ニューサードプレイス論

【強毒感染症下の世界観】

〇はじめに
私は社会学や安全保障の専門家ではありませんが、アマチュアとして、公開情報に基づいて自分の思考をまとめてみることに、わずかばかりの関心をもっています。好事家の浅墓な論理について、非難、中傷以前のネグレクトとも言えない、見向きもされないことは承知の上です。しかし、それでもなお、書き付けたい衝動を押さえることはできません。ここが出発点です。憚り無く申せば「素人視点の思想」
(Theory of amateur viewpoint)を標榜するものです。これがコラム星人としてのポリシーということです。
DSC_2161.JPG
〇サマリー
ご存知の通り「サードプレイス」は、1989年に、アメリカの社会学者レイ・オルデンバーグ教授がその著書「The Great Good Place」で著している概念です。家庭、職場に次いで「第3のとびきり居心地の良い場所」を提案してくれました。背景にアメリ
文化・社会があってのことでもあり、その論旨をつまびらかにすることが本論の役割ではありません。

また、今思うに天安門事件のあった年と重なることは、人間の豊かな社会生活が志向されている一方で、共産主義国家では大量殺戮が行なわれているということに、何らかのメタファーを見いだすこともできそうなことがらではあります。

閑話休題、「サードプレイス」は日本では、1990年代にわが国へ出店攻勢をかけてきたスターバックス
コーヒーが採用したため、広く知られることになったと言われます。しかし、スタバがどんな固有性でサードプレイスを実現していると言えるでしょうか。それは、否というべきでしょう。

本論では、オルデンバーグ教授のサードプレイス概念を援用させて頂きます。

私は、現在の新型コロナウイルス禍の状況を二つの
キーとなる概念で捉えています。

①サイバープレイス
②サイバーウォー

その上でこれを統合する上位概念が

ニューサードプレイス

になります。

サイバープレイスでは、コロナ下において普及・進展するネット界コミュニティのようすを見てみます。ネットやウェブの発展状況のことではなく、感染症下での状態という点に新しい意味性を与えたいと考えています。

サイバーウォーでは、コロナ下においても着々というか、必死にというか、中国の「超限戦」にスポットをあて、その世界の覇権争いに注力する恐ろしさに着目します。中国ではサイバー戦にかなり軍事予算を投下していると言われますが、サイバープレイスの時代になり、その驚異は止まることを知りません。

〇いつの間にかニューサードプレイス

オルデンバーグ教授が提唱したサードプレイスが、
その狙い通りの意味で日本に定着してはいないことは、まず明らかでしょう。

都市化の波で、隣の住人の顔も知らない生活文化が浸透している中、コミュニティはとっくに崩壊しているというべきかと思います。もう少し入り込み、コミュニティの要素を「共同体意識」に焦点を合わせて見れば、これはかなり稀薄なものだろうと言うことです。と言うとき、戦前のわが国にあったであろうコミュニティがすでにないその論旨のみに捕らわれることを恐れ、もっとコミュニティ概念を敷衍し、スポーツジムや囲碁教室やカルチャーセンターに視点をあてるなどを行なわないことは怠慢の謗りを受けるでしょうか。

一方「サードプレイス」を現代の一つの夢として語ることは、大いにわかりやすい話です。

またスターバックスコーヒーが、喫茶店業態を通して実現しようとしたサードプレイスを、否定的に捉えている私の見方は、論理的説明不十分として退けられるべきでしょうか。

ここで意図していることは、オルデンバーグ教授の指摘、提案を検証することではなく、その概念を援用しつつ、新たな意味を与えたり、意味を転換してしまうことです。換言すれば、こんにちの状況を説明するにあたり、違う視点でのサードプレイスがよく当てはまるのではないか、ということです。

