ネットカルチャーの時代

インターネットがこの世に現れてからどのぐらいに
なるでしょうか。といっても、私らの人生のさなかに出現してきたわけで、その先駆としてのパソコン通信を、自分が知覚したのは1990年代でしたが、そんなに大昔のこととも言えないでしょう。
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今生まれてくる子供たちには、ネットが所与のものとして現世にあるのですから、こんなにおもしろい玩具はないのではないでしょうか。それを空気のように無意識に、玩具のように夢中になって使いこなす時、そこに広がる可能性は、想像しようもありません。

ソーシャルネットワーキングサービス(SNS)大はやりで、フェイスブック、インスタグラムはもとより、ワッツアップ、グーグルプラス、ツイッター、ユーチューブ等々、挙げたらきりがありません。この状態を表現手段のストリームとして見るとき、プラットホームの多様化とともに、昨今、それらの使いこなしが進んでいるように思われます。時間の経過を経て、活用の蓄積が進んでいて、その効果面でもまた、大きなストリームが生じているのではないか、そのように見受けられます。

本稿では、ネットの効果について、二つのストリームを指摘してみたいと思います。

ラジオにもネット放送の時代

影響力の大きいところでまず、インターネット放送ですが、ラジオの世界では、今ラジコが主流になっている、と一概に言えるかは微妙かもしれません。と言うのも、自分のスマホでラジオが聴けることを、どれだけの人が気づいているかは、甚だ疑問だ
からです。

私がラジオについて思うのは、ラジオは、大きく変われるタイミングを失しているかのように感じています。ガラパゴス化とは言い過ぎでしょうが、いくらラジオ業界の再生のためにラジコへの転換を推進しても、要はコンテンツの問題に帰着すると思われます。

もしかしたら、地上波テレビに対抗為し得るポジションを構築できる可能性があったのでは、という気がします。しかし、それができない理由もはっきりしていて、要はラジオもテレビと同じ既得権益勢力による営業だからです。

その点、インターネットテレビ放送は、少しずつですが、着実に足場を固めつつあるように思います。

虎ノ門ニュースって、知ってる?

インターネット効果の第一には、DHCテレビを取り上げましょう。
なぜなら、その「真相深入り!虎ノ門ニュース」は、一回の放送が二時間、月曜から金曜日まで毎日の放送があり、影響力が大きいからです。この放送は2015年4月開始で、まだ新しく若い存在といえますが、2019年9月現在でのチャンネル登録者数が50万人となっています。
内容的には「ニュース解説番組」といっていいかと
思います。曜日替りのコメンテーターが、時事問題を中心にニュースの裏をえぐりだし、また、独自の視点で斬っていきます。

レギュラーコメンテーター陣としては、青山繁晴参議院議員、元共同通信記者)、百田尚樹(作家)、藤井厳喜国際政治学者)、井上和彦(軍事ジャーナリスト)、有本香(ジャーナリスト)、竹田恒泰(作家、憲法学者)、上念司(経済評論家)、大高未貴(ジャーナリスト)、武田邦彦(科学者)、須田慎一郎(経済ジャーナリスト)などとなっています。

この番組の特徴としては、地上波テレビでは絶対伝えないような事柄まで踏み込んでいくことで、既存の電波既得権テレビに対抗するスタンスを採っている点が大きいと思います。放送法の制約に縛られることなく、インターネット放送ならではの立場を最大限に活かした番組制作が為されているのです。

このような報道姿勢の番組から、何が結果として起きているかというと、地上波テレビ放送内容の偏向、嘘(フェイク)、レッテル貼り等々が、白日の下にさらされています。このことの意義は極めて大きいと言わなければなりません。

良き繭のチカラ

戦後我国民は、GHQによる洗脳ラジオ放送(NHK)から始まり、逞しい経済成長とともに、テレビや新聞等のマスコミ報道を享受してきました。米国を含む西洋文化流入の中でそれらの考え方の普及、伝播がありました。この流れは、自分の力には無自覚のまま、憧れの対象に身を任せることで自分も上昇していけるという、信仰のような面があったでしょう。しかし、戦後70数年、気がつけば、気がついていないことの大きさに、今向き合い始めていると言えるかもしれません。時間がかかったのは、敗戦の代償と言えるかもしれませんが、また、日本が成長していく過程で通らなければならなかった道でもあったでしょう。
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子は母親の繭(コクーン)の中で育てられ、その繭の存在の自覚なしに、そこから脱け出すことはできません。繭を対象化できた時に始めて、良き繭があり、悪しき繭もあることに気がつきます。
悪しき繭に育成された人々がどうしようもなくはびこっている一方で、良き繭に気づいている人々があり、良き繭の歴史と伝統を語り、我々に教えてくれているのです。

民のリテラシーは上がっている

思想的分類や色分けを超えて、重要なのは、我国の国益を大切にすることに尽きるのではないでしょうか。自らの 持てる経済力、文化力を国際的広がりの中で位置づけ、真に自立した国家として、歴史を刻んでいかなければなりません。

この意味で、インターネット放送が我々を覚醒させてくれているといえます。虎ノ門ニュースをその代表として、捉えているわけです。

地上波テレビを始め、大手新聞の偏向は、目に余ります。その中に登場する大学教授、専門家、評論家そしてデュープスに至るまで、戦後の悪しき繭に絡めとられています。ネットによって、彼らの間違い、誤りは、鮮明に見分けがつく時代になりました。

