韓流を活用するという視点

この夏の日本は、韓国とN国の話題で沸騰している感があります。特に韓国については、GSOMIAの破棄にまで至り、実はこの事態を予言していた百田尚樹氏がピックアップされ、報道されてもいます。ご自身でも予言的中をツイートし、その後の展開をさらに予想してみせています。

韓流を楽しむことは悪か
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このギクシャクする日韓関係にあって、かねてよりの韓国の日本に対するネガティブな動きを踏まえた時に、韓流ドラマやKPOPを楽しむ人々を軽んずる論調が時々出てきます。脳天気に韓流に浮かれている場合ではない、君らは歴史を知らんのか、と言いたげな感じです。

例えば百田尚樹氏や、和田憲治氏などが、ニュース
解説中でそのような発言をしています。確か「韓流はいらない」といった発言もあったと記憶します。
しかしこれは、韓国に対する忌避感の延長上で出てきた言葉で、まとまった論旨で語られたものではありません。とはいうものの、彼の隣国を相手にすべきでないという考えに100%同意するものの、韓流を楽しむことがまるで悪であるかのようで、肩身の狭い感覚になります。
そこで、この点について、掘り下げてみようと試みました。

人間関係に置き換えてみた場合、幼稚でわがままな
友人がいたとしたらどうするでしょうか。しかも、
お金ばかりねだってくるような存在です。自然と疎遠にするだけのことでしょう。しかし、あまりにひどい状況の時は、絶交を宣言することを考えなくてはなりません。これが国家間の場合では、どう対応したらいいのでしょうか。

ところで、日本が鎖国していた時代、それが完全だったかというとそうではなく、長崎、対馬、薩摩、松前の四口を通じて貿易は行なわれていました。この歴史の事実からも、仮に韓国と「断交」という意思決定が為された場合も、ザルは水を留めきれず漏れていくように、完璧には難しいような気がします。この情報化時代、文化面は往還しやすい分野ではないでしょうか。文化面といっても、ドラマも音楽も、経済的側面を通じての歴とした貿易ではありますが。

日本サイドから国交断絶するのは稚拙に過ぎるようですが、どちらからにせよ、具体的に断絶をどのような方法で適用させるのかは、かなり難しいこととなりそうです。すでに相互浸透が進んでいる歴史と現実もありますし。

完全なる「断交」はあるか

2000年代「冬ソナ」を代表に、日本のおば様たちが
韓流ドラマに欣喜雀躍した現象は、記憶に鮮明なところです。8月26日のニュース番組の中で青山繁晴
氏が、GSOMIA更新せずのトピックについて、精密な解説を行なっていますが、その言葉尻で「韓流ブームもどこへやら」とコメントしていました。これも、百田氏らと同様にまとまった論旨で言われたのではなく、つぶやきというか、捨て台詞的なものです。実はGSOMIA 継続でも我国には何のメリットもないことや、そもそも朴槿恵(パク・クネ)政権の時に韓国が仕掛けてきた協定を自ら取り下げるだけに過ぎないとの解説でした。 こういう表現は使っていなかったかもしれませんが、自爆する国という感じを受けました。

さて、氏が教示するファクトの迫力に比べ、どんなエビデンスをもって「韓流ブーム」が萎んだというのでしょう。というか、そもそも最近「韓流ブーム」でしたっけ?いや、そこはどうでもいいのですが、ブームであろうがなかろうが、根強い韓流ファンは一定数いると思いますし、日本のドラマや音楽へ、韓流のそれらの影響が微妙に始まろうとしているのではないか、という気さえしています。

砂浜で足下にさざ波が心地よく浸潤するように、また、一杯のお酒がもたらす口中の華やぎや、のど越しの至福感を経験したら、それは後戻りできない性質のことです。それと同じように「韓流」の美酒を
味わった人々は、そうたやすく引き返せないでしょう。女子高生などが、韓流がなくなったら「生きていけない」というのは、決してオーバーとは思えません。
彼の 国とは絶交しようというスタンスと、文化交流は、相容れないものでしょうか。

「韓流」って、どうよ?

