なぜ世界遺産に浮かれるのか

今年の7月6日、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産委員会で「百舌鳥・古市古墳群」が、世界遺産に登録されました。同日ニュースとなって報道され、地元の人々を始め、各地で慶びの声があがっていました。因みに国内23件目の世界遺産という
ことです。
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世界に認められてうれしいのは、人として、自然な心理でしょう。私たちは、他人や組織や権威に日々認められるために生きているとも言えるわけで、その点では、大いに喜ぶべきことに違いありません。

承認欲求のせい?

マズローの五段階の欲求では、承認欲求は上から二段階のレベルだったことは、言われてみれば思いだすのではないでしょうか。そうです、生理的欲求などの低次元のものではなく、文化的日本人として、率直な気持ちで世界遺産認定を喜び、歓迎し、讃えて、誰からも咎められることではない、とは言えることなのかも知れません。

しかし、率直に言って私は首を傾げざるを得ないと感じています。一見喜ばしいことでありつつも、何か由々しきものが立ち込めてくるようで、このまま看過できない思いが生じています。
実際、すでに世界遺産に対する反対意見は、いくつか出ています。

これらの反対意見の論点を見てみると、賛成意見と
パラレルになっていることに気がつきます。
〇やっと実現してこんな誇らしいことはない
Хユネスコに認定されて喜ぶのは筋違い。南京大虐殺世界遺産にした事例もある
〇これで世界から観光客を呼べる(経済性)
Х街が荒れる、京都の観光公害を見よ
といった感じです。

いわば浮かれる人と、眉をひそめる人とがいるわけですが、では、なぜ浮かれる人が発生するのかを考えてみたいと思います。

先ほどのマズローの心理学的側面から考えてみれば、承認されてうれしいとは、これは全く素人の仮説ですが、さの現れとみることもできます。すでに十分に誇らしいこととして認識していることであれば、特に喜びもしない気がします。しかし、だからこそ世界的な承認がほしい心情は、わからないでもありません。
スポーツでは、日本記録より世界記録をめざすべきだし、学術文化面では、ノーベル賞を否定的に考える人は、そう多くはいないでしょう。

ここで仮説のついでに、もう一段推論を立ててみるのですが、どうも歴史教育に起因する要素を孕んでいるのではないか。その方向で検討したいと思っています。
個人的な自信の有無のことではなく、社会心理一般のものとしてです。例えば、仁徳天皇陵古墳がどのようなものであるかを、深く知っていたら、あるいは、教えられる機会があれば、おそらく、世界遺産になって、逡巡なく喜ぶなどということは起きないのではないか、と思われます。

では、私たちが仁徳天皇御陵のことを知らなかったかと言えば、決してそんなことはありません。今回の世界遺産のニュースで、上空から映し出されるそのビジュアルを見た時、見覚えがあったことでしょう。たぶん、日本史の中で出てきたに違いありません。

教科書にどう書かれている?

そこで試しに、今の教科書を見てみることにしました。一般の書店では、出版社一社程度しかないようなので「教科書販売株式会社」を訪ねて見ました。
在庫のある分を出してもらいましたが、三社、五種類だけがあるということです。

日本史Aと日本史Bとがあるのですが、Aは近代以降しか掲載されていません。あり得ない、と思いました。それは日本史の教科書としてあるまじき編集と思えたからです。曲がりなりにも「日本史」の教科書たるもの、近現代だけを切り取るとは、これでは正しい日本人の育成ができる筈がありません!もちろん、学習時間や、学校の種類などが関係しているのでしょう。

古墳のことは古代に出ている筈と思い、日本史B三冊をめくってみることにしました。そうしたところ「古墳の成立と発展」や「大和王権古墳文化」などの見出しで、大きな章立ての次の大きさで、しっかり叙述されているではありませんか。

カラー写真で、よく見慣れた上空からの写真もあり、キャプションにはこうありました。以下引用です。「堺市百舌鳥古墳群にある日本最大の前方後円墳。墳丘長は486mあり・・・」(日本史B新訂版 実教出版P30より)
もしかしたら現代の「日本史」には、古墳のことが記載されていないかもしれない、との予断がありましたが、それは覆されました。三冊とも、です。

しかし、何か違和感のようなものが残ります。何だろう?なんというか、過去の歴史として考古物として、固まっているというか・・・。三冊を行きつ戻りつして読んでも、モヤモヤ感が消えないので、その足で紀伊国屋書店に向かうことにしました。
目的は一つ、竹田恒泰「文部省検定不合格教科書  中学歴史」(令和書籍)※の記述を見ることでした。

そのテキストの「古墳時代」(P58)から一部を引用します。
「・・・大王のもとに、地域の豪族が束ねられ、連合して強大な勢力を持つようになったためでした。大王は後に天皇と呼ばれるようになります。現在の天皇陛下は、この時代の前方後円墳に埋葬された大王の男系の子孫にあたります。
・・・
・・・
このように考えると、日本国の歴史は二千年以上ととらえることができます。」
これだ!と思いました。

