山とり爺さん 第2話

今日もお爺さんは、山とりに街へ出かけました。世間をパトロールし、「ちょっとおかしくね」と眉をひそめたり、「これはいいね」と褒め称える、そんな高踏的な振る舞いをルーティンとしているんだとさ…

商店街の一角にこのコインランドリーを見つけた時は、「おお、ハイテック!」と思ったものです。確かにこのランドリーはデザインが良い。洗濯機もどんな先端技術を駆使しているのか、今度、洗濯ものを持ってこようか、と思わせるものがあります。

ところで、家庭用洗濯機もずいぶん進歩していて、以前から全自動は当たり前になっているようです。洗うパワーも昔とは違い、相当ではありませんか。おかげで、衣料品がすぐボロボロになってしまうぐらいです。ここに、家電メーカーとアパレルメーカーとの共犯関係をみるのは、陰謀論過ぎるでしょうか。Tシャツの衿口など弱い部分からほつれてきます。靴下などは、一定期間で確実にダメになってきますよね。

靴下は、ブランドものでしっかり作られていると思っていても、確実にダメになってきます。劣化作戦が製造時点から仕込まれているのでしょう。これは洗濯機の問題ではなく、靴下メーカーの問題です。業界の同じ、靴下メーカー同士で暗黙の合意があるのでしょうね。一足10‚000円でもいいから、一生壊れない靴下なんて、絶対作らないだろうと思います。

ところが、100円ショップの靴下がすごいことになっています。すぐダメになるだろうと思って買ったのですが、いやいや、結構持つのです。色のバラエティが不足していますが、そのうち整うでしょう。百貨店やスーパーの商品はどんどん追い上げられているように見えます。

今、花森安治の「暮しの手帳」のような雑誌があったらいいのですが…と言っても、今の人は知らないでしょうね。一時代を画した消費者目線の雑誌ですが…あ、何とかいう似た雑誌あったような気がするのですが…

そうそう、洗濯機のことでした。山とりジジイとしては、洗濯板と石鹸でゴシゴシとやりたいのですが(山とりジジイは明治生まれ)、しゃがんででは腰に響きますのでここはやさしい二層式洗濯機あたりで十分なのですが、家電売場に行ってももう見あたりません。全自動洗濯機とは、欧米的でガサツです。少し抽象度をあげて言えば合理性の追求だけです。合理性の権化に思われます。何もかも1ヵ所にぶちこんで、洗剤入れて回すだけ。ここ、もう少し日本的な製品思想のある洗濯機を、開発する余地があるような気がします。

韓国の足で踏みつける洗濯は、衣類に対する愛が感じられません。韓流ドラマでは、未だに足でやっているシーンが出てきます。自国の文化的特徴の色づけとして、気どって演出的に足踏み洗濯シーンをお使いですが、お宅の国の伝統芸、すばらしい。食卓での立て膝や、手に持った箸で食卓を突く所作同様に、反日国家の民度がよく表現されています。パチパチパチ!
2018年、わが国軍自衛隊機をレーダー照射してくれましたね。山とりジジイとしては、貴国の生活文化をロックオンさせてもらいますから!イザベラ·バード女子が貴国のすばらしい文化を世界に広めてくれました。88888!

写真は有名な伊豆の大室山です。山とりジジイは山が大好きで、最近は大室山ならぬ小さい「小室山」が世間を騒がせています。おめでたく、祝言も整ったようです。  

先日勤務先でのこと「小さい室」が米国での経歴詐称トピックが報道され、そのことで女子社員と二言三言しゃべった後、そこに年配の男子社員が来て「二人のことはほっとけばいいのに。どうして世間は騒ぐんだろうね」と、放ちました。そこは会話を進展するような空気ではなく、私も話を展開させる気も起きない、些細なやりとりでした。
(内心『先輩、その程度ですか、残念』)

私は「お里が知れる」と思っていました。自説や見識のなさを自らバラして気づかない輩がいるんですよね。こういうところに日本の腐れ加減をみる思いがします。皇族の婚姻問題をちまたの男女の恋愛結婚問題レベルでみる、その態度と程度。これなら、まだ税金の不適切使用と騒ぐやつらがまだ意識があると言えます。いかにわが国の教育がなっていないかの証左でしょう。

