世界観は共通しているものがあると思います。自分が二十歳前後ということもあって、その若さからか、きらめいて華やいで思いだされます。

「明日葉」のあったあの通りへ行ってみよう、あの寮はまだあるだろうか?この自分の思いつきに、私はとても甘美なものを感じています。これから50年前に行ってみるんだ!しかし、バス停はどこからでているのかわかりません。何度かグーグルマップを見、台原方面に行けばいいことがわかりました。バス停は、仙台駅前ヤマダ電機の向かいあたりらしい。ちょうどバスが止まっていたのでためらいなく乗車しました。バス内に掲示している路線図を見ると、たぶん行けるはずでした。
実はこのトライは1回目は失敗しています。東照宮付近で降車したのはよかったのですが、小松島公園の方に歩を進めてしまい、目的を果たせず帰りました。その後、よくよく地図を再確認し、今日は2回目、
バスルートもたぶん間違いないはずでした。
市営バスは小松島小学校を左に見て過ぎ、狭い登り坂に入ります。なんとなく、記憶がよみがえります。バス停は「高松入口」「高松〇丁目」と続くようなのですが、坂道を登りきったあたりだった記憶と、「入口」で降りておけば辿り着くだろうという思いで、「高松入口」で降りることにしました。行く前から「高松入口」と確信していたわけではありません。

下車すると、過ぎ去るバスを見送ります。周囲を見回すのですが、どうもピンときません。この狭い道路をよく路線バスが走るなあと思うくらいです。暖かい4月の某日、バス停表示「高松入口」があるくらいだから、この辺のはずでした。バスの走り去った方に少し歩いてみることにしました。確か、この通り沿いに「いせや」か「伊勢屋」という商店があったはずです。一軒の住居脇の車近くに女性がいて、「伊勢屋」のことや「明日葉」のことを尋ねてみようかと心が動きましたが、どこからか嫁いできた方で50年前のことは知るはずもないと思えてしまって、やめました。
そこを先に行くと、当時の寮に入る道があるはずでしたが、その面影はありません。
寮の建物自体、もう姿形がありません。その辺りから道路が左へカーブしています。その感じに記憶があり、そこが間違いなく寮のあったあたりだと思いました。
そこで、バスを降りて来た道路を振り返ります。すると、道路の右側に三階建ての建物があります。「·······これか?」、「·····これかもしれない」、「これだ!これだ!」来た道路を振り返るとは、寮から出て左方のバス停に向かう、その視線で見るということです。さっき降りたバス停は道路の右側にあり、そのバス停を擁するように三階建てのビルがあります。この構図で見ると
確信が持てます。これが、あの「明日葉」のあったところだ!一階、右から2番目か3番目が「明日葉」だ!
上階に人は住んでいるようですが、一階は
シャッターが降りています。一軒も営業していない。私はこの通りの光景を前に茫然としていました。シャッター店舗になってしまっていることへの嘆きではありません。なぜ「明日葉」がないのか不思議でしょうがないのです。私は(時間的に)50年前へ辿り着くべく、(空間的に)市の中央部からバスで訪れているのです。ここは一体何なんだ?今、私は確かに50年前に来ていました。しかし、違います。これは50年後です。あの通りの50年後がこうだったのか!そう、当たり前のことに思い至ってみると、つくづく私は、50年前を求めて、カネボウ化粧品店「明日葉」と、そこにいるはずの〇〇ちゃんに会えると信じていたその馬鹿げた気持ちに気づきました。

50年後の現実

そうだ、ここは50年後だった。とうとう50年後まで来てしまっていた。自分の人生をあらかた費消してしまっている事実に愕然とします。未来が未知ゆえに輝く余地はすでにどこにもない。国内的にはゴタゴタに見舞われても、国際的には平和を貪ってきたそんな時代も終わってしまった。私はとんでもない所に来てしまっていました。自分の加齢に嘆く暇はないにしても、世界が殺伐とし、この国の将来に暗雲が立ち込めています。私はかつて体験したことのない感覚に捕らえられていました。この高松の地で私の目の前には茫漠とした空間や、広大な海原があるかのような限りで、足下は崖でしかありません。私は50年後という、いわば絶壁の淵に立っているのでした。
この国は、憲法に防衛力としての軍隊を書き込もうともせず、自らは敵と戦おうともせず、そんな国を米国が守ってくれるわけがない。皇期2682年の極東の国の存亡は
危機に瀕しているのかもしれない。私は50年かけて三島由紀夫が獲得していた場所にやっと辿り着いているのかもしれません。
バスを降り立ったあたりが、どうやらあの「明日葉」のところという実感が満ちてくると、何かこみ上げてきそうな感覚がありましたが、私は感傷を求めているわけではありません。
なぜ私は50年前に来ているのに、「明日葉」はないのだろう?〇〇ちゃんはいないのだろう?現実は変わり果ててしまっているのに、しかし、私の胸中にある50年前のシーンは、何一つ変わることなく存在していることも確かなことです。私は50年前に来たのではなく、50年前の胸中をひたすら
辿ってきていたのかもしれません。

残り少なくなった私の人生など嘆くにも値しませんが、子や孫の世代に、平和で民主的な国を残してやれる可能性の縮小に繋がりかねない今現在の状況は、時代の断崖を
ビュービュー冷たい風が荒れ狂っているようなものではないでしょうか。★


参考文献
・「米中対立」─ アメリカの戦略転換と分断される世界  佐橋亮著  中公新書
・「文化防衛論」 三島由紀夫著  ちくま文庫  「反革命宣言」「果たし得ていない約束」等所収


萌え町紀行─6 金沢八景



さよならは京急に乗って

この地との関わりが生じておよそ2年半。それがもうすぐ終ろうとしています。特に気にもとめていない女性の美に、ある瞬間に気がつくかのように、この地の何の変哲もない素材の逐一が、急に光を放ち出しているように感じられます。
考古学者のように、歴史学者のように、あるいは都市文化研究者のようには、鋭い視線で抉ることができないものの、といって単に観光客や束の間の来街者気分で書く気にもなれず、ここは「萌え町紀行」として
この町のどんな魅力を引き出せるものか、
この点ははなはだあやしい限りですが…
金沢八景」とは、そもそも地名ではありません。昔、風光明媚なことで金沢の八つの景色が人口に膾炙し、歌川(安藤)広重の版画はたいそう評判になったようです。広重は今で言う広報マンとして貢献してくれたことになりましょう。江戸城には「金沢の間」というこの地の景色を襖に描いた一室があるぐらいで、参勤交代の折りや、庶民の往還時にも愛でられ、現代の感覚で言えば、「そうだ、金沢八景に行こう!」という感じだったのかもしれません。横浜市の住所的な意味での地名はないものの、金沢区の南部のエリアであり、その南隣は横須賀市に連なっています。