今、このようなストリームに気づき得ていない層は
情報弱者(情弱)と呼ばれています。地上波テレビ放送や朝日新聞毎日新聞等の報道に絡めとられているからです。ファクトを知ること、重要な価値観を知ることから、遠く隔てられているのです。
その一方で私見では、情弱とは言えずとも、サラリーマン等日夜仕事に振り回されて、一歩踏み込んで自分の立ち位置を決められず浮遊している、薄い情弱層もかなり多いのではないか、と思われます。これも、戦後の悪しき教育繭の産物でしょう。

その点ネット民は、歪んだ報道を相対化する視点を
身につけてきていますので、リテラシーは大いに向上している、と想像できます。
インターネット放送は、ネット登場以前と比べて、わが国民に、国益を守り、標榜する、そんな考え方、価値観のストリームをもたらしている、と言えます。

因みに、DHCテレビの商品CMでは、競合商品について、実名比較や原価比較を放送しています。ネットならではの、驚くべき事態でしょう。

N国党の革命的登場

ネットによる第二の効果については、この方に沿って語ります。
NHKをぶっ壊す!」であざやかな出現を果たした
N国党の立花孝志議員は、何もこの選挙のために、
この事実上の国営放送をターゲットにしたわけではありません。数年前から、この活動を行なっています。彼の活動ぶりは、以前からユーチューブで公開
されているのです。

七月の選挙で当選して以降、世に話題を供給し続けて八月が過ぎ、しかし九月に入って、一部、急速にその話題の色調に変化が生じはじめてはいます。もし、万が一彼が議員を辞する事態になったとしても、氏の革命的功績は何も変わらないでしょう。彼は私たちに、何をもたらしたというのでしょうか。

まず彼はユーチューバーでした。当選以前から、一定の視聴者をもっていて、参議院議員になってからは、自ら「国会議員ユーチューバー」と語っています。

その上で、彼の行なったことに、周囲が目を見張ったのは、選挙手法の斬新さです。お金を使わないで、人脈もなくて、つまり、既存の選挙システムを
ぶち壊して当選する方法を発明してしまいました。

このことでは、お金をかけないで自分の考え方を世にアピールし選挙に出ようと、青山繁晴氏が番組の中でブログの活用を呼びかけていました。それを、
立花氏はブログではなく、ネット動画でもって、かなりアグレッシブに為し遂げたというわけです。

また、立花氏の手法のもう一つは、視聴者すなわち
国民を「味方」につけるために、NHKを代表とする既得権者を「敵方」に立てるという、対抗構造を作り上げた点です。これによって、一気にダイナミックに立花民を作り出しているように見えます。
おそらく、今後はワンイシュー政党や、立花氏の手法を模倣したやり方が流行するのではないか、そんな気にもさせてくれます。

これが、ネット効果の二つ目として指摘できる政治手法上のストリームです。
ところで、DHCのネット放送による言論界の思想的影響と、立花氏のネット動画による選挙への刺激をストリームとして見たわけですが、そこには、それだけでは収まりきれない部分が溢れ出しています。
DHCも最近新たな展開を始めましたが、ここでは、
特に立花氏について、さらに踏み込んでみたいと思います。

すでに、氏がネット活用とは別に、対抗構造を形成したことには触れました。
氏の才能の核心は、論理力であり、弁論力であり、行動力ではないか、と思っています。ユーチューブ党と言ってもいいぐらいのネットの活用ぶりですが、しかし、そこには、したたかな準備と戦略があることを見逃してはなりません。
ユーチューブは、手段に過ぎません、戦略ありきと
言うべきと考えられます。

また、彼には「地獄を見てしまった男」の刻印が、
あります。NHK時代に舐めた辛酸は、法律違反になっても、犯罪にならなければやる、というクライテリアをどれだけ強化したことでしょう。それはNHK と世の中に対する不信感、統合失調症にのたうち回ることと、不可分だったと思われます。一般的には、常軌を逸した人という印象でしょうが、私には、彼が自分の行なうべき方向を見出だし、這い上がる姿には、ある種の凄まじさを伴って感じられます。満身創痍となりつつ腹を決めたのでしょう。
世襲としてや、職業として国会議員になっている輩とは、程遠いところに立花孝志は立っている、そう見えます。

氏がこのまま議員として「革命的」というか「脱構築的」というかはともかく、一連の動きを成功させることができずとも、2019年夏に見舞ったストリームは、他の分野にも及ぶのではないか、と期待させます。

今、目の前にあるカルチャー

私は、ネットというツールが、戦略と手を結ぶことによって、新たなストリームを形成するのではないかと、わくわくしてしまいます。それは、けっして言論や政治の世界に留まらないでしょう。まさに、そのことに、ネットカルチャーの時代を感じているわけです。
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クックパッドウィキペディア、Eメールやライン等、その便利さ、そのアイデアは凄いことですが、ここではそこではなく、ネットツールの単一的発明を超えて、ネット世界との戦略的構築や統合によって、リアル世界を大きく変革してしまうような可能性です。革命的変化は、すでに着床しているのではないでしょうか。
その点では、クラウドファンディングでの資金調達手段なども、戦略として組み合わせるべき一つとなりえるのは当然のことです。

言論や政治系だけではなく、ビジネス系ではもちろんのこと、音楽や文学など芸術等の分野でも、すでに新たな胎動は始まっているのかもしれません。★