横須賀は、まず防衛を語るべし

ー 危うい「横須賀芸術劇場廃止論」

本コラムは、小林市議の、自身の論述に対する意見の求めに応じて、私の見解を申し上げるものです。

2020年9月18日付けタウンニュース紙に、「芸術劇場を廃止しコロナ対策を」と題する小林のぶゆき市議の意見が掲載されました。これはわずかな小記事なので、同市議の主張は、そのブログに至ればその意見の大要を知ることができます。タイトルは横須賀芸術劇場廃止論」となっていて、おおまかにまとめると、バブル期に造ったお荷物と見ているようであり、市が管理運営する横須賀芸術劇場を廃止すべきである、というものです。

同市議は、最近になってこのテーマを持ち出したわけではなく、前吉田市長の時代から、この問題について市議会で質問を重ねたりしています。その2011年時点と覚しき質疑記録が公開されてもいます。

今年京急120周年事業での駅名改称の際、芸劇が副駅名になった
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市の財政はどうよ

では、横須賀市の財政事情がどうなっているかですが、企業の経営成績は年度ごとのPLにより、利益が出ているかどうかをみれば大体わかります。市の公開情報では2018(平成30)年の財政状況やその分析資料が閲覧できます。「経常収支比率102.1」「財政力指数0.82」「将来負担比率36.5」などが数値で示されています。一番わかりやすそうな資料にたどり着いたものの、これが素人には簡単に評価しにくい代物ときています。で、横須賀はどうなのか?がわかりません。上記数値は「財政状況資料集」からのものですが、その中で横須賀市は市町村類型で中核市との記載があります。これは、人口等の基準で区分したもののようで、私は財政状況についての評価基準を期待したのですが、そういうものがあれば把握しやすかったわけですが。

結論から先に言って私は小林市議に反論を試みようとしています。普通に考えれば、横須賀市の財政事情について、私なりの独自財政分析の点から異論を唱え、あわよくば市議の展開する考え方を論破するアプローチがとられるでしょう。ところが、行政の財政状況はかんたんに分析評価できるものではなさそうです。特に定量的データを見てもなんだかな~って感じです。探しまくって的確そうなデータを見つけたものの、その解釈、評価がそう容易なことではないと感じました。

そこで、私のアプローチをこのように変えてみました。そもそも、私は市議の意見をを経済面から論難することにはありませんので、市の財政に対して経済の素人なりの大づかみの捉え方で把握することに留めよう、と。市の公開情報から定性的なところを拾ってみると、以下の通りです。

「近年、本市(横須賀市)の財政は、単年度の収入だけではその年度に必要な支出を賄うことができない状況が続いていて…」
「使い道として社会保障費が大きく増えていて、人件費、投資的経費などを削減することで賄っている状況にある…」
「主たる歳入、特に市税が大きく減少しているため、市が自由に使える収入が大きく減少しています…」
2018年4月2日現在)

例えば「財政破綻」などについても、その定義の違いから、経済の専門家同士で意見が衝突しているという事実があります。また、マクロ経済などもリフレ派あり、MMT理論があり、混沌としているという印象です。つまり、経済や財政はかんたんには白黒つけにくいところがあるということです。

では、横須賀市の財政はヤバイのかといえば、ダイヤモンドオンラインの記事から「自治財政破綻度ランキングワースト10」(2019.10.28)などを見ても、ワースト10には入っていません(何位かは不明)。ひどい事態にはなっていないことを押さえておきたいと思います。といって、松竹梅の松とは言えないだろうと推定しています。

もともと横須賀市は過疎化や人口減少が進んでいて2~3年前の報道では、人口の転出が全国で三本の指に入っていたことと、人口が 40万人を切ったことが印象的だったと記憶しています。また、人口減少や少子化問題は、同市のものだけではありませんが、そんな中、市の台所事情について早めに手を打とうとする姿勢は、必要なことであることは間違いないことでしょう。

経済合理性ありきでよいか

しかし、私は、小林市議の主張には危ういものがあると思っています。
市議の論理は徹底して経済合理性に基づくものであり、コスト論です。芸術劇場はもともとバブル期に造られたものであり、そろそろ開業30年を迎えるにあたり、試算で658億円かかっている、横須賀市民一人当り16万7千円の税金を使っている、このまま市の管理運営を続ければ劇場の生涯コストは膨大になる!と展開しています。
(その後、市文化振興課から出てきた生涯コストは1,100億円超とのこと)

