街なかスケッチ

スマホを持って街を歩いていると、レトロな家並に出合って写真に収めたり、一休みの時に、ニュース
を見たり音楽を聞いたり、はたまた、メールや電話の連絡が入ったりと、記録、娯楽、連絡が四六時中可能となりました。
特にカメラ機能は、画質もよく、素人にも簡単に美しい写真が撮れます。動画撮影もできるし、それを
他の人に送ることもできます。
スマホを持つようになったせいかどうかはわかりませんが、無意識に撮影対象をウォッチするかのような、そんな自分に気がつくことがあります。
今回の記事では、最近気になっている4つのエピソードを、写真ではなく文章で定着させてみたいと思います。

もう、BGMはいらない?

茶店やファーストフード店のBGMのことです。店内で流されるバックグラウンドミュージックです。戦前からあったものかどうかはわかりませんが、戦後急速に普及したものではあるでしょう(おやじ臭い言い方)。
BGMと言えば有線放送になるのでしょうが、有線放送といえば株式会社USENが思い浮かびます。いつどこで何で知ったか忘れましたが、二代目の宇野康秀氏が関わっているようです(今現在の社長は別人)。この方の親父さんが凄いのですが、今そこを掘り下げる場所ではありません。

閑話休題。もうBGMは邪魔っけです。うるさくてしょうがありません。お客それぞれが勝手にイヤホン着けて、音楽を聞いたり、動画を見たり、ゲームをしたりする時代です。
スナックやホテルのような場所では、変わらず需要があると思いますが、喫茶店の類いのところでは、不要と言わせてもらいます。変にボリュームを上げていたり、選曲もいまいち、最悪は自店のコマーシャル放送を流しているところもあります。
例えば、マクドナルドです。静かな空間を提供できないなら、全メニュー半額にしてほしいくらいです。マックという場の空間と時間にお金を払っているわけですから、「あんたの宣伝聞くために金払ってないから」と言いたいところです。
そのうち、このような飲食ショップでは「WIーFIありBGMなし」が売りになってくるかもしれません。
DSC_2394_DIAGONAL.JPG
これ、まずいですかね。一言触れてしまったために
雪崩をうって、世の中変わってしまう、そんな類いのことかもしれません。
 USEN創業者の悪い意味でのレジェンドについて、私は何も言うつもりはありません。この会社の営業妨害など考えていません。私が言う言わないに関わらず、時代は動いていきます。それに、同社はGyaO!なんかもやっているわけですから、有線放送一本槍ではないし、「場」によっては変わらずマーケットはあるでしょう。

それとノイズ関連として、日本人の「椅子引きマナー」のなさはホントにひどい。椅子を動かす時に、持ち上げずに引き摺り、平気で音を起てるのです。これは、私が思うに道路に唾を吐くと同じレベルの悪行だと思っています。
正確には知りませんが、椅子文化の国では、たぶん教育されていることなのでしょう。以前、あるホテルマン経験者からこのことを指摘されて以来、私は
そっと椅子を持ち上げる習慣が身に付きました。その程度の「気づき」で変われることだと思います。
私は日頃からこうしたマナーを特に意識している人間というわけではありません。しかし、この「椅子引きマナー」についてだけは、いつからか、自然に身についていたのです。あの「ギィッー」という無神経は日本中に蔓延しています。学校でもそれ、平気でやっているでしょ。

スマホ時代にノイズはいらない。

令和仕様恋文作法

レトロを気どって便箋に手書きしても、それなりの良さとして伝わるかは、怪しい限りでしょう。
最近、ひと様のブログから、これぞ現代の恋文として使えるというものが見つかりました。
ブログ記事にその方法が紹介されていたというのではなく、そのブログ自体の作りが、恋文にいい!というものです。
これは、もう、「恋文」という概念では収まらない、なんというか、「スマホレター」とでもいうべきか…
構成要素は
①韻文的文章→ライトなコピー
②写真→華のあるビジュアル
③音楽動画→マイ フェイバリット ソングス
④デザイン→超レイアウト
から成っている、大袈裟に言えばサイバースペースレターとでもいうべき、まだ開拓の余地があるというか、私などがついていけない広がり、拡張性さえ感じさせます。

