国民は憲法改正に賛成できるか

いっこうに進む気配がない憲法改正論議ですが、国会の惨状はあきれるばかりです。桜を見る会がどうしたこうしたなどと「本丸」を避けることに御執心で、完全に日本終了という感じです。
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国際情勢の次元が新たなステージに入っているだけでなく、少子化や北海道の土地買い占め等国内にも山積する問題があるというのに、われわれの税金を喰い漁っている穀潰しども、幼稚で気概や国家観もない国会議員どもは、これは新種の犯罪者というべきでしょう。国会を運営するだけで莫大な費用を費消していることは、よく知られるところです。

憲法改正に関わる論点は三つあると思われます。改正内容のことではなく、それ以前のことですが、①改正すべきかどうか②どう変えるか③変えられるか
の三点です。

一部の憲法学者は改正反対
「①改正すべきかどうか」というのは改正反対派の言うことです。いわゆる護憲派で、現状の憲法を礼讃する人々です。
改正反対派の論点を大きく二つに絞ってみると、一つは権力が政府に集中して国民主権が失われ立憲主義が崩れるというものです。これは、憲法学者などの専門家が言っています。 もちろん、改憲派のまともな憲法学者もいるわけですが。
もう一つは、一見わかりやすいようなことで、戦争ができる国になる、という点です。ここにひそむ飛躍した論理は、九条に触ったら戦争になるといった類いのプアな発想です。全く合理性のない、改正反対派の洗脳に毒された思い込みに過ぎません。

私は改憲すべきだと考えています。オーバーに言えば「大日本帝国憲法」にもどしてもいいくらいですが、改正の中味については、便宜的にこの稿では
自民党案に賛成する立場とし、特に九条部分を念頭に置いて論を進めます(自衛隊明記)。「②どう変えるか」の範囲等については、この場では深入りしません。
端的に言って、自衛隊員が祖国防衛のために侵略者を傷つけたら、現憲法下では犯罪者になってしまうのは欠陥でしょうし、身体を張ってわが国を守ってくれる方々をもっと大事にする憲法であるべきではないでしょうか。

特に私は、改正のために国民投票を行なった場合に、改正賛成が過半数割れするのではと、懸念している点について、考えてみたいのです。冒頭で述べた「③変えられるか」この点についてクローズアップしてみようというわけです。

結論から言えば、改正に至る過半数獲得に悲観的な見方をせざるを得ないと思っています。
掲載した図表を見ていただきたいのですが、縦軸に国家観の有無、横軸の左に平和主義、右に現実主義
と置いてみます。この図から得られるものは、おそらく第三象限(時計反対回り)に属する人々が圧倒的ではないか、と想像されます。
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第一象限はすなわち改憲派であり、第三象限は護憲派です。第一象限対第二第三象限の戦いになると思うのですが、この第三象限に属する人々を思うだけで、定量的精査を行なうまでもなく、暗澹たる気持ちになってきます。第一象限に属する人々の具体的イメージはわずかしか出てこないのに、第三象限の人々の事例は、列挙できてしまうというのは、どういうことでしょうか。

第三象限のすなわち護憲派であろうと思われる方々を挙げてみましょう。
・グローバリスト(経団連等)
・一部の憲法学者樋口陽一等)
日弁連の弁護士
・容共派の知識人(大江健三郎等)
日教組組員
労働組合組合員*
・宗教団体会員
B層
・情弱層(一部の、高齢者、主婦…)
・デュープス(吉永〇〇〇等)
・IYI(Intellectual yet idiot)

こうしてみると左翼、リベラルと被ってくるかという感じですが、詳細にはこの中味の分析が必要ではありますが、ここでは精査より大づかみの押さえを
めざしています。
但し、弁護士の北村晴男氏によれば、弁護士は強制的に日弁連に入らなくてはならないということがあるようですから、日弁連に名を連ねていても思想や信条の異なる方はいるものと思われます。
また、宗教団体のうち幸福実現等については、改憲の意思を表明しているようです。