主たる交通インフラは京浜急行電鉄と、横浜シーサイドラインがあります。一昨年の2019年、京急金沢八景駅は、すっかりきれいになりましたし、シーサイドラインとは乗り入れではありませんが、駅がつながり便利になりました。
金沢八景」は、かつての景勝地というその残り香が今あるに過ぎないという感じであって、歌川広重の「金沢八景」の各ワンショットを、現場を見たから、訪れたからといって、再現的に味わうことは難しい気がします。昔とはだいぶ風景が変わっているからです。たとえば、松島や天橋立などに接するようにはいかないところがあり、そこが弱いところでしょう。
また、地形的な変化として、内海であった広大なエリアが干拓されたことが大きいでしょうし、特に能見堂からの眺望が景勝とされたとは、現地に立ってみて昔は違っていたのだろうと、偲ぶしかありませんでした。家並みだらけの凡庸さなど、残念な思いが偽らざるところです。観光や物見遊山で訪れる、せっかちな現代人には、直接的でないと、振り向いてくれないかもしれませんが、しかし、私は工夫すれば昔日を味わう方法はあるのではないか、そんな気もしています。

金沢八景すなわち、
内川暮雪(うちかわのぼせつ)
乙艫帰帆(おっとものきはん)
小泉夜雨(こいずみのやう)
称名晩鐘(しょうみょうのばんしょう)
洲崎晴嵐(すさきのせいらん)
瀬戸秋月(せとのしゅうげつ)
野島汐照(のじまのせきしょう)
平潟落雁(ひらかたのらくがん)

これらをしっかり辿ろうとした場合、絶対に不可能なのが、まず乙艫の帰帆で、何故なら昔の帰帆(帆船)が今はないからです。称名の晩鐘も、称名寺で釣り鐘自体を見ることはできますが、日々昔のように鐘を突いているようには思えません。もしかしたら、大晦日には鳴らしているのかもしれません。また、平潟の落雁は、雁の身からすれば、往還する船舶が頻繁過ぎて、モノレールもチョコチョコ動き回っていて、とても落ち着けない状態で、昔のように雁の群れが降り立つとも思えない、そんな感じがします。(そもそも雁は、きょうび燕もだいぶ少ない時代、しっかり渡ってきているのかどうか…)

それと、広重の版画絵のシーンにこだわるなら、八つの内二つは見ている場所ではなく、遠くから見られているシーンになっています。このことを明確に語れるのは、称名の晩鐘と野島の汐照です。称名寺と野島は、別の地点から遠景で描かれているのです。他の六景は、その地にいてその地を描く構図となっています。言い方を換えれば、称名の晩鐘を眺める図、野島の汐照を眺める図に対して、他の六つは例えば小泉にての夜雨の図、瀬戸にての秋月の図となっているという意味です。さらに、現代でも各地を満遍なく回ることはできたとしても、晴嵐や秋月や暮雪など、それぞれに季節があるので、厳密に辿ろうとしたら、一年がかりになるでしょう。
最近見つけた金沢八景図(京急ウイングキッチン)

この「金沢八景」は、歌川広重の手に依るものとは言われますが、企画は当人でない、との文献資料に接したことがあります。江戸時代から観光殖産的な発想はあったようで、誰か企画者が人気の広重に版画を彫らせたようなのです。版画はかなり売れたようですから、その企画者も利益の分配を受けたのでしょう。
このような企画者という視点から思うに、
八つの土地に一年をめぐる企画性を盛り込むという、空間と時間をミックスしたこのプランは結構よく考えられています。金沢の地に一年中、満遍なく集客しようという戦略が見えるからです。さらに、訪れた人は、別の季節の風景が気になり八景ワンセットの版画を入手しようとするからです。今ではない季節は、今後訪れる時のためにも、訪れることができない時のためにも、帰ってから人に語って聞かせる時のためにも、価値があり、その点での需要喚起が企画されているのは、なかなかの商売人の発想がうかがえます。

私は京急さんを、日常的に品川から金沢八景まで利用している身ですが、駅や車内の広告物を通じて、金沢八景のアピールには接したことがありません。夏といえば観音崎、食では三崎などがよく伝わっていると感じられます。もちろん、沿線ガイド的なパンフレットも駅には置いてはあります。しかし、金沢八景をその代表的一例として、沿線の歴史遺産や現代資産を活かしきれていないような気がするのです。例えば、昨年「仲木戸」の駅名を廃止したセンスを私は批判しています。以前のコラムで書きましたのでもう繰り返しませんが。

品川~仲木戸(現在は京急東神奈川)~横浜~弘明寺~能見台~金沢八景安針塚~汐入~横須賀~浦賀久里浜、これらの歴史価値、現代価値を、大いにアピールしてもらいたい、そう思っています。羽田空港までの足としての訴求は定着したでしょうが(くりぃむ頼み)、交通インフラ産業として、各市や町とのタイアップを行ない一大事業として推進できないか、と空想しているわけです。西にはJR西日本、東には京急電鉄と、互角に並ぶぐらいにならないか、と願っています。京急さんは「三浦半島」の打ち出しは行なっているのですが、語っている図体が大きいだけで、具体的なイメージが伴っていません。それは結果として三浦半島を感受してもらうべきもので、明確な粒だったイメージの積み重ねが欠けているように思います。

「そうだ、京都へ行こう」より「なんだか、京急に行こう!」という気分を醸成できないか、そんなノリです。何せ京急電鉄さんは、JR(国鉄)より開業は早いのですからね。私は京急さんを批判しているわけではなく、何というかハースリーベ的な執着、わかっていただけますかね。金沢八景に来る以前から通算すれば、京急とのお付き合いはもう6年目になってもいます。もっと大きく言えば、日本は三浦半島の重要さを全然学んでいない、正当に評価されていない、そのように考えています。別の言い方をすれば、この6年を通じて私はこの地の地政学的、歴史的、文化的重要性、日本の光と影を学んだと振り返っています。
ビルに散在する金沢八景図(京急ウイングキッチン)

常々私は、現代において金沢八景を新たな遺産として、脚光を浴びせるプランがないかと模索しています。アイデアは生まれてもそれを具現化する実力が伴っていないので、即実現とはいかないのが正直なところです。ところが、数日前に、その実例というべきものが見つかり、ちょっとうれしい気分をもらっています。

金沢八景駅が新しくなったことに触れましたが、昨年2020年に、「京急ウイングキッチン」が駅直結でできています。大きくはありませんが、駅ビルには違いありません。京急ストアタリーズコーヒーセブンイレブンなどがあるこのビルには、上掲した写真のような金沢八景図とキャプションがあるのです。
この駅ビルがオープンしてから、まったく知らずに通り過ぎていましたが、先日「あっ」と気がつきました。デフォルメして簡略化したイラストと、添えたコピーをじっくり見、読んでみると、現代の感覚に触れるようで、なかなかいい!なんか、ほっこりとした気持ちになりました。これだよ、これ!と思っていました。
その存在に気づいてから、八つの絵を探し回りました。1ヵ所に八景があるわけではないのです。1階、駅改札口のある3階、それと4階、しかも、まとめてあるのではなく、エレベーター乗口やビル出入口付近とか、八景を散在させているのです。これは実際の八景の散らばりを模倣しているようでもあり、また演出しているようでもあり、ビル内で探し回るのが、ちょっと愉しい。こういう遊び心がうれしい。
この表示版はセラミックタイルなどで作られているのかと想像していましたが、よく見ると、スチール素材のものにプリントしたかに思われます。それはともかく、アイソタイプ的に単純化した、むしろマーク的なサインとも言うべきこの抽象化翻訳がおもしろいと感じられます。キャプションコピーも、そのイラストの世界観に合わせるかのようなトーンがみずみずしく感じられます。ここには広重が版画で写実的に描き出したタッチから飛躍したクリエイティブがあると思わせます。