恋愛問題に還元して言うとすれば、成就する道はあったかもしれない。それは不敬にあたることで書きませんが、それにはお二人とも歳をとり過ぎたでしょう。そうではなく、結婚問題として言うなら、偏にこれは「皇統」に関わることです。国体にとって由々しき問題と言わざるを得ません。国内であろうが米国であろうが、邪悪な「小さい室」は本人の意志を超えて、他国から政治的な利用機会を呼び寄せることでしょう。わかりやすい例え話にするなら、C国が万世一系を破壊すべく「小さい室」を送り込んだ、というような構図です。彼の美意識に日本的な振る舞いの片鱗もないことから、他国からなのか、他国経由なのか、バックアップ者の存在がすでに語られています。今後世界は、日本を貶めるべく影響力を行使するでしょう。その意味で小室山戦争はすでに開戦しているのかもしれません。日本国の皇統は、世界の他国がどんなに真似しても不可能な、尊厳(ディグニティ)に満ちています。妬ましくてしようがないわけですよ。
『先輩、皇統を勉強してください!日本を滅ばすのは、あんただよ!』

これは、一瞬では何の看板かわかりかねます。もちろん、バイクマニアならすぐわかることなのかもしれません。
要は、バイクの長期駐輪場というに尽きるかと。長く乗らないバイクをしっかりあずかりまっせ、ということのようです。どれだけニーズがあるものやら検討がつきません。貸し倉庫にも、自転車の駐輪場にも不適な事情があり、こんなことを考えたのでしょうか。車の購入は駐車場があることが必須でしょうが、バイクはそうではないのでしょう。しかし、住まいから離れた場所に置こうとする人いるのでしょうか?よくわからない話ではあります。
珍しい看板のような気がします。

以前、道路交通法の変更があり、自転車は車道を走ることになったと理解していました。ところが都内を歩いていると、自転車が歩道をガンガン通り抜けていきます。
「君、道交法違反につき逮捕する!」と常々怒鳴ってやろうと思っていました。ところが、写真のような標識がある歩道は通行可能らしいのです。
ロードレーサーで遠距離走行する場合はそもそも車道しか走りませんし、何のための法改正だったのか、理解できません。
お母さんが自転車に子供を二人乗せることも許容されたかと思いますが、これは画期的だったという印象です。
狭い歩道を、買物袋を下げた歩行者と、そこをすり抜ける自転車の共存関係とは、狭い日本の器用な「お家芸の一つ」とでも言っておきましょうか。

この掲示板の脇を通る時、死亡が「0」だと救われたような気になります。数字が入っていてほしくないなあ、と恐る恐る見てしまいます。

この表示板を見ていて常々思うのは、国会の審議結果について、「昨日の審議事故」としてあまりにひどいものには「死亡」レベルとしての件数を、問題ありと見なされる審議については「負傷」レベルとしてその件数を日々掲示できないか、です。この交通事故表示の下でもいいし、警察が、それはうちの管轄ではない、というなら、病院とか、郵便局とか、新聞販売店にでもいいのですが。

並行してネットでその内容を報道していきます。たとえば、一昨年の森ゆうこ議員の質疑はあまりにも杜撰、低劣、国民にとって「死亡」レベルだったと思っています。昨今の国会議員の劣化は凄まじく、日常的に全国津々浦々彼らを評価、批判するしくみがつくれないか、と思っています。

そもそもマスコミは偏向しているだけではなく、政治を動かせると思っていてその傲慢な体質を何とも思っていません。国民をバカにしています。そこで、マスコミに頼らない方法がないか、と考えています。今、国会議員の仕事ぶりを採点するしくみがありません。ならば国民がやっちゃえ!というプランです。

国会議員審査委員会を発足させます。数人程度のメンバーを決め、その後、議員の採点・評価方法を決めます。また、街の表示板からネット記事の作成まで、告知方法を検討します。委員は匿名、無報酬とします。目的は、国会議員を評価し、それを公表することにより、国民の意思を選挙で反映させやすくすることにあります。