古墳は記念物にあらず

何を言いたいかというと、生きた歴史が表現されているか否かに尽きます。
私が教科書販売店で見たテキストには、古墳の種類とか、そこに埋葬された埴輪とか、外形的なことばかりというか、それが考古学的見地なのでしょうが、古墳の意味性が語られていないように思ったのでした。
私は、不合格検定教科書にあって、検定合格教科書にないものを、見つけた気がしたわけです。
もちろん、目安としての教科書だけを引合いに出しましたが、実際には先生がどういう教え方をするかも、かなり大きいものと思われます。

もう少々敷衍して言えば、古墳一つを見ても、私たちは皇統を全く学んでいないのではないか、そんな気がするのです。およそ二千年続く、世界に例のない我国の歴史、古墳というハード以前に皇統という
ソフト、米国はもちろんのこと、かの英国といえど、比較になりません。世界が尊崇するディグニティー
参考までにですが、竹田氏のテキストの年表では、世界に国家は数多あれど、古代から現代まで、日本だけが一気通貫の年表帯として表現されています。

その日本に連綿と受け継がれてきたのが皇統に他なりません。
この類稀れな価値を知っていれば、天皇の陵(みささぎ)を観光資源に貶める愚は当然のこと、世界遺産などという尺度が貧弱過ぎることに気がつくのではないでしょうか。うまく言えませんが、日本固有の伝統文化を海外目線で評価してもらうって、これこそ島国根性ではありませんか。
日本の教育は一体何を教えてきたというのでしょう。教科書の問題だけではなく、日の丸の旗を掲げないとか、君が代を歌わせないとか。そう言えば、どこの国の先生方なのかと疑う組織もありました。

この意味では、自国の史実を知らされていないとして、韓国を嗤うことはできません。われわれもまた
偏った歴史を学ばされている恐れがあります。

我国のヒストリーをかけがえのないものと自覚する
人ほど、天皇陵を世界遺産などにすることに危惧を
抱くものと思います。それは、注意深く護るべきものだからです。世界に広めるものなどではありません。

反対意見の論点にユネスコを問題視する指摘がありましたが、このことの意味は、宮内庁管理下の御陵に、ユネスコの思想や手を入れることに繋がるリスクを示唆しています。換言すれば、日本の歴史や価値観に、他国の利害を関わらせる口実を与える恐れがあるという懸念です。

ここにも「獅子身中の虫」が

日本の学会も意見を表明していますが、ここにきな臭さを感じるのは、考え過ぎでしょうか。すでに、このタイミングで要望を出せること自体、学術的な角度から関与できてしまっているではないですか。すべてがそうだとは言えませんが、学者や専門家の一部に、手ぐすねをひいて待っている姿が浮かびます。というか、その学術的切口を利用しようとする一群や、マスコミも控えています。

経済性の論点では、我国のデフレ経済からの脱却を差し置いて、一気に観光に結びつけて良しとすることがどうか、ということです。観光商業主義のマイナス事例が、露呈しはじめてきています。観光に活路を見出さざるを得ない我国のお寒い事情があるわけでもあり、止めるべきと言うのではなく、方法論の見直しや軌道修正や対策が必要になっているのではないでしょうか。

私は観光化には否定的ですが、やむを得ないとすれば、我国の文化遺産である資産を、まずしっかり護る思想をビルトインした上で、観光ビジネスとしてきっちり儲かるしくみづくりが必要です。かつ、外形的物珍しさ、エキゾチックさなどではなく、その文化の意味合いを伝えるコンテンツを設計しなければなりません。

デービッド・アトキンソン氏によれば、訪日外国人が知りたい見たい核心は、その辺りにあるようなのです。その二ーズは我国の国際戦略二ーズと符号するわけですから、日本のソフトパワーを世界に浸透させる機会と考えるべきでしょう。
とは、に触れた、わが国民にもっと教育を、ということと、全く重なることではあります。

京都の惨状は眼を覆うばかりです。質を問い付加価値の高い観光ビジネスをめざすべきは、識者の指摘するところです。お上が「観光公害という言葉を使うな、と規制してみても、的を得ているワードは逆に一気に拡散するでしょう。観光立国を推進する人々のレベルが甚だ心許なく、どうしても、観光化の方向は、は語れないのです。

今求められているのは、世界認証などという気がつきにくい、変化球に踊らされてはならないことを見抜く力なのでは、と考えます。文化と歴史と伝統を防衛する考え方が、必要なのではと思います。
登録されてしまった以上、対策は急務です。
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ちょっと異なりますが似たような経験として、国益を棄損するような作家をノーベル賞に選ばれて、私たちは、そんな賞は日本にいらない、と気がついた
のではなかったでしょうか。
世界遺産に浮かれている場合ではありません。★

この教科書は既存の検定合格教科書があまりに偏っているため、これを改めるべく、日本の正統的歴史教育をめざして企画されました。まだ、初のトライで検定を通っていませんが、今後も挑戦は続きます。