ただ言わせてもらえばディレクションに、もう一工夫欲しかったのではないか。どういうことかというと、イラストは単純化を志向して可愛らしいマークのようです。一方、キャプションは風景を解説する分、写実で追いかけるのですが、語られる説明文の風景が、イラストでは一部捨象されてしまっているのです。広重の絵にはある人物や島が描かれていません。ビジュアルとコピーのアンマッチが生じています。この部分についてディレクションどうよ、というわけです。端的に言って、イラストレーターとコピーライターがそれぞれ別に制作し打合せがなかったのでは、という感があります。ここにディレクションの不在を思うわけです。

イラスト表現に即して言えば、もう少しタッチを変えて人物描写をできるようにするか、イラストをこのまま活かすなら、広重原画を説明する写実コピーをやめて、ファンタジックに翻案できないかという気がします。しかし、これはかなり微妙なところです。イラストをもっと微細にしたら、このマーク的な良さに影響しそうだし、コピーが遊び過ぎると解説性が遠退きます。
ここで、比較の意味で駅3階改札の中にある、金沢八景図を写真で示しておきます。これは、クラシック版とでもいうべき、よく見る広重の版画図です。これと比べると、先ほどから触れているイラストサインの咀嚼度がよくわかるのではないでしょうか。
私は京急ウイングキッチンに配置された現代の金沢八景図に、表現上の工夫に加え、
企画の広がりのようなものを感じています。このプランニングを拡大すれば、どういう形かで、現代版「金沢八景」を現出できるのではないか、そういう構想を持っています。本当はこのアイデアは言いたくない(せこい!)のですが、成功すれば「なんだか、金沢八景に行こう!」ブームを起こし、京急さんの繁盛に、金沢八景の発展につながらないか、と妄想をたくましくしています。
まず上の写真を見てください。左に「史跡 金沢八景」と表示があります。この「史跡」の意味ですが、今となっては広重の絵の中にしか存在しない風景なのに、どんな痕跡や足跡が残っているのでしょう。念のため京急本社に問合せしています。もし本当に「史跡」の片鱗でも具体的な「跡」や「物」があればそこを知りたいところです。もしかしたら広く捉えて広重の版画の存在を、そのように表しているのかもしれません。しかし、写真の記載を見てわかるように、「名所案内」とあって、「瀬戸明神」「琵琶島弁天」「九覧亭見晴丘」「伊藤公別荘」と来れば、それぞれ現存しているものばかりです。その次に「史跡」と来れば、その脇に書かれた八つ景色の何かがあると思うのは自然ではないでしょうか。私は、八景のそれぞれの地に、立て札のようなワンポイント的な何かがあるかもしれない、と期待しているわけです。

広重の絵の構図にこだわらなければ、例えば「洲崎晴嵐」を分解すれば「洲崎」の地の「晴嵐」ですから、八つとも最初の二文字は地名です。「内川」と「小泉」は地名が残っているか不確かですが、でも、なんらかの追跡はできそうですし、あとの六つは、ピンポイントとはなりませんが、場所を特定できます。私の確認では、一部を除いて、町名(瀬戸、洲崎、平潟、乙艫、野島)と史跡など(瀬戸神社、称名寺、平潟湾、野島)が残っています。ですから、遺跡でもいいのですが、何らかの「跡」や「物」が残っているかも、と思っているのです。
能見堂跡からの眺望。わずかに海が見える。

それが残っていたにしろ何もないにしろ、一つ考えられるのは、京急さんがナイアンティック社と連携して「金八GO」をプランすることです。特定の地域に行ったら、広重の絵または全く新たな再現図がスマホに出現するというわけです。これは、現代のソフトウェア技術が過去と現代をつないでしまう、とてもファンタジーに溢れています。スマホがタイムマシンになる話です。どうでしょうか。
すでにナイアンティックさんが、日本の観光地にこんな企画を売り込んでいるのかもしれません。米国さんは、日本でビジネスするのとってもお上手ですから。三~四年前、ナイアンティック社とポケモン社とが組んだ企画で、日本の各地は集客策として「ポケモンGO」に飛びつきました。私は、それを取り入れた各地を蔑んでいます(アホか!)。その地域に根差した集客には、1ミリも関係ないのですから。一回は来るでしょう。こんなことをやっているから、米に負けるのです。米は食わなければならないのです。しかし、私が考えるくらいですから、誰かどこかでこのプランはやっているでしょう。
他には、実際に今「金沢八景」の史跡がないとして、それを作ってしまえばいいのです。場所決めとその土地を借用できれば、どんなものを作るかは、ビューポイントとして何かを設置したり、八つのミニ展示館を八ヵ所に作るなどでもいいし。ただ、費用が京急さんで持てるか、ですが。でも、
クラファンという手もあるし···。いずれにしろ、具体的な何らかの観光名所を作ってしまう方向です。
また、コンペで現代イラストレーターに「新金沢八景」を描いてもらう、というプランもあります。イラストの方向性は、現代の良きシーンを切り取ることから、広重の版画を元にデフォルメすることまで、そのアイデアが肝になってきます。

まあ、こんなことを京急電車に揺られながら、妄想しているわけです。冒頭で軽く触れましたが、私は、あと二~三カ月で金沢八景とは縁が切れます。本質的には離れることで縁が切れるのではなく、私が京急エージェンシーさんに企画を提案できる具現化能力がないだけなのですが、でもカスのようなプランでもあの赤い電車に揺られていればこそ、ということもあるわけで···。

「萌え町紀行」は6回目になり、コンセプトも以前記事にしたようには肩肘張らずに語れそうです。いわゆる「紀行文」は自分が行きたい所に行って、観光的に、訪問者として書くものと区分けしましょう。一方「萌え町紀行」は訪問者としてではなく、仕事なり居住なりまずその土地と関わる理由が先にあって、そこで生成されるエモーションが制作動機になる、という違いです。たとえば誰もが知る有名女優に憧れて彼女の魅力を執筆するのではなく、日常的に近くにいた女性のきらめきを発見する、出会う、そのインスパイアで記述する、こんな言い方で伝わるでしょうか。
実は、「萌え町紀行」自体を登録商標にしたいと目論んだことはありますが、費用と手続き的なことで実現していません。しかし、根本的には私が「萌え町紀行」を書き続け、結果としてそれが普及すればいいことです。「金沢八景」がいつの間にか実質的に地名になっているように、です。