〇一変した世界

1982年の映画「ブレードランナー」を見た時私たちは、遠い先の未来社会を暗鬱な気分で受け止めていたと思います。メランコリックな音楽の効果もあり、酸性雨が降りしきる都市の情景は、けっして明るいものとは言えなかったかと思い起こします。

2020年3月29日、都心には雪が降り積もっていました。気温も低く、思わぬ雪道は、とても情緒的な気分に浸れるものではありませんでした。驚くほど人通りがありません。雪だからではありません。日曜日だからでもありません。

白い降雪がコロナウイルスが具体化して沈殿したのではないか、という妄想が駆け巡りました。私は、形を変えてブレードランナー未来社会が今来ていると感じていました。抽象的、感覚的なものですが、妙に想起させるものがあるのです。道を歩いているのは私だけです。

ブレードランナーでは雨が日常的 ですが、コロナ世界では「疎」が恒常的です 。人が疎らな道路、乗客が疎らな電車、わずかの子供が 遊んでいる公園、駅は毎日休日の朝のよう。在宅勤務 が恒常化、テレワークの普及、確かに営業している スーパーマーケットやコンビニエンスストア。 ファーストフード店はテイクアウトとデリバリーが活況を呈している。 
その一方で、病院、保健所は大忙し、電話相談センターの鳴り止まない電話。
営業を続ける飲食店や商業施設フードコートのソーシャルディスタンスはすっかり定着したかのよう…

〇サイバープレイスとは

「サードプレイス」の要点は、個人的に快適な場所ではなく、あくまでコミュニティにとって、の部分かと考えています。

コロナウイルスのせいで、世界中の人々は「おたく」であることを強いられているようなものです。
その結果、既存のテレビメディアでは視聴者との双方向性がありませんが、ネットメディアでは、双方向でのコミュニケーション機能が確立していますので、確実にコミュニティが形成されていると言えます。放送と通信の違いの面でもあるでしょう。

もう当たり前になったSNSの世界です。フェイスブックツイッター、ブログ、ライン、ユーチューブなどをはじめ、様々なインターネット通信の世界は、世界全員おたく化モードの中で、そのコミュニケーションは以前にも増して活況を呈していることでしょう。インターネットテレビや、インターネットラジオ(ラジコ)もその中に入ってくるでしょう。流行の「ネットサロン」という言い方は正にコミュニティそのものと言えましょう。

人々の日常的なコミュニケーションや、趣味的なサロンだけではなく、ユーチューブやズームでの学校が企画され、勉強に励む学生もいます。
また、コロナ対策に関わる情報がネットツールを活用して国、地方自治体、メディア、個人などから、大量に発信されてもいます。

このように感染症下でのネットによるコミュニティの形成、その中でコミュニケーションの活性している状況、これを①サイバープレイスと呼んでみようかということです。すなわち、それは狭義でのニューサードプレイスというわけです。

〇サイバーウォーとは

このコロナ禍のさなか、中国が着々と領土拡大を図ろうと、覇権争いへの執念を見せることに、「何を考えているんだ」とか「コロナウイルスを撒き散らしておいて非常識」等のコメンテーターのうぶな発言が聞かれます。しかし、覇権争いにルールがあるわけでもなし、国連が頼りになるわけでもないことは、赤ちゃんではないのですから、それは当然わかっていることでもあります。

中国共産党は件の「超限戦」を仕掛けているのです。油断したら、じりじりと海から空から攻めこまれるだけの話です。あらゆる局面を機会と捉えて自国の力を高めようと知恵を絞る陣営と、腑抜けの憲法で動けないことを見透かされてもなおアホな国会ごっこをしている陣営とでは、どちらが強いのでしょうか。戦争に正しいも汚ないもありません、負けたら殺され国は滅ぶだけのことです。

ウィキぺディアからエッセンスを引用すれば、超限戦は「あらゆる手段で制約無く戦うもの」とされています。1999年、中国の二人の戦略研究家による共著が基となっています。
これを説明的に述べることはやめて、私の理解では
「コロナの状況をも活用するスタンス」が超限戦だと思っています。