実は国会議員の仕事ぶりとして、国会で何回質問したか等を記録した通信簿のようなものがあると聞いたことがあります。しかし、それ一般に公開されているのでしょうか。国会だけではなく、部会にも参加したり、議員としての法律を提案(議員立法)したり。それを行っていなかったり、できない議員が多過ぎるのです。まったく、議員を職業くらいにしか思っていないから、学歴詐称したり、私用の交通費に議員のパスを使ったり、審議中に昼寝したり、枚挙に暇がないのではないか。低レベルの議員を排除するしくみを作りたいのです。

選挙に関わらず、日常的に審査委員会は議員を採点、評価したものを公表します。公職選挙法に抵触するようなら表現方法等を考えます。公示期間は公表を停止します。知名度だけのタレント議員や、親の名前だけに乗っかっている議員…政治家としての資質評価を具体的にさらされるようにしたいわけです。随時地方にも展開します。地方自治体ごとに組織を置き県会議員、市議会議員についても、同様の機能を持つ審査委員会を構成していきます。

日常的には、審議事故表示板に国民にとって死亡レベルのできごとがあれば、その数「1」を表示します。この数の意味は国民にとって死亡レベルほどにひどい、ということです。その事故の加害者は国会議員某かは明確なわけです。そこで、その表示板の数字「1」の下に例えば「加害者 森ゆうこ」とまで表示するようにします。どうでしょうか。愚劣な議員の名前はこうして、国民に知らしめるわけです。

新潟県有権者の皆さん、森議員のようなすばらしい方を選出して、さぞ鼻が高いことでしょう。同情申し上げます。再来年の参院選では、落とし前をつけろよ!

この看板を見た時、思わず唸ってしまいました。『すばらしい!』

強さは優しさのために 優しさは強さを持って

文武両道の精神としてはもちろん、これは国防のことを言っているわけです。イージスアショアを止めた大臣がいましたが、武器さえなければ平和がくると思っているお花畑の人が多過ぎます。強くなければ、交渉力にもなりません。理想は武器のない世界で平和が保たれることですが、国家の領土を拡大したい欲ばり爺さんが、当たり前に存在しています。優し過ぎる、おバカな日本を他国が虎視眈々と狙っています。

ムキムキのプーチンさんや、熊のシュウさんはじめ、北の方のキムさん、南の方のどうでもいいレベルのムンさんなどなど。
北の方のキムさんと言えば、拉致の国です。拉致問題で常々私は不思議に思っていることがあります。それは、拉致された方は何百人といるのに、何故横田めぐみさんの名前だけが出てくるのでしょう。おかしいと思いませんか?何故、横田さんが拉致被害者のシンボルになるのでしょうか。同じように若くして連れ去られた女性は他にもいるでしょう。
もう1回言いますね。

横田めぐみさんが拉致被害者たちのシンボルになる理由は、何なのでしょうか?

この分野の専門家、たとえば救出する会の代表西岡力氏などから、このことに触れるコメントを聞いたことがありません。おそらく西岡氏に限らずこの分野の専門家はご存知のことなのでしょう。時がくれば、それが語られる日が来るのかも知れません。それにつけても、ぺこぱの「時をもどそう」が、拉致被害者の方々に対して実現できたらいいのですが…

さて、岸田政権になって国家安全保障戦略(NSS)について本格的な取組みを打ち出しているようです。これは、第2次安倍政権が作ったのですが、岸田総理は防衛費の増額も考えているようで、ここについては
期待したくなります。何はともあれ、国防なくしてこの国の先行きはありません。日本の悪しき縦割り行政を突破する組織体系はできているわけですから、あとは、どれだけ実行できるかにかかっています。われわれ国民は岸田内閣の実行ぶりをチェックしなければなりません。

真に強くなければ、優しくはなれません。
国家が強くなければ、国民に優しくはなれません。
優しくすれば友好的になれると思うのは、
日本だけです。だから、そこをつけこまれるのです。強さを背景に振る舞う外交でこそ、友好が生きてきます。