「萌え町紀行」の第1回では、金沢八景の少し先の「汐入」をテーマに書きました。京急電車の疾駆する赤い車両は、私の「汐入」に対する熱い想いとともに、混然とした美しいイメージとなって、いつも駆け抜けているのです。銀河鉄道999は何となくブルーの印象があるのですが、私は疾駆する「赤」に魅せられています。それは、心情の、思い出の、夢の、青春の、人生の、文学の、思想の、哲学の、仕事の、生活の、私のありとあらゆるものが収斂してそこに滲んでいるように思えます。

さよなら汐入 さよなら金沢八景

京急でつながるこの地は、私の胸にある大空に、これからも赤く染まった、美しく駆け抜ける車両イメージを羽ばたかせ続けることでしょう。

すでに、私の脳内オーディオでは大好きな
のテーマが流れはじめています。
私の世界はいつも
「My Favorite Things」 
にあふれています。
季節はまさに
「November Steps 」であり、
「Good Day」というより
「Goodbye Happiness」に近い。でも、
さよならの向こう側へ行っても、
たぶん、ずさみ続けているでしょう。
「またしてる」を。









太田光に反省は要らない

10月31日のTBS選挙特番での太田光の言動が炎上していることを知った時、ついに来たか、と思ったものです。いつかあるかもしれない、と彼の発言に触れるたびに感じていたことが起きてしまい、こんなに早かったか!と少し複雑でした。つまらないことで騒ぎに巻き込まれることを懸念していたからです。
太田は、自分は立憲民主党に「投票した」と語ったらしいことが伝わってきたし、特番中の発言は、TBSに言わされている感、使われている感があるように思えて、急に彼がピエロに見えてきました。
光代社長は必死で火消しにツイッターで発信していたようですが、火に油を注いでいるのでは、ともとれました。そのうち、このことについては、アカウントを乗っ取られた発言もあったようですが、乗っ取られたのが本当なら、太田をガードしようとする光代社長の必死の思考が実にリアルに出ていて、面白いところでした。タイタン事務所にとって由々しきことであり、一大事発生なのでしょう。その辺、乗っ取り犯は、巧みに太田夫妻を見抜いています。この点では、真に乗っ取りだとしたらリアリズム的には成功した表現を達成しているとも読めます。

その後、来る日も来る日も、このことに関して、様々な人の発言が出てきて、日本が今のところ平和だと感じさせるものがありました。あまり気にも止めずやり過ごそうとしているのに、次から次へと非難・批判の動画があがってくるので、本気で気になってよくよく観察していると、そもそも誰がこんなことを言い出したのだろう、どういう人が批判しているのだろう、などと、興味が湧いてきました。

まず、事実関係の要点の確認ですが、番組の中で太田は落選した甘利明に「ご御愁傷様でした」と言った点や、当選となった二階俊博に「人相悪い」や、「いつまで政治家を続けるのですか」とコメントしたことが問題とされているようです。また、彼が「ウッヒッヒッヒ」と笑いを交えたことも感じ悪いことになっています。

しかし、私の個人的な結論を先に言えば、太田光は何も問題ないと思っています。
私に届いた一報はすでに炎上していて、冒頭に書いたような印象を持ったわけです。ここで、推測でしかないのですが、放火犯人がどういう人なのか、見てみたいと思います。まあ、着火した連中と、それに乗せられた輩は別者かもしれませんが。

炎上パターンからすれば、ツイッターなどでネット民から起きて、騒ぎが広がり、その後言論人がそれを分析、批判する形で燃え上がったのだろう、と見ます。(厳密に最初のチャッカマンが誰かはわかりません。)太田は、自分が「立民に投票した」とも語ったらしいので、自民党の応援者は太田憎しの感情にまず着火し芸人が何を言うか!と思ったのかもしれません。そこには、すでに芸人として成功し、富も築いた彼に対するヤッカミもあったかと想像します。しかも地上派TVのMCとしてのポジションも手中にしているわけです。彼のように庶民から芸一筋で登り詰め、日頃からアブナイ発言をしているヒトは最初から狙われていたと言えるかもしれません。
左利きのネット民も、正論をかざし「不快だ」などと太田タタキに便乗した可能性があるのでしょう。

次は、目立つのは右利きの言論人の批判です。どういうメンツかと言うと、山岡鉄秀、朝香豊、平井宏治、阿比留瑠比、坂東忠信、加藤清隆、西岡力、ホンコン、上念司、KAZUYA、宮脇睦などが、批判の濃淡はあれ、異口同音という感じです。「不快だ」「歳上の人に失礼だ」などの、耳を疑うような良識家ぶったコメントなので、おやおやどうしたのか、と思ってしまいました。また、TBSを非難する意見も多く見受けられます。TBS社長肝いりの太田起用だったわけで、日頃から地上波TVを問題視している彼らにすれば当然のことでしょう。
関連して松本人志も「歳上の人に言うべきではない」との意見を語るのを見て、全く下らないと感じます。常識人ぶるのは止めて政治的なことにも触れ、ヤバい発言を一度でも言ってみてもらいたい。

私が思うに、保守系言論人はふだんから太田の言動に接しているとは思えません。まあ、地上波TVの番組チェックの中で、太田を見ることはあるかもしれませんが、漫才はじめ、上田との応答や伯山との問答を見ることはないでしょう。全然太田を知らない連中が地上波憎し、TBS憎し、の延長で太田をディスりにいっているように見えます。それに、芸人の分際で!というどこか小馬鹿にしている本音も感じられのです。「政策で突っ込むべき」「自分の意見を言うのではなく相手の意見を聴き出すべき」「もっと事前の勉強が必要」···そんな正論こそ要りませんから。薄っぺらぺら!

太田が実際に甘利や二階とやりとりしている逐一を確認してみましたが、全くいつもの太田でした。たっぷり時間をかけての討論の場でもなかろうに、政策やら、政策もどきやら、そんな時間もない中での、丁々発止のフットワークの場で、「甘利さんお金の問題は···」とか「二階さん人相悪くないですか」は、実に胸のすく一撃であったと思います。こんな直球は彼でなければできないことです。「政治家いつまで続けるんですか」などは、まともな国民ならもっとも言いたかったことではないか。
そんな中、比較的冷静な太田批評になっていたのは、「KAZUYA CHANNEL GX」でのKAZUYAの分析や、「WiLL増刊号」での白川司のコメントだったと思います。そもそも彼らは太田の言動をよく知っているのです。ここは、炎上したことだけを見て太田を非難した保守言論人との差がくっきりと際立ったのではないでしょうか。上念司は太田をよく知っているとした上で批判していましたが、常識的でまったくつまらないものでした。炎上ネット民に迎合しているだけではないか。

