萌え町紀行─6 金沢八景



さよならは京急に乗って

この地との関わりが生じておよそ2年半。それがもうすぐ終ろうとしています。特に気にもとめていない女性の美に、ある瞬間に気がつくかのように、この地の何の変哲もない素材の逐一が、急に光を放ち出しているように感じられます。
考古学者のように、歴史学者のように、あるいは都市文化研究者のようには、鋭い視線で抉ることができないものの、といって単に観光客や束の間の来街者気分で書く気にもなれず、ここは「萌え町紀行」として
この町のどんな魅力を引き出せるものか、
この点ははなはだあやしい限りですが…
金沢八景」とは、そもそも地名ではありません。昔、風光明媚なことで金沢の八つの景色が人口に膾炙し、歌川(安藤)広重の版画はたいそう評判になったようです。広重は今で言う広報マンとして貢献してくれたことになりましょう。江戸城には「金沢の間」というこの地の景色を襖に描いた一室があるぐらいで、参勤交代の折りや、庶民の往還時にも愛でられ、現代の感覚で言えば、「そうだ、金沢八景に行こう!」という感じだったのかもしれません。横浜市の住所的な意味での地名はないものの、金沢区の南部のエリアであり、その南隣は横須賀市に連なっています。

主たる交通インフラは京浜急行電鉄と、横浜シーサイドラインがあります。一昨年の2019年、京急金沢八景駅は、すっかりきれいになりましたし、シーサイドラインとは乗り入れではありませんが、駅がつながり便利になりました。
金沢八景」は、かつての景勝地というその残り香が今あるに過ぎないという感じであって、歌川広重の「金沢八景」の各ワンショットを、現場を見たから、訪れたからといって、再現的に味わうことは難しい気がします。昔とはだいぶ風景が変わっているからです。たとえば、松島や天橋立などに接するようにはいかないところがあり、そこが弱いところでしょう。
また、地形的な変化として、内海であった広大なエリアが干拓されたことが大きいでしょうし、特に能見堂からの眺望が景勝とされたとは、現地に立ってみて昔は違っていたのだろうと、偲ぶしかありませんでした。家並みだらけの凡庸さなど、残念な思いが偽らざるところです。観光や物見遊山で訪れる、せっかちな現代人には、直接的でないと、振り向いてくれないかもしれませんが、しかし、私は工夫すれば昔日を味わう方法はあるのではないか、そんな気もしています。

金沢八景すなわち、
内川暮雪(うちかわのぼせつ)
乙艫帰帆(おっとものきはん)
小泉夜雨(こいずみのやう)
称名晩鐘(しょうみょうのばんしょう)
洲崎晴嵐(すさきのせいらん)
瀬戸秋月(せとのしゅうげつ)
野島汐照(のじまのせきしょう)
平潟落雁(ひらかたのらくがん)

これらをしっかり辿ろうとした場合、絶対に不可能なのが、まず乙艫の帰帆で、何故なら昔の帰帆(帆船)が今はないからです。称名の晩鐘も、称名寺で釣り鐘自体を見ることはできますが、日々昔のように鐘を突いているようには思えません。もしかしたら、大晦日には鳴らしているのかもしれません。また、平潟の落雁は、雁の身からすれば、往還する船舶が頻繁過ぎて、モノレールもチョコチョコ動き回っていて、とても落ち着けない状態で、昔のように雁の群れが降り立つとも思えない、そんな感じがします。(そもそも雁は、きょうび燕もだいぶ少ない時代、しっかり渡ってきているのかどうか…)

それと、広重の版画絵のシーンにこだわるなら、八つの内二つは見ている場所ではなく、遠くから見られているシーンになっています。このことを明確に語れるのは、称名の晩鐘と野島の汐照です。称名寺と野島は、別の地点から遠景で描かれているのです。他の六景は、その地にいてその地を描く構図となっています。言い方を換えれば、称名の晩鐘を眺める図、野島の汐照を眺める図に対して、他の六つは例えば小泉にての夜雨の図、瀬戸にての秋月の図となっているという意味です。さらに、現代でも各地を満遍なく回ることはできたとしても、晴嵐や秋月や暮雪など、それぞれに季節があるので、厳密に辿ろうとしたら、一年がかりになるでしょう。
最近見つけた金沢八景図(京急ウイングキッチン)