現代の戦争の態様は陸上戦、海上戦、航空戦、宇宙戦、電磁波戦、サイバー戦の六種類があると言われています。軍事の六分野といった方がよいかもしれません。

サイバー戦では、日本企業がよくコンピューターに
侵入されハッキングされることが、ニュースになります。相手は中国とも北朝鮮ともいわれます。

私がいまこのサイバー戦、IT戦を気にするのは、コロナ禍において、サイバープレイスが活況を呈していると思うからです。仕掛ける側からすれば、混乱は大きいほど効果があがるわけで、その点では、日本国民のコミュニティ=サイバープレイスを混乱させることは、難しくはないことと思われます。

サイバー戦を有効化させるには、ターゲットの環境が熟しているのではないか、ということです。
もちろん、今すぐ中国が日本のネット界に攻撃を仕掛けるかは、別途議論が必要なことでしょう。

ここでも確認として申し上げたいのは、コロナ下でのサイバーウォーという事態が、従来のコロナ以前とは異なっているという点です。攻撃しようとする側にとって意味が増している、その事象に対して、②サイバーウォーと名付けたいわけです。それはまた、すなわち狭義での二つ目のニューサードプレイスと申し上げましょう。

中国が仕掛ける日

野口悠紀雄氏が自著「中国が世界を攪乱する」について、その発売告知の格好で、東洋経済ON LINEで「コロナとの戦いで見えた中国の本質的な問題ーIT強権国家のルールが世界を支配する日」という解説を述べておられます。
IMG_20200507_033607.jpg
この著書の大意の視点に目新しいものはないように感じます。一昨年10月の米国副大統領ペンス演説以来、世界のパワーバランスの潮目が変わったことは既定の事実であり、跳梁跋扈する中国のひどさ加減に、アメリカは覚醒したと言えると思います。脳天気に、島国根性につかり「目の前の危機」に気づくことなく「カエルの楽園」状態なのはわが国の政治家どもです。

このコロナで世界が中国を相手どり大きな混乱が生じる状況が形成されつつあります。中国に損害賠償を求める動きが出始めているのです。米国や英国はじめ、8カ国が対中報復に名乗り出ています。

米国は戦略的に貿易戦争を仕掛け、そのさなかにコロナ勃発、トランプ大統領は、武漢の発生起源の証拠を公開しようとしています。制裁を加えると明言しています。すでに米国はコロナでベトナム戦争以上の死者を出しているわけですから、それも頷ける話ではあります。

火ダネ的要素としては損害賠償請求の先に、米国にある習近平等中国要人の資産の差し押えのことが挙げられます。こういった事態の想定は、野口氏の言われるIT強権国家の中国に対して「われわれは、いま未来社会の原理を選択する岐路に立っている」という感覚は、やや切迫感を欠いているように思われます。

第二次世界大戦が終わってから久しくなりましたが、陸海空の従来型の戦争という形態で始まるとは限りません。特にコロナを契機として、中国の超限戦に対して、米国も黙っているわけがありません。
双方が譲れない状態が構成されつつある未曾有の事態に、日本はそもそも、コロナそのものに対しても危機感を欠いているといわれます。体制がインフルエンザの一種的受け止めとなっているお粗末さは、佐藤正久氏が指摘している通りです。
5月7日現在、中国公船は23日間連続で尖閣周辺の接続水域に現れています。

①サイバープレイスと②サイバーウォーがリンクする可能性はすでに触れました。その上で、この両者を統合する広義のニューサードプレイスとは、当然ながら、第三次世界大戦へのリンクの可能性を示唆するものにほかなりません。「蟻の穴から堤も崩れる」のことわざがあります。人類始まって以来のコロナリスクを契機として、もうひとつの新たな大きなリスクの導火線に点火する日まで、すでにカウントダウンが始まっていなければよいのですが…★