ネット民はいつでも「炎上チャンス」を狙っているのであり、いつでも着火、放火しようとして、100円ライターを持ち歩いているのです。わが国のネット言論の成長過程、まだまだ未熟な状態と言わざるを得ません。この点で、可燃材料として太田は狙われていたのかもしれません。
太田も日頃から明確に政治的な立場を明確に表明することは、たぶんなかったのではないでしょうか。笑いがとれればいいだけの芸人と思われる中で、本人自身そう振る舞ってきたのではないでしょうか。
芸人に関わらず、俳優、歌手など、芸能人も政治的な立場を明確にすべきだと思います。日本はGHQの洗脳工作に未だにかぶれていて、全く幼稚なまま戦後70数年を迎えています。今回の選挙で自民が勝ちましたが、待ったなしとなった憲法改正も、国民がどこまで付いていけるかは、疑問が残ります。

そういう今、そのあたりの急先鋒となる可能性を太田は持っていたと言えます。漫才の中で政治批判に触れるやりとりは、散発的であり、まったく甘いものだとは思います。そこが狙われる由縁です。「こいつ芸人だけどしっかり考えもっているじゃん」と思われれば、周囲はみだりに突っ込んだりしないでしょう。そこ、ガッツリと表明すればいいのです。もちろん光代社長からの禁止令が出る可能性はありますが。ですから、ここはわが国の言論が成長できるチャンスの局面と言えるわけで、ここで太田を萎えさせてしまったら、未完の大器に終わってしまいます。彼自身がそちらの方向に自己を蛻変させる志向を持っているかはわかりませんが。

右利きの先生方は、太田の攻めどころを間違えています。二階の「顔のこと言うのは失礼」だと!百田尚樹先生は虎ノ門ニュースの中でたびたびMCから「顔のこと言うな」と諫言されているではないですか。自分たちは、安全な右界隈のネット番組の中で言いたいことを言っているだけではないか。地上波で一度言ってみろ、と申し上げる。これをやるのは太田ぐらいなのですよ。
そもそも太田は、ドン滑りする発言、場の空気を読まないセンスが持ち味なのであって、それを二階に失礼などとはその指摘こそ滑っています。中国とズブズブでは、二階の人相が悪くなるのは当然であり、まともな右利きなら、よくぞ太田言った!と喝采すべきところでしょう。私は、日頃から右の論陣を張っている先生方が、こんなに浅ましく見えたことはありません。
阿比留先生などは、「TBSの悪意を感じる」とまで不快感を表していますが、こんな終わっているTV局を相手にしてどうするのですか。

太田は今回、立民贔屓を吐露しているわけだから、保守系言論人としては、そこを攻めるべきではなかったか。立民に国家観に基づいたまともな提案力などないし、共産党と共闘した段階でアウトでしょう。そこを攻めなくては!
全く突っ込みが足りない。思想信条の自由を思って遠慮したのでしょうか。実は、太田が自らの政治観をきっちり表明したことがないとすれば、もしかしたらボケで立民の立場に立ち甘利や二階をかましていたのではないかとの疑念も残るわけで、そこが突っ込み不足ではないか。あるいは、光代社長が蓮舫と昵懇の写真も出た以上、太田の本心は左にシフトしていることが、今回初めてさらされたのかもしれません。だとしたら、そこを抉るべきだったのでは、という気がします。芸人のくせに何の知識もない奴とたかをくくっているから、攻めきれていないわけです。太田の政治的スタンスは、本当に立民なのか?

今、こんなにヤバい世界情勢の中で、全く場違い、別世界のお花畑で日本の選挙が行なわれています。ほしいのは成熟した議論です。朝ナマのような、わめきあうだけのものではなく、たとえば、最近比較的冷静な議論になったのは、竹田恒泰ロンブー淳との選択的夫婦別姓問題についてのやりとりでした。淳はしっかり聴きたいというニーズがあったし、竹田も論破するというより、ティーチングに努めたようなもので、見ている方も理解が深まる効果があったと感じられました。

私は、立民を支援する太田の思想信条を冷静に聴き出すべきだと思っています。そういう場を作り、議論させればいいのです。
ある意味わかりやすい太田のような存在を通じて、政治議論が日常的に行なわれるようになればいいし、芸能人であろうが「政治ネタはタブー」をやめて、日本はまともに、大人にならなければならないのです。
政治家も憲法ネタや軍事ネタは票にならないと避けるのではなく、真っ向から議論できる風土を作らなければならぬ。マスコミや、特に地上波TVはその責任があるはずですが、まあ、それは期待できないとして、ネット番組ででも、これ、すぐ企画できるはずです。

太田も、漫才の中でチョロチョロ政治批判を出すのはいいとして、まともに意見を開陳すべきではないか。そうすることで、もっと大きな太田になり得るのではないか。
日本に必要なのは、政治言論を活発に空気のように語り合うことだと思います。そこが成熟できないで、憲法改正論議も青いままでいては末代までの恥、永遠の禍根となりかねません。だから、ここで太田を潰すのではなく、太田を使うべきではないか。
日本は変な国です。反日の大学教授、作家、弁護士、政治家、知識人がのさばっています。米国の洗脳工作がいまだに解けていない、悲しい東洋の島国です。このままでは機を見てアメリカに見捨てられ、中国に割譲されてしまうのではないか。脱炭素などというまやかしの論議にのせられ、日本の産業を潰され得る経済弱体化工作も進行しています。わかりやすい中国の反社ぶりなどとは違い、日本はアメリカの精妙な支配下にあり、いつでも放置される程度の関係と見るべきでしょう。日本の成熟した議論と憲法改正にとって、辛辣な芸人太田光を活かせるかどうかは、その試金石として私の目には映っています。日本国が御愁傷様とならないように、国民一人ひとりの覚醒が必要ではないでしょうか。★



山とり爺さん 第2話

今日もお爺さんは、山とりに街へ出かけました。世間をパトロールし、「ちょっとおかしくね」と眉をひそめたり、「これはいいね」と褒め称える、そんな高踏的な振る舞いをルーティンとしているんだとさ…

商店街の一角にこのコインランドリーを見つけた時は、「おお、ハイテック!」と思ったものです。確かにこのランドリーはデザインが良い。洗濯機もどんな先端技術を駆使しているのか、今度、洗濯ものを持ってこようか、と思わせるものがあります。

ところで、家庭用洗濯機もずいぶん進歩していて、以前から全自動は当たり前になっているようです。洗うパワーも昔とは違い、相当ではありませんか。おかげで、衣料品がすぐボロボロになってしまうぐらいです。ここに、家電メーカーとアパレルメーカーとの共犯関係をみるのは、陰謀論過ぎるでしょうか。Tシャツの衿口など弱い部分からほつれてきます。靴下などは、一定期間で確実にダメになってきますよね。

靴下は、ブランドものでしっかり作られていると思っていても、確実にダメになってきます。劣化作戦が製造時点から仕込まれているのでしょう。これは洗濯機の問題ではなく、靴下メーカーの問題です。業界の同じ、靴下メーカー同士で暗黙の合意があるのでしょうね。一足10‚000円でもいいから、一生壊れない靴下なんて、絶対作らないだろうと思います。