特に、市議の論法は、これだけの予算があれば、他の有意義なことに使えるというものになっています。年間4億円の管理コストを費消しており、これを福祉に回した方が有益だし、そもそも劇場運営は市の中核事業ではない、などという言い方にその特徴が出ています。ウェブサイトに載っている市議会議事録(2011年頃)では、前吉田市長に対して、特に中学校完全給食化の重要性から、この費用を芸術劇場に掛ける分から回すべきだと主張しています。

これらを見ていると、言われていることの一つ一つはいちいちもっともなようなのですが「何か変」と私は感じてしまいます。
芸術劇場より福祉が大事だ!芸術はお金を使うばかりで、それより子供達の給食が大事だ!これって、
市民感情におもねってばかりのようです。
もそも劇場運営は市の中核事業ではない」?
そんなことは、わかって始めたことではないのですか?
市議のおっしゃることは、短絡的過ぎます。

芸術劇場にどんな夢を見たか?

ここで振り返るべきは、何故、横須賀に芸術劇場を造ったか、ということです。殺風景な軍港都市を集客力のある観光立市を確立すべく文脈の中で考えたあたりかとは思いますが、当時の経済的な背景の裏づけを基に、何らかのことを考えたはずです。誰もお金を使うために使っているわけではありません。何かしらの目的や夢があり、それを達成するためにこそお金を手段として充てているわけです。
そこに、構想があったはずです。

小林市議は、ここに全く触れていません。経済合理性一辺倒の議論になっています。これは、やや飛躍しますが、亡国に通ずる道と私は申し上げます。どういうことかと言うと、脳天気に台所事情をオープンにしていると、中国に目をつけられますよ、ということです。中国がサイレント・インベージョンで世界を着々と汚染している時代に、横須賀もシャブづけにされる恐れがありますよ、ということです。経済性だけではなく、横須賀芸術劇場を造る狙い、そのあたりのことも検証しなければなりません。過去26年かけて積み上げてきた芸術・文化を経済性の名のもとに破壊するつもりですか?(指摘①)

特に、横須賀は日米安保条約の中で、極めて重要な戦略拠点であり、中国が虎視眈々と尖閣を攻めつつある今、もし何かあれば、横須賀は兵站を担うべき軍港です。中国が遠謀深慮で横須賀を手中にしようとすることは、すでに計画があってもおかしくありません。その片棒を担いでくれる日本人がいれば、中国はそこを狙うことは必須でしょう。

コースカ・ベイサイド・ストアーズ側から芸術劇場を臨む
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煽りの裏

また、小林のぶゆき市議のブログにおける横須賀芸術劇場廃止論」というタイトルは、無駄に煽っています。市議の主張の内容を精査すると、廃止論というより本質的には管理運営方法の見直しによるローコスト化が本義とみます。市営のプールや図書館等公共施設に民間活力を使うPFI(プライベート・ファイナンス・イニシアチブ)等の手法は、詳しくはわかりませんが今花盛りではないのか、などと私は思っています。何故、そこをフォーカスせずに、「廃止論」と煽るのは、市民に問題提起する以上の別の意図への煽りがありそうな気配を私は感じてしまいます。経済性だけの偏頗な議論に、横須賀市民は乗らないと思いますが。(指摘②)

それと冒頭で見たように、横須賀の財政事情は危機的で逼迫しているわけではなく、今後の大胆な舵取りに掛かっていると、私は推測しています。その意味で芸術劇場の管理運営手法の見直しなどは必要なことですが、小林市議は、市の財政状況の評価、位置づけをすっ飛ばして、いきなり「芸劇コスト掛かり過ぎ!」と叫んでいるかのようで、そこの説得力が微妙と感じてしまいます。

小林市議の論理について、経済性だけで語っていること、また、無用に煽っていること、この二点は指摘させて頂くとともに、チャイナに狙われないようにすべきことに警鐘を鳴らしたいと思います。
今の世界状勢の中で、国家観を持たない国会議員や自治体議員などあり得ません。今、日本はヤバイ流れに巻き込まれないようにする瀬戸際あるいは分水嶺にあることをご認識でしょうか。

さて、私の申し上げたいことは、小林市議の意見に真っ向から反論しているものではありません。そもそも経済性を無視して横須賀芸術劇場も、横須賀市も成り立たないことは自明のことです。
では、何を言おうとしているのか。それは、横須賀市として論ずべきテーマの優先順位の問題と集約しましょう。

