コロナという試金石

「あと2週間で結果が見えてくるでしょう」、「あと2週間で落ち着くでしょう」、一体このコメントを何度聞いたことでしょう。と思っていたら、終息までにはあと2年かかるという専門家が現れる始末です。

いっそのことあと20年は続くという前提で始めるのはどうでしょうか。政治・経済・社会すべての階層で、あらゆる事柄へのアセスメントを行ない、人間の生き残り、日本国の存続を賭けて取り組むということです。価値観、人生観、幸福観・・・すべてが変わるのでしょうか。「清く貧しく美しく」の世界へ行くのでしょうか。経済は縮小するわけだから、ベーシックインカムはないか…。変わらず残るものがあるかもしれません。それは、残った方がいい、残るべきものもあるだろう、ということです。

因みに、今後ポジティブな意味を喪失していく可能性のある言葉をランダムに並べてみると・・・
ふれあい、肌感覚、握手会、スキンシップ、接客、フレンドリー、集会、全員集合、手渡し、手から手へ、ぬくもり、ともに汗を流す、交流、相互浸透、侃侃諤諤、議論百出、大声、グローバリズム、インバウンド…などが浮かびますが、こんな列挙より次に台頭するキーワードを考えた方が生産的かもしれません。

実は、よくよく考えてみれば、元に戻るなどという甘い夢は捨てて、20年というタームに拘らず日々手を打っていくことこそ、現実的な方法ではないでしょうか。すでに、そういう動きは始まっているように思います。

デリマック

マクドナルドは、4月20日からイートインをやめたようです。私は15日にツイッターで「Macはデリバリーに夢中」とあげました。テイクアウトとデリバリーの注文に大わらわで、イートインの注文客を放置するような状態があり、それを皮肉る発想だったのですが、ひょっとしたら業態転換の兆しとの見方がよぎり、皮肉はやめました。
売上数値のエビデンスはありませんが、マクドナルドはこのところ売上が伸びていたのではないか、と思います。そういう中、イートインをやめたということは、ショップ内でのコロナの発生を避けたかったのではないか、と見ます。消毒期間の営業停止に遭うより、テイク&デリバリーに絞り、そこそこの売上を維持する政策をとったのかもしれません。あとは、従業員の健康管理を徹底すればいいのです。

もし、コロナの終息が見込めなければ、私はマクドナルドがク&デリバリー業態に転換するかもしれないなどと想像もしています。もう厨房スペースだけあれば出店できるのです。これはビジネスモデルの変更を意味しています。

その一方で、スターバックスコーヒーは休業に入っています。 5月6日までの対応でしょうし、早く営業再開したいことでしょう。私が思うにスタバはもう高密度客席配置はできないのではないか、と思います。もちろん、コロナの終息の程度しだいではあるのですが。
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サードプレイスって何よ

ここに至って私はスタバに申し上げたい、という思いがあります。1996年頃日本に出店し始めた際にぶちあげていた当初のコンセプトを堅持してほしい、ということです。「サードプレイス」のコンセプトで日本に乗り込んできたのはよかったのですが、あのゆったりとした客席の配置は瞬く間に消え失せ、売上主義に走ったのを見たのは、私だけではなかったでしょう。あのリッチな空間、余白こそ「サードプレイス」なのだろうと理解していました。これ、勘違いだったのでしょうか。

しかも、そもそも「サードプレイス」は、1989年にアメリカの社会学者が提唱した概念です。マクドナルドは1971年に日本に上陸しました。こんな歌を作って、スタバの店内で流すという企画はどうでしょうか。「♪日本のサードプレイスはマクドナルド」「♪それは昭和46年から始まっていることさ」「♪アメリカ風味だいすき、日本人の心をつかんだね、それはスタバが来るずっと前のこと」と歌ってやりたくなります。

日本ではわりあい有りがちだと思いますが、その本質は関係なくイメージだけが輸入され、定着するようなことです。「サードプレイス」についても、そんな感じがします。日本的なサードプレイスは、ルノアールがそれに当たるという説もありますが、そもそもコミュニティにとっての居心地のいい場所ということなので、そういう意味でのサードプレイスにはスタバはまったくなっていません。日本人が受け入れるイメージで入り込んだその手腕は評価すべきなのでしょうか。*

コロナから話が逸れましたが、この問題では、何かあっても病院へ行くな、保健所にも行くな、まず電話で問い合わせよ、となりました。都知事が記者会見するバックには連絡先電話番号が2種表示されているだけです。

このような時必要なのは、病院でもなく、保健所でもない場所、サードプレイスが必要だったのではないか、と思えます。緊急避難場所の趣旨ではありません。医療崩壊を防ぐ、第3フェーズ機関の構想です。もし、コロナの長期化が避けられないとすれば、本当に必要かもしれません。

防げるか医療崩壊

医療の専門家ではありませんので、素人の思いつきです。それは隔離施設の方向になるでしょうか。ある程度はすでにあるでしょうから、次のオーバーシュートや、パンデミックレベルの第2波が発生した場合に対応できる、準備をしておくという量的な意味合いです。増強とともに集中化も必要なことかもしれません。もはや、これは、言葉遊びでサードプレイスなどとは言っていられないでしょう。
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また、某企業がパートやアルバイト社員に一万円を
支給するというニュースがありました。私は驚きました。あり得ないことが起こっているからです。批判とか皮肉ではなく、純粋に前代未聞のできごとですから。企業は従業員に労働の対価として金銭を支払います。そもそも労使とはそういう関係ではなかったでしょうか。それとも、今回従業員は「リ・パブリック」の家族になったのでしょうか。日本的経営の良き面が出ているということでしょうか。