ところが、100円ショップの靴下がすごいことになっています。すぐダメになるだろうと思って買ったのですが、いやいや、結構持つのです。色のバラエティが不足していますが、そのうち整うでしょう。百貨店やスーパーの商品はどんどん追い上げられているように見えます。

今、花森安治の「暮しの手帳」のような雑誌があったらいいのですが…と言っても、今の人は知らないでしょうね。一時代を画した消費者目線の雑誌ですが…あ、何とかいう似た雑誌あったような気がするのですが…

そうそう、洗濯機のことでした。山とりジジイとしては、洗濯板と石鹸でゴシゴシとやりたいのですが(山とりジジイは明治生まれ)、しゃがんででは腰に響きますのでここはやさしい二層式洗濯機あたりで十分なのですが、家電売場に行ってももう見あたりません。全自動洗濯機とは、欧米的でガサツです。少し抽象度をあげて言えば合理性の追求だけです。合理性の権化に思われます。何もかも1ヵ所にぶちこんで、洗剤入れて回すだけ。ここ、もう少し日本的な製品思想のある洗濯機を、開発する余地があるような気がします。

韓国の足で踏みつける洗濯は、衣類に対する愛が感じられません。韓流ドラマでは、未だに足でやっているシーンが出てきます。自国の文化的特徴の色づけとして、気どって演出的に足踏み洗濯シーンをお使いですが、お宅の国の伝統芸、すばらしい。食卓での立て膝や、手に持った箸で食卓を突く所作同様に、反日国家の民度がよく表現されています。パチパチパチ!
2018年、わが国軍自衛隊機をレーダー照射してくれましたね。山とりジジイとしては、貴国の生活文化をロックオンさせてもらいますから!イザベラ·バード女子が貴国のすばらしい文化を世界に広めてくれました。88888!

写真は有名な伊豆の大室山です。山とりジジイは山が大好きで、最近は大室山ならぬ小さい「小室山」が世間を騒がせています。おめでたく、祝言も整ったようです。  

先日勤務先でのこと「小さい室」が米国での経歴詐称トピックが報道され、そのことで女子社員と二言三言しゃべった後、そこに年配の男子社員が来て「二人のことはほっとけばいいのに。どうして世間は騒ぐんだろうね」と、放ちました。そこは会話を進展するような空気ではなく、私も話を展開させる気も起きない、些細なやりとりでした。
(内心『先輩、その程度ですか、残念』)

私は「お里が知れる」と思っていました。自説や見識のなさを自らバラして気づかない輩がいるんですよね。こういうところに日本の腐れ加減をみる思いがします。皇族の婚姻問題をちまたの男女の恋愛結婚問題レベルでみる、その態度と程度。これなら、まだ税金の不適切使用と騒ぐやつらがまだ意識があると言えます。いかにわが国の教育がなっていないかの証左でしょう。

恋愛問題に還元して言うとすれば、成就する道はあったかもしれない。それは不敬にあたることで書きませんが、それにはお二人とも歳をとり過ぎたでしょう。そうではなく、結婚問題として言うなら、偏にこれは「皇統」に関わることです。国体にとって由々しき問題と言わざるを得ません。国内であろうが米国であろうが、邪悪な「小さい室」は本人の意志を超えて、他国から政治的な利用機会を呼び寄せることでしょう。わかりやすい例え話にするなら、C国が万世一系を破壊すべく「小さい室」を送り込んだ、というような構図です。彼の美意識に日本的な振る舞いの片鱗もないことから、他国からなのか、他国経由なのか、バックアップ者の存在がすでに語られています。今後世界は、日本を貶めるべく影響力を行使するでしょう。その意味で小室山戦争はすでに開戦しているのかもしれません。日本国の皇統は、世界の他国がどんなに真似しても不可能な、尊厳(ディグニティ)に満ちています。妬ましくてしようがないわけですよ。
『先輩、皇統を勉強してください!日本を滅ばすのは、あんただよ!』

これは、一瞬では何の看板かわかりかねます。もちろん、バイクマニアならすぐわかることなのかもしれません。
要は、バイクの長期駐輪場というに尽きるかと。長く乗らないバイクをしっかりあずかりまっせ、ということのようです。どれだけニーズがあるものやら検討がつきません。貸し倉庫にも、自転車の駐輪場にも不適な事情があり、こんなことを考えたのでしょうか。車の購入は駐車場があることが必須でしょうが、バイクはそうではないのでしょう。しかし、住まいから離れた場所に置こうとする人いるのでしょうか?よくわからない話ではあります。
珍しい看板のような気がします。

以前、道路交通法の変更があり、自転車は車道を走ることになったと理解していました。ところが都内を歩いていると、自転車が歩道をガンガン通り抜けていきます。
「君、道交法違反につき逮捕する!」と常々怒鳴ってやろうと思っていました。ところが、写真のような標識がある歩道は通行可能らしいのです。
ロードレーサーで遠距離走行する場合はそもそも車道しか走りませんし、何のための法改正だったのか、理解できません。
お母さんが自転車に子供を二人乗せることも許容されたかと思いますが、これは画期的だったという印象です。
狭い歩道を、買物袋を下げた歩行者と、そこをすり抜ける自転車の共存関係とは、狭い日本の器用な「お家芸の一つ」とでも言っておきましょうか。

この掲示板の脇を通る時、死亡が「0」だと救われたような気になります。数字が入っていてほしくないなあ、と恐る恐る見てしまいます。

この表示板を見ていて常々思うのは、国会の審議結果について、「昨日の審議事故」としてあまりにひどいものには「死亡」レベルとしての件数を、問題ありと見なされる審議については「負傷」レベルとしてその件数を日々掲示できないか、です。この交通事故表示の下でもいいし、警察が、それはうちの管轄ではない、というなら、病院とか、郵便局とか、新聞販売店にでもいいのですが。

並行してネットでその内容を報道していきます。たとえば、一昨年の森ゆうこ議員の質疑はあまりにも杜撰、低劣、国民にとって「死亡」レベルだったと思っています。昨今の国会議員の劣化は凄まじく、日常的に全国津々浦々彼らを評価、批判するしくみがつくれないか、と思っています。

そもそもマスコミは偏向しているだけではなく、政治を動かせると思っていてその傲慢な体質を何とも思っていません。国民をバカにしています。そこで、マスコミに頼らない方法がないか、と考えています。今、国会議員の仕事ぶりを採点するしくみがありません。ならば国民がやっちゃえ!というプランです。

国会議員審査委員会を発足させます。数人程度のメンバーを決め、その後、議員の採点・評価方法を決めます。また、街の表示板からネット記事の作成まで、告知方法を検討します。委員は匿名、無報酬とします。目的は、国会議員を評価し、それを公表することにより、国民の意思を選挙で反映させやすくすることにあります。

実は国会議員の仕事ぶりとして、国会で何回質問したか等を記録した通信簿のようなものがあると聞いたことがあります。しかし、それ一般に公開されているのでしょうか。国会だけではなく、部会にも参加したり、議員としての法律を提案(議員立法)したり。それを行っていなかったり、できない議員が多過ぎるのです。まったく、議員を職業くらいにしか思っていないから、学歴詐称したり、私用の交通費に議員のパスを使ったり、審議中に昼寝したり、枚挙に暇がないのではないか。低レベルの議員を排除するしくみを作りたいのです。