共産主義者コミンテルンを国家観を持つ者として
第二象限に置いているのは、第一象限のクラスターが持つ国家観とは、国家観が異なることを意味しています。すなわち共産主義者コミンテルンは、共産主義国家を確立するために、方法論として護憲を採ると見ています。

組織に影響される層あり
私がちょっと気にしているクラスターは、労働組合の組合員です。この内容を想起してみれば、要するに大半のサラリーマンのことになるでしょう。当然ウーマンも含みます。
何故かというと、その量と質の点でです。
量については、日本労働組合総連合会(連合)、日本自治体労働組合総連合自治労連)、全国労働組合総連合(全労連)、等々が傘下に数々の労働組合を抱え、その中に恐ろしいほどの構成員を擁しているわけです。

先般、七月に参議院議員選挙がありましたが、その中で田村まみ候補が比例区全国第二位で当選するということがありました。彼女はUAゼンセンを支持母胎としています。初出馬での当選です(26万票)。
もう少し具体的にいえば、彼女はイオンの社員でしたし、イオンの労働組合UAゼンセンに紐づいています。ぽっと出の流通業社員が一発で参議院議員になるという「事件」とでもいうようなことが起きたのです(立候補時はUAゼンセン所属)。
私は組織票のパワー恐るべしと思ったしだいです。
イオングループの従業員数は約58万人、もちろん経営幹部や管理職は非組合員ではありますが、イオン以外の組合も、UAゼンセンとして彼女を支援したものと思います。
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この事態について私が思うのは、情弱層が投票したであろうということです。どういうことかというと、自分が明確に主義主張をもち、支持政党や支持候補者があればこうはならないでしょう。悪く言えば情弱、良く言えば無色透明な方たちが、自分の勤める会社の支援する候補者を選ぶのは、自分の当座の利害と一致しているとの判断を行ない、選択、投票するであろうからです。

組合員の大半は所謂パートさんたちです。数的には一定数の組合員のフルタイム社員も、日常的に仕事に追いまくられている中で、政治にもっと関心を持たなくてはと思いつつ、突っ込んで思考する機会を持てなくて、結果情報弱者になっているものと推測しています。

つまり情弱層は、内発的選択ができない分、外部からの影響を受けやすいという面があるわけです。
こう思ってみると、憲法改正についても組織的運動に影響される人々が相当数いると思い至り、暗澹となってしまうわけです。

何故こういうことになるかと考えてみるに、やはり教育の問題に帰着するかと思います。
学校で国家観を教えているでしょうか。言葉の問題ではありません。皇統を含めた日本の正当な歴史を教えているでしょうか。左寄りの教師ばかりではどうにもなりません。共産主義の脅威や国際情勢の今を伝えているでしょうか。今目の前にある危機を感受できる教師はどれだけいるでしょうか。

潮目は変わっている
教育が悪いと言って個人の努力を棚に上げるつもりはなく、教育に国としての戦略がない時点で負けている、そのことです。
個人の問題としては、平和ボケしてゆでガエルになっている中で、覚醒は起きにくいでしょう。
今起きている米中対立を貿易戦争や情報戦争と捉えている方は、かつて話題になった「B層」と言うべきかも知れません。
昨年10月そして今年の10月に行なわれた、ペンス副大統領の対中政策演説の意味を、私たちは胆に銘じなければなりません。時代は変わった、のです。新たな冷戦は始まっています。しかも、10、20年の長いタームになると見られています。

B層」についてですが、これは郵政民営化が議論になった2005年頃小泉政権政策に対する国民の支持尺度として使われたと理解しています。この尺度の縦軸にはIQ(知能指数)が高いか低いかが設定されているという代物です。突飛ではあるものの、ある意味非常にわかりやすく、斬新な面はあったかもしれません。
専門家ではないのでよくわかりませんが、ペーパー
テストで得られるデータ指標を政権支持把握に用いるのは、ものごとの理解力や認識力や判断力を、IQという数値に還元して捉えられるものか疑問を感じます。仮にIQの低い政治オタクがいたとした場合に、彼はIQの高い政治オンチより精度の高い判断をするものと思われます。IQテストの設問自体が政治的内容であれば、話は別ですが。
ともあれ、国民を大きく分別する切り口として、量的な把握をする上で、一定の成果はあったのかもしれません。
あれから十数年経った現在、今もこの概念がどれだけ有効かはわかりませんが、あえて私は、憲法改正議論に持ち込んでみたしだいです。