従業員は助かることは間違いありませんが、業績がよかったからボーナス的に支給するという意味合いでもありません。雇用者と被雇用者との間で、労働とは無関係に金銭が支給される事態。間違いなくもう一つ言えることは、これは「初物」と言うべきでしょう。

一万円ではなく、一人十万円にしたらどうだったのでしょうか。金額を大きくすると意味が明確になるかもしれません。国家とは違い、企業がこれをやりだしたらどうなるか・・・
従業員への告知よりニュースリリースで先に流す。
この点では企業イメージ宣伝費用だったのかも知れませんが、これは確かめようもありません。
まあ、その太っ腹に感謝いたしましょう。関係者の皆さま。

昨日、食品スーパーの前を通りかかったら、若い女性客が店員のおじさんに「おじさん達は、もうヒーローよ!」と、リスクを顧みずライフラインを守る仕事を称賛していました。その女性は、けっこう大きな声で言っていましたが、客全員の気持ちを代弁するようなつもりだったのでしょう。なんか、ちょっと良いことを見たような気がしました。
臨時支給される手当とは、この部分に対する雇用者側の配慮ということになりましょうか。

ところで、このコロナ禍、コロナ騒動について、世界が蹂躙されていることを踏まえて私が「習近平の陰謀では」と言ったらこんなコメントが返ってきました。
「中国は諸外国と貿易や協力をしなかったら自分たちもこまるから、それは違う」と言うのです。
私が言いたかったのはちょっとポイントが別のところにあります。一言でいえば中国は超限戦を仕掛けている、そのことを言いたいのです。

世界は超限戦

この事態のさなか、中国は尖閣にも現れ、わが自衛隊機のスクランブル発信は増えているそうです。私が今さら言うまでもなく、武漢肺炎を欧米のせいにしたり、アメリカの武漢調査を否定しにかかったり、中国はいついかなる時も、ありとあらゆる手段を使い、覇権を握るために攻めています。日本なんて、赤子の手を捻るようなものでしょう。二階などをはじめ、サイレントインベージョンという感染症にはたっぷりと罹患しているのです。

この超限戦の時代、このコロナ禍のさなかにこそ、
サクサクと憲法改正してしまうようでなければなりません。そういう大胆不敵さが日本には必要ではないでしょうか。コロナがあるからって、中国はチャンスと思いこそすれ、手を緩めたりはしないのです。攻撃されなければ発砲できないピストルを警察に与えているのは、現行憲法です。ポジティブリスト自衛隊員の両手を縛って闘えなくしているのは、憲法です。今こそ憲法改正すべき、危急存亡の時、私はそういう思考が必要な重大局面に対している、そんな感じがします。

そもそも計画的にコロナを中国が仕掛けていなくても、この状況下で超限戦を徹底させるなら、それは
結果的に陰謀と同義語になってしまうでしょう。
2月の段階で一部のコメンテーターが指摘していた、中国の人工的にウイルスを作っていたという疑いがありますが、これについて、改めてノーベル賞のリュック・モンタニエ博士の指摘が報道されています。もし、これが裏付けられたなら、超陰謀の話でしかありません。習近平ならやると考えるのが自然です。

さらに今、金正恩が死亡と伝わっています。憲法が邪魔して北朝鮮拉致被害者の救出に行けないって
一体どんな国でしょうか。憲法を盾にして動かない弁解をしているとも言えます。世界がオタオタしている今を好機として、憲法改正、重武装・中立路線に転換するセンス・・・しかし、政治家の顔ぶれを浮かべればお先真っ暗なのかもしれません。

グダグダの野党、親中派の与党、全くここはどこの国なのか。豊洲の不始末をコロナで一気に盛り返そうと出てくる小池。国対都で裏側で綱引きなんかしていないで、国家百年の計、都百年の計をぶっと
く考える政治家はいないのか。…いるはずないか。
中立重武装、スイスのように「民間防衛」を一家に一冊、銃を一家に一挺。今、国として自立できるか
がかかっている、と捉える視点が必要ではないかと思います。今こそ現に危機と捉えるべきです。コロナは国を試している、文字通り試金石というべきです。コロナは医療上の危機に留まらないことに思いが及ぶべきことです。

マクドナルドをこれからも、気楽に、いつでも楽しく食べられる国にするには、安全保障をしっかりさせた自立した日本を作らなければなりません。もちろん、似非サードプレイスのスタバででも同様ですが…★

*スタバのコンセプトに関する補足

客席配置の空間距離にかなり余裕をもたせることにそもそもコンセプトの一要素としてモジュールがあったかは不明です。
ウィキペディアにあるように「ソファや落ち着いた照明など長居したくなるようなインテリア」は、一部の店舗、例えば鎌倉駅西口側や旧ショッパーズプラザ横須賀については、継承されています。
架空の議論ですが、もし客席配置にソーシャルディスタンスを採用していれぱ、コロナ禍においても、
「スタバは安心」を売物に営業することができていたかもしれません。