選挙に関わらず、日常的に審査委員会は議員を採点、評価したものを公表します。公職選挙法に抵触するようなら表現方法等を考えます。公示期間は公表を停止します。知名度だけのタレント議員や、親の名前だけに乗っかっている議員…政治家としての資質評価を具体的にさらされるようにしたいわけです。随時地方にも展開します。地方自治体ごとに組織を置き県会議員、市議会議員についても、同様の機能を持つ審査委員会を構成していきます。

日常的には、審議事故表示板に国民にとって死亡レベルのできごとがあれば、その数「1」を表示します。この数の意味は国民にとって死亡レベルほどにひどい、ということです。その事故の加害者は国会議員某かは明確なわけです。そこで、その表示板の数字「1」の下に例えば「加害者 森ゆうこ」とまで表示するようにします。どうでしょうか。愚劣な議員の名前はこうして、国民に知らしめるわけです。

新潟県有権者の皆さん、森議員のようなすばらしい方を選出して、さぞ鼻が高いことでしょう。同情申し上げます。再来年の参院選では、落とし前をつけろよ!

この看板を見た時、思わず唸ってしまいました。『すばらしい!』

強さは優しさのために 優しさは強さを持って

文武両道の精神としてはもちろん、これは国防のことを言っているわけです。イージスアショアを止めた大臣がいましたが、武器さえなければ平和がくると思っているお花畑の人が多過ぎます。強くなければ、交渉力にもなりません。理想は武器のない世界で平和が保たれることですが、国家の領土を拡大したい欲ばり爺さんが、当たり前に存在しています。優し過ぎる、おバカな日本を他国が虎視眈々と狙っています。

ムキムキのプーチンさんや、熊のシュウさんはじめ、北の方のキムさん、南の方のどうでもいいレベルのムンさんなどなど。
北の方のキムさんと言えば、拉致の国です。拉致問題で常々私は不思議に思っていることがあります。それは、拉致された方は何百人といるのに、何故横田めぐみさんの名前だけが出てくるのでしょう。おかしいと思いませんか?何故、横田さんが拉致被害者のシンボルになるのでしょうか。同じように若くして連れ去られた女性は他にもいるでしょう。
もう1回言いますね。

横田めぐみさんが拉致被害者たちのシンボルになる理由は、何なのでしょうか?

この分野の専門家、たとえば救出する会の代表西岡力氏などから、このことに触れるコメントを聞いたことがありません。おそらく西岡氏に限らずこの分野の専門家はご存知のことなのでしょう。時がくれば、それが語られる日が来るのかも知れません。それにつけても、ぺこぱの「時をもどそう」が、拉致被害者の方々に対して実現できたらいいのですが…

さて、岸田政権になって国家安全保障戦略(NSS)について本格的な取組みを打ち出しているようです。これは、第2次安倍政権が作ったのですが、岸田総理は防衛費の増額も考えているようで、ここについては
期待したくなります。何はともあれ、国防なくしてこの国の先行きはありません。日本の悪しき縦割り行政を突破する組織体系はできているわけですから、あとは、どれだけ実行できるかにかかっています。われわれ国民は岸田内閣の実行ぶりをチェックしなければなりません。

真に強くなければ、優しくはなれません。
国家が強くなければ、国民に優しくはなれません。
優しくすれば友好的になれると思うのは、
日本だけです。だから、そこをつけこまれるのです。強さを背景に振る舞う外交でこそ、友好が生きてきます。






山とり爺さん 第1話

今日もお爺さんは、山とりに街へ出かけました。世間をパトロールし、「ちょっとおかしくね」と眉をひそめたり、「これはいいね」と褒め称える、そんな高踏的な振る舞いをルーティンとしているんだとさ…

私は、こういう奇を衒った打ち出し方には
鼻をつまんでしまいます。何屋さんか、わからないことで惹き付けようとする、心根に全く好感が持てません。
目立とうとする店舗デザインも、何なんでしょうか。本当、何屋さんかを突き止める意欲も湧きません。
さよなら!

口直しに、こんなお店なら、今度入ってみようかな、と思う事例です。
タイプフェイスとカラーリングが美しい。センスの良さが伝わってきます。「ミライザカ」のネーミングもサムシングエルスが感じられるし、登録商標と判子マークも効いています。
食べ物屋さんの看板はこうでなくちゃ、と思わせる、なかなかのデザインです。
もしかすると、このデザインモチーフの原型はどこかにありそうですし、唐揚げブームに乗る安直さも、「山とり爺さん」としてはケチをつけたいのですが、「岩手みちのく清流若鶏」という産地のこだわりには、唸ってしまいます。時代のツボをキッチリ押さえています。いいっすね!
(一昨日、この店の前を通ったら看板が消失していました!コロナに堪えきれなかったのか?残念!)

この階段を登るたびにニヤけてしまいます。私の印象記をわかりやすくするために、犯罪者の立場で述べてみましょう。
「警察さん、ありがとう。犯罪者の私まで貴い存在に敬って、『あなた』ではなく、わざわざ『貴方』としてくれて。しかも、みんな見ているんだ、みんなも覗いているよって、応援、激励までしてくれる、この駅は天国だね 」
まったく、今どきの警察は洒落てますね。

「答えは繕う」、なかなか名言です。政治家の答弁から、芸能人のスキャンダルの言い訳まで、繕いに満ちた答えはたびたび目にし耳にします。答え「を」ではなく答え「は」にするから「作ろう」ではなく、「繕う」に寄りがちになる気がします。また、なんでも平仮名にすれば易しくなるし優しくなる、という安易さに流れるからこうなるのです。
せっかくの漢字があるのに意味を軽んじる結果がこういうことを招きます。まあ「答えを作ろう」と変えたところで、何の変哲もないキャッチコピーであることがあらわになるだけですが…
しかし、ここを深読みしてみれば、「作ろう」と「繕う」とのダブルミーニングを意図していた、との解釈が成り立つなら、結構味が出てきます。それをめざしたとは感じられず「作ろう」を単にひらがなにしたと受けとるのは、サブコピーが平板過ぎるからでしょう。
●添削前
答えはつくろう。(意味=作ろう)
「まだ出ていない答えにITソリューションで挑む。」
●添削後
答えはつくろう。(意味=作ろう+繕う)
「間違えやすい答えにITソリューションで挑む。」
どうでしょうか。
いやいや、こんな姑息で曖昧なことはやめて、ズバリ「答えは繕う」にした方が切れ味が出てくるのではないか。人間の頭で考えるのでは間違えやすさが避けられないところを、ITソリでカッチリ答えを見出だすべきだ、という展開にするのです。
●再添削
答えは繕う。
「冷徹な答えを導くITソリューションで挑む。」
こうすれば、経営上層部らしい方のこわいぐらいのビジュアルとも連動して、浮世のしがらみや義理人情を排した、クールな解が得られる、そんな主張ができるのではないでしょうか。その場合は「Canon」ではなく「キャノン組」とすべきでしょうか。