スタンスとして、りきみのない軽いノリがだいじです。「ぼっぼくは、あなたのことが、す、すきなんです」的な、ダサダサなメッセージとは正反対のことです。これが、自分の自然な表現としてやれる人は「おしゃれ」と言うべきでしょう。
①②は説明がなくともわかると思いますが、③のマイ フェイバリット ソングスは、ユワ( your) ・・・
でもいいでしょう。その方が効果的かもしれません。
④の超レイアウトとは、キャンバスとしての画面スペースを惜しみなく使うということです。通常の行間の概念をぶっ飛ばして、10行分くらい行間をとり、ゆったりと大空に描くようにライトコピーを書くのです。このことで、読者には心理的負担なく読ませます。

真骨頂は、映画音楽のような効果をもたらす、myなり、yourなりのお気に入りの音楽を貼り付けるのです。音楽による効果を最大限に駆使するわけです。
ここまでの表記で、伝わっているでしょうか。わかるでしょうか。

見掛けは公開ブログでありながら、当人同士にしかわからないメッセージやワードを入れることで、街の雑踏の中で愛を語るような効果が得られるかもしれません。

②の写真について触れておくとすれば、何回かスクロールしないと終わらないほどのおそろしく縦長の写真を一枚入れます。これは、空の広さや、海の広さを実にリアルに再現してくれます。

楽曲の世界に浸りながら、韻文的コピーや、美しい写真をたどってスクロールしていくと、映画を観るような最高の臨場感を演出してくれます。

百聞は一見に如かず、見てください。自分の好きな曲や写真の回が見つかったら最高です。下にリンクを貼っておきます、としたかったのですが…

ブログ制作者はKoh☆+Youさんです。
(ここは、そのブログに一発で跳んでいけるように、URLを貼り付けるべきところですが、うまくいきません。貼り付けはできてもジャンプしないのです。次善策としてそのまま貼り付けておくと、消えたりもするし…?kohさんすみません😢⤵️⤵️)

磁場にいるふた

私はそういう二人に遭遇すると、すぐわかります。「そういう二人」とは、そういうふたりのことです。そこにある空気感が違うのです。その二人を包む空間だけ磁場が形成されていて、独特の臭気が漂っています。視覚化するとすれば、仮に淡いピンクのミストで、その二人がふんわり包まれているようなものです。
これは、私に特殊な能力があって感じとれるといったものではなく、一般的に誰もがそう感じるものだろうと、思っています。特に二人がベタベタしていなくても、なんとなくわかります。あえて言えば、余韻を引きずっているからかもしれません。磁場と私が感じるものは、二人はあの余韻の渦中にいるからなのかもしれません。
つまり、「磁場にいるふたり」とは磁力が発生しているゾーンで、引き寄せ合う力に支配されているふたりということです。

最近、こんな三組のカップルを見ました。電車内で2回、ファーストフード店で1回。一組ずつ見ていきます。

ある朝、通勤時間帯のピークを超えたぐらいでしょうか。某駅でスラリとした女子高生が乗ってきました。白のブラウス、紺のミニスカ、セミロングヘアー、つまり制服姿ですから、JKとすぐわかるわけです。そのあとすぐ、カジュアルな格好の男性がはいってきたのでカップルだ、と私は思っていました。
しかし、私がすわっているシートと同じ側にすわったので、私の視界に入らず、あまり気にしていませんでした。反対側のシートにすわってくれたら、二人のようすがよくわかったところなのですが。あまり会話している声も聞こえてこなかったので、カップルではないかもしれない、と私は関心を捨てました。