この「金沢八景」は、歌川広重の手に依るものとは言われますが、企画は当人でない、との文献資料に接したことがあります。江戸時代から観光殖産的な発想はあったようで、誰か企画者が人気の広重に版画を彫らせたようなのです。版画はかなり売れたようですから、その企画者も利益の分配を受けたのでしょう。
このような企画者という視点から思うに、
八つの土地に一年をめぐる企画性を盛り込むという、空間と時間をミックスしたこのプランは結構よく考えられています。金沢の地に一年中、満遍なく集客しようという戦略が見えるからです。さらに、訪れた人は、別の季節の風景が気になり八景ワンセットの版画を入手しようとするからです。今ではない季節は、今後訪れる時のためにも、訪れることができない時のためにも、帰ってから人に語って聞かせる時のためにも、価値があり、その点での需要喚起が企画されているのは、なかなかの商売人の発想がうかがえます。

私は京急さんを、日常的に品川から金沢八景まで利用している身ですが、駅や車内の広告物を通じて、金沢八景のアピールには接したことがありません。夏といえば観音崎、食では三崎などがよく伝わっていると感じられます。もちろん、沿線ガイド的なパンフレットも駅には置いてはあります。しかし、金沢八景をその代表的一例として、沿線の歴史遺産や現代資産を活かしきれていないような気がするのです。例えば、昨年「仲木戸」の駅名を廃止したセンスを私は批判しています。以前のコラムで書きましたのでもう繰り返しませんが。

品川~仲木戸(現在は京急東神奈川)~横浜~弘明寺~能見台~金沢八景安針塚~汐入~横須賀~浦賀久里浜、これらの歴史価値、現代価値を、大いにアピールしてもらいたい、そう思っています。羽田空港までの足としての訴求は定着したでしょうが(くりぃむ頼み)、交通インフラ産業として、各市や町とのタイアップを行ない一大事業として推進できないか、と空想しているわけです。西にはJR西日本、東には京急電鉄と、互角に並ぶぐらいにならないか、と願っています。京急さんは「三浦半島」の打ち出しは行なっているのですが、語っている図体が大きいだけで、具体的なイメージが伴っていません。それは結果として三浦半島を感受してもらうべきもので、明確な粒だったイメージの積み重ねが欠けているように思います。

「そうだ、京都へ行こう」より「なんだか、京急に行こう!」という気分を醸成できないか、そんなノリです。何せ京急電鉄さんは、JR(国鉄)より開業は早いのですからね。私は京急さんを批判しているわけではなく、何というかハースリーベ的な執着、わかっていただけますかね。金沢八景に来る以前から通算すれば、京急とのお付き合いはもう6年目になってもいます。もっと大きく言えば、日本は三浦半島の重要さを全然学んでいない、正当に評価されていない、そのように考えています。別の言い方をすれば、この6年を通じて私はこの地の地政学的、歴史的、文化的重要性、日本の光と影を学んだと振り返っています。
ビルに散在する金沢八景図(京急ウイングキッチン)

常々私は、現代において金沢八景を新たな遺産として、脚光を浴びせるプランがないかと模索しています。アイデアは生まれてもそれを具現化する実力が伴っていないので、即実現とはいかないのが正直なところです。ところが、数日前に、その実例というべきものが見つかり、ちょっとうれしい気分をもらっています。