すでに少し触れたように、今の世界状勢と、横須賀という都市の性格を考えた時に、横須賀の最優先事項は横須賀芸術劇場ではないだろう、ということです。もちろん、運営手法の検討は必要なことであり不要と申し上げているわけではありません。

いま必要なのは世界観全体観 

いま、地球上で起きている大きな潮流は、私などが言わなくても、広く伝播していることとは思います。ここ数年で世界の安全保障地図は一気に様変わりしました。米中新冷戦時代への突入です。中国に対する米国一国だけではありません。5アイズ(米英加豪新)の陣営VSチャイナという構図です。英国の招きもあるようですし、日本も積極的に入るべきでしょう。また先日、政権が大きく歩を進めたと思われる米豪印4カ国外相により、セキュリティダイヤモンド会談が開催されました。

オーストラリアは、チャイナにかなり食い込まれていましたが覚醒しました。ヨーロッパの国々も、いよいよチャイナに「NO」 を突きつけています。アメリカの大決心は、一昨年そして昨年のペンス副大統領の演説に象徴されますが、議会は一枚岩になったと言われます。これは、昨日今日出てきた話ではなく、2015年頃から始まっていることです。議会だけではなく、学者、知識人含め、アメリカは結束したとされます。習近平の振舞いの逐一に、そして超限戦や戦狼外交に、対中政策の在りかたでは大きく舵を切ったのです。

もちろん、非人間的なウイグルチベット等の人権弾圧はもってのほかです。コロナ発祥国でありながら、謝りの気配もないときています。さらに、かの国も経済力がつけば民主化するだろうという思いが誤謬だったことに対する、深い反省がそこにはあることも、世界が一致した認識でしょう。我々も国際秩序、法の支配を守ることに寄与せずに、どうして自由と平和が守れましょう。

米国に引き換え我国のありようはお寒いものがあります。スパイ防止法もないザル国家で、国会や学界に工作員は入り放題、WGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)の罹患から抜け出せない教授連中、中国にマーケットしか見ない丸腰のグローバリスト経済人、国家観大局観のない一部の国会議員や首長ども。北海道は土地を買い荒らされ、ウポポイに見られるチュチェ思想の蠢動、尖閣は日々一触即発の状態です。

今こそ、我国の地方自治体も、地方自治体から目覚める時です。まして、横須賀はジャパンネイビーと米軍が併設された、重要な拠点であることは言うまでもないことです。それと陸海空三軍揃ってもいる屈強の地です。そもそも三浦半島は江戸時代から地政学的に「要」でした。特に横須賀には砲台跡など戦争遺産は数多く残っているだけでなく、「日本近代化への躍動が体感できるまち」として日本遺産認定されたことは、よく知られたことです。歴史的に国防上の要衝を担っているのです。
今年行なわれる筈だった「浦賀奉行所開設三百周年」イベントはコロナで中止になりましたが、この企画においても、私は「防衛のまち」としての色合いをどれだけ出せるかを注視していました。横須賀は「防衛観光」を標榜すべきではないか、と近年考え続けています。

横須賀芸術劇場はEMクラブ跡にある
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市が「観光立市」を掲げて取り組んでいることはわかりますが、生ぬるいと感じます。我国の防衛をこそテーマにすべきが横須賀のレーゾンデートルというべきでしょう。このことにこそ市民は目覚めなければならない、と思います。日本でもっとも安全保障に対する意識の高いまち、横須賀はそうあってほしいと願っています。そのことによってこそ、集客、住民流入に拍車をかけるべきです。その具体的な成功例の一つに「YOKOSUKA軍港めぐり」(*)などを見ることができるでしょう。

攻撃態勢は最大の抑止

私は、武山にパックスリーを設置している程度ではおぼつかないと思っています。これはあくまで米軍基地迎撃用に過ぎません。横須賀には「敵基地攻撃能力」ではなく「敵都市攻撃能力」(**)を置くべきだと考えます。それが、軍港としての、戦略拠点としての、横須賀の安全を最大化する道です。もちろん、専守防衛の範囲でのことです。
音楽だいすき、イベントだいすきもいいのですが、
今ここで行政や市民が覚醒できるか、にかかっています。