正に小泉政権の頃からグローバル化規制緩和がより一層騒がれたと記憶しますが、この安易なグローバル化がチャイナの脅威に加担していることは、
明々白々たる事実です。経済だけでは安全は保障されないのです。よく言われることですが、経済発展すれば民主化するとは妄想でしかなかったことは、世界に明らかになりました。
安全保障が最優先です。だからこそ、アメリカは
チャイナに経済摩擦を仕掛けているわけです。ペンス演説が、チャイナ共産党を叩き潰すことを目標にする中、安倍首相が経団連を引き連れて習近平に会ったり、国賓として彼を招くなどとは、世界戦略を持っていないと言われてもしようがないでしょう。

こういう時代にあって、安全保障体制を確立するべきことは、待ったなしというべきです。その意味で
憲法九条に自衛隊を明記すること始め、改憲が急務なことは明らかでしょう。
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しかし、推測するに憲法改正に賛成する国民の数は
期待できないとみます。
実は、憲法改正できなくても「自然権」を梃子にして、日本は事実上の防衛を実現すべきとの論理を考えていましたが、ちょっと無理があるかもしれない思っています。もちろん、現行憲法が足かせになっているなどと言っていないで、さっさと北朝鮮拉致被害者を助けに行く気概があるべきことなのですが、この意味ではそうあるべきであり、そこを強調したいわけです。しかし、都度都度法案化するというのは、泥縄式に過ぎるでしょう。だからこそ憲法改正すべきなわけです。
ということで、話が振り出しにもどってしまいました。

ちょっと想起してみれば、第三象限に属する人々が多そうという推定から出発するしかないでしょう。
定量的なリサーチは、昨年4月のNHKのものや、その他マスコミ等のものがありますが、調査方法や、集計結果の表現に作為が感じられます。改正反対にしたいようなのです。
(ここでは量的なエビデンスは示していません。護憲派の多様性を指摘しているのみです。)

かなり厳しそう、この認識から始めましょう。
そのためにも、改正内容の議論を興すことが、そのことが、改正に対する「気づき」を呼ぶわけですから、その意味では、改正論議をいかに高めるか、まずそこが胆と言うべきでしょう。

今後のわが国の行末がかかっているのに、桜を見る会がどうした、大臣の任命責任がどうした、などと
志のない国会議員ばかりで、これも憲法改正と同じように暗澹としてきます。

安倍首相も憲法改正について腰砕けになっているのかもしれません。最近の消費増税や、特に親中ぶり。30年前の天安門事件直後の民主国家としてあるまじき対応を、日本はまた繰り返すのでしょうか。

米国議会は超党派で対中政策のコンセンサスをとっています。香港市民はあんなに頑張っているではありませんか。今回の選挙結果は希望の光です。もうすぐ、台湾も始まります。
今目の前にある危機とは、民主主義の危機に他なりません。ウイグルチベットのようにジェノサイド
されたくなかったら、今のうちから意識を確立しておくしかありません。
サイレントインベージョンは、この国内にも浸透していることに気がつかなくてはなりません。★

*「連合」については、2018年の9月の朝日新聞デジタルの記事では、改憲論議推進表明を出しています。本当に改憲なのかどうか確認できていません。改憲の中身がわかっていません。
前回のコラム「お花畑ほど美しいものはない」の中で記したように、私は連合に憲法改正についての見解を直接質問していますが、明確な回答は得られていません。
連合は核廃絶運動を進めていて、私はその裏テーマが憲法改正反対と見ていますが、改憲の中身が不明である以上、この見方の妥当性も判断がつきかねています。