ところが、私が某駅で降りた時、この二人は一緒に降りたのです。『やっぱりカップルだった』と思いながら見ると、二人は特に会話はないものの、うなづきあう程度で別れました。
男はバッグを持っていたので、ネクタイをするような仕事ではないながら、出勤と見えました。

この二人の別れを見て私は確信しました。「磁場にいるふたり」だと。女子高生が電車に乗ってきた瞬間から感じていた私の勘は間違いなかったと。男は三十歳ぐらい、いわゆるラブラブカップルという感じではないものの、明らかでした。
あとから考えれば女子高生はカバンを持っていませんでしたが、それは、私の想像を裏付けるもののように思います。制服なのに、カバンを持っていないせいか、この子はなんとなくアンバランス感がありました。時間も登校にしては少し遅いと思います。
私は電車を乗り換えるために歩きながら、「お金」が介在する関係かもしれない、などと考えていました。お互いに冷淡を装っていたのも、そのせいかもしれません。恋愛感情から出発していないから、会話はないし、相手のことを詮索しない方が、理にかなっているのです。
しかし、磁場は形成されていたし、ふたりを取り巻くミストは、私にははっきり見えました。

もう一組は、上記のカップルとは正反対でした。電車は下りなので、すいています。まあ、楽しそうに会話がはずんでいるのです。どちらも三十台半ばってところか、と。しかし、会話の盛り上がりとは別のニュアンスが感じられのです。お互いに「うれしい」のです。会話の端々に官能の残滓が瞥見されるのです。よく見ると、足首や手が微妙にときどき触れあっています。
これは、紛れもなく「磁場にいるふたり」です。

写真はイメージです。
IMG_20201029_171525.jpg
三組目は、某店でした。私はある動画を見ていましたが、その動画から視線を少し上げただけで、二人のようすが目に入ってくるのです。BGMをうるさく感じていたので、気をまぎらすために、少し二人を観察しました。
なんか変、なんか変と思っていたら、「磁場にいるふたり」だ!と気がつきました。なんとなく、女性はサンダル履きかと思って足下を見たらスニーカーでした。服装も、よく見ればちゃんとしているのですが、私には、なんか、パジャマにコートを羽織っている感じをイメージさせるものがあるのです。
男もシャツにズボンで普段着ですが、なぜか、デレッとしています。動画への視線をずらして男を見ると、頭を女の胸元へ寄せたりしています。女はそれに応じてはいないので、かろうじてひどいイチャイチャ感はないのですが、男を許しています。
住まいが近所なのでしょう。二人とも手ぶらです。
二十代後半のカップルです。しばらくして二人はいなくなりましたが、住まいのドアを開けた途端、始まる二人の行為は、私にはありありと見えてしまいました。

この二三ヶ月の間に遭遇した三組の「磁場にいるふたり」でした。

チーズスティックの衝撃

私は夏、暑さを紛らすために、いつからかガリガリくん食べるようになっていました。歩きながら食べるとおいしいのです。しかし、最近はガリガリくんは遠のき、時々アイスモナカの類いを買い食いします。
今年の夏、ある日セブンイレブンに寄ったら、初めて見る商品があり、それはチーズスティックというものでした。ためらいなくそれを買って一口食べたら衝撃が走りました。
🎶
初めて出合う、なんとも新鮮な味わい。木陰でばったり会った、初々しく、可憐で、透明感のある女性とでもいうような感動です。
たべものでこんな体験は「お初」です。
翌日も、その翌日も買って食べました。
しかし、その次からは、商品がないのです。チーズスティックは、どこへ行った!セブンのスタッフに、在庫がないか聞いたり、次の入荷を聞いたりしますが、全然わかりません。
私は都内から横浜市内まで、日常的に動いている範囲で目につくセブンを物色しましたが、ない、ない、ないんです。
ヨーカ堂ならあるかもしれないと思って探しましたが、ない。