金沢八景駅が新しくなったことに触れましたが、昨年2020年に、「京急ウイングキッチン」が駅直結でできています。大きくはありませんが、駅ビルには違いありません。京急ストアタリーズコーヒーセブンイレブンなどがあるこのビルには、上掲した写真のような金沢八景図とキャプションがあるのです。
この駅ビルがオープンしてから、まったく知らずに通り過ぎていましたが、先日「あっ」と気がつきました。デフォルメして簡略化したイラストと、添えたコピーをじっくり見、読んでみると、現代の感覚に触れるようで、なかなかいい!なんか、ほっこりとした気持ちになりました。これだよ、これ!と思っていました。
その存在に気づいてから、八つの絵を探し回りました。1ヵ所に八景があるわけではないのです。1階、駅改札口のある3階、それと4階、しかも、まとめてあるのではなく、エレベーター乗口やビル出入口付近とか、八景を散在させているのです。これは実際の八景の散らばりを模倣しているようでもあり、また演出しているようでもあり、ビル内で探し回るのが、ちょっと愉しい。こういう遊び心がうれしい。
この表示版はセラミックタイルなどで作られているのかと想像していましたが、よく見ると、スチール素材のものにプリントしたかに思われます。それはともかく、アイソタイプ的に単純化した、むしろマーク的なサインとも言うべきこの抽象化翻訳がおもしろいと感じられます。キャプションコピーも、そのイラストの世界観に合わせるかのようなトーンがみずみずしく感じられます。ここには広重が版画で写実的に描き出したタッチから飛躍したクリエイティブがあると思わせます。

ただ言わせてもらえばディレクションに、もう一工夫欲しかったのではないか。どういうことかというと、イラストは単純化を志向して可愛らしいマークのようです。一方、キャプションは風景を解説する分、写実で追いかけるのですが、語られる説明文の風景が、イラストでは一部捨象されてしまっているのです。広重の絵にはある人物や島が描かれていません。ビジュアルとコピーのアンマッチが生じています。この部分についてディレクションどうよ、というわけです。端的に言って、イラストレーターとコピーライターがそれぞれ別に制作し打合せがなかったのでは、という感があります。ここにディレクションの不在を思うわけです。

イラスト表現に即して言えば、もう少しタッチを変えて人物描写をできるようにするか、イラストをこのまま活かすなら、広重原画を説明する写実コピーをやめて、ファンタジックに翻案できないかという気がします。しかし、これはかなり微妙なところです。イラストをもっと微細にしたら、このマーク的な良さに影響しそうだし、コピーが遊び過ぎると解説性が遠退きます。
ここで、比較の意味で駅3階改札の中にある、金沢八景図を写真で示しておきます。これは、クラシック版とでもいうべき、よく見る広重の版画図です。これと比べると、先ほどから触れているイラストサインの咀嚼度がよくわかるのではないでしょうか。
私は京急ウイングキッチンに配置された現代の金沢八景図に、表現上の工夫に加え、
企画の広がりのようなものを感じています。このプランニングを拡大すれば、どういう形かで、現代版「金沢八景」を現出できるのではないか、そういう構想を持っています。本当はこのアイデアは言いたくない(せこい!)のですが、成功すれば「なんだか、金沢八景に行こう!」ブームを起こし、京急さんの繁盛に、金沢八景の発展につながらないか、と妄想をたくましくしています。
まず上の写真を見てください。左に「史跡 金沢八景」と表示があります。この「史跡」の意味ですが、今となっては広重の絵の中にしか存在しない風景なのに、どんな痕跡や足跡が残っているのでしょう。念のため京急本社に問合せしています。もし本当に「史跡」の片鱗でも具体的な「跡」や「物」があればそこを知りたいところです。もしかしたら広く捉えて広重の版画の存在を、そのように表しているのかもしれません。しかし、写真の記載を見てわかるように、「名所案内」とあって、「瀬戸明神」「琵琶島弁天」「九覧亭見晴丘」「伊藤公別荘」と来れば、それぞれ現存しているものばかりです。その次に「史跡」と来れば、その脇に書かれた八つ景色の何かがあると思うのは自然ではないでしょうか。私は、八景のそれぞれの地に、立て札のようなワンポイント的な何かがあるかもしれない、と期待しているわけです。

広重の絵の構図にこだわらなければ、例えば「洲崎晴嵐」を分解すれば「洲崎」の地の「晴嵐」ですから、八つとも最初の二文字は地名です。「内川」と「小泉」は地名が残っているか不確かですが、でも、なんらかの追跡はできそうですし、あとの六つは、ピンポイントとはなりませんが、場所を特定できます。私の確認では、一部を除いて、町名(瀬戸、洲崎、平潟、乙艫、野島)と史跡など(瀬戸神社、称名寺、平潟湾、野島)が残っています。ですから、遺跡でもいいのですが、何らかの「跡」や「物」が残っているかも、と思っているのです。
能見堂跡からの眺望。わずかに海が見える。