このように考えた時に、横須賀は今の世界状勢において日本の国防意識のイニシアチブをとるに最もふさわしいまち、地方自治体というべきです。
芸術劇場の運営方法の検討検証も並行して行なわなければなりませんが、「廃止論」をセンセーショナルに煽って、中国の脅威から目を逸らすことになってはいけません。私が危うさを指摘する最大はこの点でしょう。
今、野党の振舞いは幼稚園児なみですが、本来は国家主導の政策領域ではあるものの、これを地方自治体からも興すことが必要だと思っています。この視点は今私が知る範囲では、それを語る識者、ジャーナリスト等は見当たりません。お国任せではなく、
国も地方自治体も連携が必要!を唱えたいところです(何か概念作れそう)。今ムダに騒いでいる日本学術会議が提案すべきは、こういうことではなかったのですか。

日本を守ろう、立ち上がれ横須賀

市の歳出項目を見る限り、特別会計にも一般会計にも「安全保障」や「防衛」に関わりそうなものはありません(隠れているかもしれません)。アメリカに防衛費用の増額を言われてそうするのではなく、GDPの1%などと非現実的なことではなく、日本は、まともに日本を守れる予算を確保すべきであり、横須賀は自治体として基地を守ることに加担するとともに、自治体独自思想として防衛の考え方と必要な費用投下を通じて、世界一安全なまちづくりをめざすべきと考えます。自衛隊の募集採用にも率先して取り組み、自衛隊員へのリスペクトの有り様にも横須賀は真っ先であるべきでしょう。
私も一時、重武装中立に傾斜しましたが、もはや中立はあり得ません。この流れで米国とともに歩むことによってチャイナに対峙にしなければ、中国共産党を潰せません。そうでなければ、われわれの子や孫の世代に、自由で平和な日本を存続できないことは、嫌が応でも明白になってしまいました。

これは、小林市議に向けての論というより、上地市長はじめ、市民に向けてのものです。また、菅総理にも向けています。横須賀からムーブメントを起こして、国政を動かすべきでもあります。
横須賀芸術劇場の運営方法の再検討と、日本における横須賀の、防衛面からステージアップする戦略的構築は、喫緊の課題と私は考えています。

最後に、もはや横須賀は横須賀市民のものだけでは
ありません。日本の防衛を担っている立ち位置にあることを踏まえていただきたいし、横須賀芸術劇場について財政・文化を踏まえて再検討しつつ、現況において、上記の論点での市政の包括的戦略的ビジョンが求められている状況と愚考しています。★


*「YOKOSUKA軍港めぐり」について
この遊覧船は開業10年を過ぎビジネスとして成功しています。コロナの今年は別にして年間、横須賀の人口の半分にあたる乗船客を運んでいます。
日米地位協定の中、よくぞ水路を確保したかと思うばかりですが、私は軍事の素人として、又割き状態になっています。
「YOKOSUKA軍港めぐり」は、約40分の航路を周遊中、次々に現れる艦船の役割や性能等を逐一アナウンスするという遊覧船です。当然中国の工作員がこの港の視察に来ていないわけがありません。海自横須賀地方総監部よ大丈夫か!という点で、また、戦後毎月南麻布で米軍高官と続けてきた日米合同会議に参加している日本の官僚さんよ正気か!という意味で、このお花畑遊覧船を否定したい気持ちがあります。
朝鮮半島有事の際は、即水路は封鎖されるのでは
という懸念もあります。
一方、それ故に、逆にYOKOSUKA軍港めぐり」は
平和のシンボルとも言えます。この平和のシンボルとしての視点は、船内アナウンスで語っているかは知りません。(株)トライングルさんも観光協会さんも市も、平和と防衛をうまく観光リソースとして活用すべきと思います。
私はこの矛盾した思いに解決策を見つけかねています。軍港めぐりを否定したい思いと、絶賛、応援したい思いに引き裂かれています。

**「敵都市攻撃能力」について
これは、作家で憲法学者竹田恒泰氏の見解に依拠しています。今年の夏、河野前防衛大臣が、イージス・アショア計画を見送ったことが話題になり、この頃に敵基地攻撃能力論が出たと思いますが、その上をいく考え方です。現憲法下で可能です。
我国は北朝鮮や、中国のミサイルの射程内にあることをお忘れなきよう。

補足
小林市議殿
本文中、私は市議個人を批判はしていません。文中各所で都度、たとえばカッコ内で弁疏的に(小林市議に対するものではありません)などと記載すれば、その文意で市議を具体的に批判する効果を逆に持ってしまうと考えた上で、こうして末尾でまとめています。全体としては市議に対する反論ではあるものの、個別論で市議を疑わしいとして断定してはおりません。そのエビデンスがあればとっくに出しています。

■本稿のライター
コラム星人スンガー
メール:yokohama.moon.150728@gmail.com
2020.10.27