冗談はさておき、マイケル・ポーター教授が採点したなら、製品や企業の競争優位が語られていないとして、合格点は与えないかもしれません。しかも、広告主は「キャノンマーケティングジャパングループ」となっています。マーケティングを標榜する組織がこの程度では、今をときめくJR品川駅という大舞台での表現競争が、切な過ぎませんか。本来ならキャノンのITソリューションの特長部分が語られて然るべきでしょう。競争他社もあるのでしょうから。そうすれば、商品告知を通じて企業広告にもなり得るでしょう。
(そもそも「ITソリューション」は具体的な商品をアピールしているのではなく、企業イメージを訴求しているだけかもしれませんが…)

広告制作のセオリーとして、対象商品の金額によって表現の軽重も考慮すべき、との指針があります。この考え方からすれば墓地や墓という高額な商品に、関西漫才のノリでの語呂合せなどは失笑ものです。
しかし、それほど目くじらをたてなくても
むしろスポンサーの鷹揚さ、寛大さにこそ、拍手を送るべきでしょうか。時代としては軽さにセンスが伴えば、必ずしもセオリーにとらわれることはないかもしれません。
ちよっと他の表現を考えてみましょう。
①存命のよい役者が浮かばないのですが…
キャラクターとして菅原文太を登場させます。キャッチコピーは
「俺の始末は俺がつける!」
②または、この霊苑とお寺さんのブランディングを期して…
養老孟司とお寺の住職さんとで紙上対談なんてのもあります。テーマは
「日本人の死生観」
「成仏への道」
などが考えられます。
③軽いノリでは
「あなたの魂の住所はお決まりですか」
なども…
どうでしょうか。

レターパックを使ったことありますか。
プラス(520円)とライト(370円)
の2種類があります。「郵政民営化」以降に出てきた商品サービスだと思っています。配達記録(今はない)や特定記録に替わって、便利で普及したのではないでしょうか。何となれば、追跡サービスができる
安心感と、郵便窓口に行かずともポスト投函でよいという便利さです。
個人ではなく商用利用が多いと思われます。ちょっと高めです。最初からB to Bを狙っていたのでしょう。
中途半端な民営化の中では、比較的ましな商品開発だったのではないか、と。郵便事業と保険事業を分けてしまったので、今では一括りでは言えないのですが、簡易保険の販売で醜聞ありましたよね。年賀状の廃棄はたまにニュースになることもあります。
しかし、わが国の郵便配達に対する信頼度は高いと思います。ほぼ間違いなく届いていると思っています。

ただ、レターパックについて、山とりジジイから注意をお伝えしておきましょう。レターパックプラスですが、「お手元までしっかりお届け」「受領印あり」とあるのですが、ここクセものです。
相手の人に渡すのですが、人がいないと渡さないのです。長旅などで長期不在だと、
一定期間を過ぎると自分の所にもどってきてしまいます。この点ではレターパックライトの方が、相手の郵便受けに配達されるので、そういうことはありません。
追跡サービスは、ネットで状況を閲覧できるしくみなのですが、これも、受取人の最寄り郵便局がいつ配達したかの日時と、「お届け先にお届け済み」という履歴が見られるだけです。「受取印取得時刻」の表現はありません。

「受領印あり」これは、もっとクセものというか、とんだクワセモノといえるぐらいです。これについては、写真の横浜港郵便局に乗り込んで局員に訊きました。
これは、 最寄りの配達局が受取人から受領印を取った、というだけです。郵便局が責任を持って配達したエビデンスとして判子ありますよ、というだけなのです。私が訊いたのは、その陰影を見せてくれるのか、その点です。つまり、こちらとしては、誰が受け取ってくれたのか、そこを知りたい、そのためのものではないのか、と思っているのです。私がしつこく詰め寄るので
上司か誰かに相談しに行っていましたが、
答えはNOでした。
こうも訊きました。もし裁判沙汰になり、その郵便物の受渡しが問題になった場合、
受取印を見せてくれるのか?答えは、馬鹿の一つ覚えのようにNOでした。しかし、
私はこれは建前の回答だと思っています。
実際の場合を、あらかじめには答えないのかも、とは思っています。ところが、この面倒臭い客の質問に最後に出てきたのは、
「警察から要請があれば見せます」ときた。これで、私もわかった気になれました。

なお、配達状況のネット閲覧は100日程度の期間だけです。郵便の送り手受け手が1年後にその配達事実が問題になるケースが発生しても後の祭りです。この点では、特定記録配達証明があるので使い分ける必要があるでしょう。ただし、特定記録配達証明も郵便局まで行って手続きしなければなりません。レターパックはコンビニでも売っていますし、それさえ手元にあれば
投函だけでいい、その簡便さは大きいと思います。

こうしてみると、私はライトの方が使い易い気がします。どちらも速達並みです。
しかし、個人利用で重さもなく、急がないなら、普通郵便140円で十分かと。ライトの370円も決して安くはない気がします。

最近、この告知を見かけるようになりました。3カ月ぐらい前に、ふと、パスモやスイカに回数券はないのか?と思った時がありました。京急で尋ねると、ない、との答えでした。そんな頃に、このJRの告知が目についたのでした。

私は、すぐに、これは回数券を廃止する企画とピンときました。
というより、もともとあったJRのポイントサービスに回数券を取り込む、といった方が実情に近いと思われます。でも、10回分の料金で11回乗れるおまけのありがたみはなくなりますよね。コロナで乗客数減になり、ケチリだしたのでしょうか。スイカ定期があるわけでから、10回分の料金で11回乗れるスイカ回数券は、すぐできるでしょう。山とりシジイとしては、ポイントに置き換えることはせずに、同一区間11回分を単純にスイカにすることを希望するものである。

JR東海さんは経営的に潤っている筈なのに、今年すでに紙の回数券は廃止したようです。JR東日本はまだあるようです。チケット業界の反対もあるらしいです。駅ナカビジネス(テナント業)でシコタマ儲かっているのに、算盤はじいて回数券止めないでほしいところです。
東武鉄道は9月30日で回数券を廃止しました。ポイントに替わるそうですが、東武のポイントサービス「トブポ」は最悪のネーミングですよね。おそらく「トッポ」は登録商標があったのかもしれません。)

今回の投稿記事の締めとして、この写真を選んでみました。
この方は、私の真向かいの座席にいたのですが、電車が駅に着いて降車側に立ったら
背中にこんなものがあったので、思わずほっこりしてしまいました。うっかり、この方に一声かけてしまいそうになり、抑えるのに必死でした。
当初はオリジナルのお手製バッグと思っていましたが、バッグなら内容物によって形が変わってしまうし、背負いにくくもなるので、バッグではないと思っています。手にバッグは持っているし、オリジナルぬいぐるみをどこかに届けるのかな、と想像しました。
いいっすね。ほぐれる❗️
(盗撮してすみません)