ーズスティックは、平置きの冷蔵庫にあるアイス商品です。あの初めてかじった時の鮮烈さは、衝撃的です。私は味覚の分析はうといので、うまく語れません。後でメーカーに問合せた件が出てきますが、その際「ノーベル賞級のおいしさ」と表現しました。チーズと、アイスと、ビスケットのハーモニーが絶妙、パリッとした触感もあるし、かすかな酸味もすてき。真夏に、緑陰でぶつかりそうになった、白いワンピースのうら若い女性の瞳の輝きに、魅せられてしまったかのようです。おいしいものを
女性で例えるのは悪いクセです。しかも二回も。これ完全に先天性おやじ症候群でした。

見かけるセブンに入れども入れども、それはない。
7月下旬、3回連続で買えたことが、奇跡に思えてきます。実は、一番最初に食べた時、これはすぐ売れきれるかもとの直感はありました。でも、すぐ増産するとも思っていました。
店のスタッフに尋ねてもラチがあかない。そのうち、自分で仕入れ発注かけているわけでもなくPOSシステムでやっているのだから、この人たちに訊いてもわかるわけない、と見切りをつけました。そうだ、メーカーに問い合わせよう!

ホームページの問合せフォームをさがして、メルアドを入力して、それ飛んでけ!と希望の伝書鳩を飛ばした気持ちになっています。土日曜をはさんだので時間のかかること!伝書鳩はちっとも帰ってこないのです。

やっと返信メールがあり、読んでガ~ン。「それは当社の製品ではありません。それは、森永製菓にお問合せください」ときた。私が問合せたのは森永乳業だった!
それで気落ちして、しばらくそれっきりになりました。

1カ月ぐらいして、気を取り直して森永製菓に問合せました。私の「ノーベル賞級のおいしさ」表現に反応があり、お礼とともに「社内関係者に全員に伝えます」とありました。
しかし・・・
7月いっぱいで製造中止だと。⤵️

もうあの綺麗な女性と二度と会えないと思うと、私はロス感で、底なし沼に落ちていくばかりです。💔
IMG_20201029_113707.jpg


 PS 哀しいお話

マクドナルドや、チーズスティックのことを書いたものの、実はやるせない思いがあります。自分が庶民であることをさらしているからです。マックにケチをつけ、チーズスティックにはしゃぐのは、貧民の世界のことだからです。
ほんとうは、自分の人生はこんなものではなく、こんな程度の題材で話題にはしたくなかった、という思いがあります。

エシレはバターで有名ですが、当然チーズもかなりのレベルのものを生産しているでしょう(これは推測。エシレが超一流のチーズ生産地と仮定しての場合です)。たとえばチーズを語るならエシレを語れなくては、というようなことです。フランスの現地を体験してそこでのチーズづくりを知っていれば、本当のチーズのおいしさを語れるでしょう。

ワインについて語ろうとした場合も同じように、本場のほんものを知っているべきです。ロマネ・コンティを普通に飲んで知っている生活背景があることです。今、日本のワインも、かなりのレベルになっているよ、といったそういう次元のことではありません。文化の域にまで達した超一流の「ほんもの」のことです。有名無名は本質ではないでしょう。

単純に金持ちになりたいとは思わないけれども、お金がないと「本物」を知り得ないのです。お金に糸目をつけずに一流のレストランを普通に堪能している、同じように本格チーズを使ったケーキを当たり前のように食べて知っている。その上で、マックにも入る、チーズスティックも絶賛する、というのならいいのですが…。このあたり、伝わるでしょうか。

もともと文化的成熟は経済的豊かさと切り離せないことです。ヨーロッパの貴族と文化といった関係を思えばわかるし、あのウィリアム・モリスだって、裕福だったからこそ、デザイン制作に割ける時間があったわけです。

私は、「街なかスケッチ」で最後にこんなことを書くつもりではなかったのですが、マックやチーズスティックに触れているうちに、寂しいものを感じているわけです。はしゃぎすぎのあおりであるかもしれず、スケッチした絵には影が尾をひいているかのようです。★