それが残っていたにしろ何もないにしろ、一つ考えられるのは、京急さんがナイアンティック社と連携して「金八GO」をプランすることです。特定の地域に行ったら、広重の絵または全く新たな再現図がスマホに出現するというわけです。これは、現代のソフトウェア技術が過去と現代をつないでしまう、とてもファンタジーに溢れています。スマホがタイムマシンになる話です。どうでしょうか。
すでにナイアンティックさんが、日本の観光地にこんな企画を売り込んでいるのかもしれません。米国さんは、日本でビジネスするのとってもお上手ですから。三~四年前、ナイアンティック社とポケモン社とが組んだ企画で、日本の各地は集客策として「ポケモンGO」に飛びつきました。私は、それを取り入れた各地を蔑んでいます(アホか!)。その地域に根差した集客には、1ミリも関係ないのですから。一回は来るでしょう。こんなことをやっているから、米に負けるのです。米は食わなければならないのです。しかし、私が考えるくらいですから、誰かどこかでこのプランはやっているでしょう。
他には、実際に今「金沢八景」の史跡がないとして、それを作ってしまえばいいのです。場所決めとその土地を借用できれば、どんなものを作るかは、ビューポイントとして何かを設置したり、八つのミニ展示館を八ヵ所に作るなどでもいいし。ただ、費用が京急さんで持てるか、ですが。でも、
クラファンという手もあるし···。いずれにしろ、具体的な何らかの観光名所を作ってしまう方向です。
また、コンペで現代イラストレーターに「新金沢八景」を描いてもらう、というプランもあります。イラストの方向性は、現代の良きシーンを切り取ることから、広重の版画を元にデフォルメすることまで、そのアイデアが肝になってきます。

まあ、こんなことを京急電車に揺られながら、妄想しているわけです。冒頭で軽く触れましたが、私は、あと二~三カ月で金沢八景とは縁が切れます。本質的には離れることで縁が切れるのではなく、私が京急エージェンシーさんに企画を提案できる具現化能力がないだけなのですが、でもカスのようなプランでもあの赤い電車に揺られていればこそ、ということもあるわけで···。

「萌え町紀行」は6回目になり、コンセプトも以前記事にしたようには肩肘張らずに語れそうです。いわゆる「紀行文」は自分が行きたい所に行って、観光的に、訪問者として書くものと区分けしましょう。一方「萌え町紀行」は訪問者としてではなく、仕事なり居住なりまずその土地と関わる理由が先にあって、そこで生成されるエモーションが制作動機になる、という違いです。たとえば誰もが知る有名女優に憧れて彼女の魅力を執筆するのではなく、日常的に近くにいた女性のきらめきを発見する、出会う、そのインスパイアで記述する、こんな言い方で伝わるでしょうか。
実は、「萌え町紀行」自体を登録商標にしたいと目論んだことはありますが、費用と手続き的なことで実現していません。しかし、根本的には私が「萌え町紀行」を書き続け、結果としてそれが普及すればいいことです。「金沢八景」がいつの間にか実質的に地名になっているように、です。

「萌え町紀行」の第1回では、金沢八景の少し先の「汐入」をテーマに書きました。京急電車の疾駆する赤い車両は、私の「汐入」に対する熱い想いとともに、混然とした美しいイメージとなって、いつも駆け抜けているのです。銀河鉄道999は何となくブルーの印象があるのですが、私は疾駆する「赤」に魅せられています。それは、心情の、思い出の、夢の、青春の、人生の、文学の、思想の、哲学の、仕事の、生活の、私のありとあらゆるものが収斂してそこに滲んでいるように思えます。

さよなら汐入 さよなら金沢八景

京急でつながるこの地は、私の胸にある大空に、これからも赤く染まった、美しく駆け抜ける車両イメージを羽ばたかせ続けることでしょう。

すでに、私の脳内オーディオでは大好きな
のテーマが流れはじめています。
私の世界はいつも
「My Favorite Things」 
にあふれています。
季節はまさに
「November Steps 」であり、
「Good Day」というより
「Goodbye Happiness」に近い。でも、
さよならの向こう側へ行っても、
たぶん、ずさみ続けているでしょう。
「またしてる」を。