いったいKPOPや韓流ドラマとは、どんな感じなのでしょうか。
これは、見たり聴いたり触れてみることが一番ですが、まず音楽について言えば、よく知られた名前としては東方神起、KARA、少女時代、去年Tシャツが
問題になった防弾少年団BTS)などが挙げられます。しかし、ここは音楽グループではなくソロのIU(アイユー)こと李知恩(イ ジウン)一人で十分というべきでしょう。わかりやすく例えれば、かつての我国の山口百恵松田聖子に見られる国民挙げてのブーム、そのヒロインという印象です。

歌声やメロディの魅力に加えてダンスが伴う楽曲では、特に振付けに日本では絶対見ないような動きが
入ります。ここに韓国的な特徴があると感じられます。コケティッシュでオリジナルなアクションで、
繰り返しますがおそらく日本では考えられないだろう発想とアイデアの動作と言えましょう。ここに、歌手の魅力を100%引き出そうというクリエイティブを私は感じてしまうのです。

韓流ドラマについては、そのポピュリズムとも言えるようなエンターテイメント性や、善玉と悪玉との紋切り型コンフリクト構造、再現シーンの多用等、いくらでも酷評できるのですが、わが国のドラマにはない要素と魅力があることも指摘しておくべきかと思われます。

ここは日本ドラマと対比させてみることで、その違いを浮彫りにできないでしょうか。我国のドラマの
淵源は映画と文学にあるのではないか、という気がします。「七人の侍」に代表される黒澤映画や、「羅生門」「藪の中」などの小説の映画化されたものに、価値を置いている。それが影響力となって、ドラマの基礎、底流になっているそんな見方ができます。ですからそこにあるのは、リアリズムを志向する傾向の価値観です。NHK大河ドラマだって昨今はともかく、かつては時代考証が綿密になされていたと言われます。また、今でも、松本清張山崎豊子原作のドラマが制作されています。

ざっと「青春とはなんだ」「岸辺のアルバム」「おしん」「東京ラブストーリー」「踊る大捜査戦」と並べてみても、温度差はあれ娯楽性が強いものでも人間を追求する、文学的志向を感じてしまいます。

一方、韓流ドラマについては、エンターテイメント
至上主義がよく言われるところです。視聴者の反応によっては、ストーリーをいじるという話も聞きます。また、ファンタジー性も指摘されています。これには自ずと揶揄的ニュアンスを含んできますが、
史実を踏まえないというか、歴史を無視というより
創作志向ともいうべき、その方向での制作動機が感じられます。しかし、そこをリアリズム的考えで評価するのではなく、そのファンタジーを楽しもうと切り換えると、また違う見え方も広がってきます。

なお、ここで語っているニュアンスは、「軍艦島」のような極端な映画の程度を想定しているわけではありません。

そんなにおもしろいの?

韓流ドラマの真骨頂は、微妙に笑わせ泣かせるそのエンタメ性にあると、私は思っています。また、ドラマ制作上のある技術的洗練が進んでいるところがあり、登場人物の複雑な絡み合い、女性の魅力の引き出し方、音楽の効果的な使い方、原点に回帰する運命への美学、ヒーローヒロインの上昇志向等、テクニック的に確立されているとも言えそうです。反復して使われてパターン化に陥る傾向もありますが。

代表的二つのドラマについて、極めて端的に紹介してみましょう。まず時代劇「トンイ」、このタイトルはヒロインの名前からきています。冒頭の推理小説的な始まり、彼女のクレバーさと、民を思う心でステップアップしていく様は、惹き付けます。彼女がついに王宮に入る時、駕籠(かご)から降りて踏み出すその第一歩は、美しくシンボリックに描写されます。トンイが見上げる王宮や空が輝きを放ちます、もちろんこの時もっとも輝いているのは彼女自身にほかなりません。このシーンでもそうですが韓流ドラマでは、映像面での追求も徹底しています。音楽もパセティックに奏でられます。イ・ビョンフン監督の面目躍如というべきでしょうか。

現代もの「最高です!スンシンちゃん」は、上述のKPOPのところで出てきたIU(アイユー)がヒロインです。これは、母と娘を中心テーマに、家族模様と、ヒロインの恋や女優になっていく様が描かれます。このドラマはIUの今日の成功を先取りしている
ところがあります。

姉妹間や母娘間を始め、相手に対する思いやりの表現が巧みで、美しくて泣かせ、哀しくて泣かせ、時には笑わせます。このことは、人間の心の動きに通暁している脚本家の存在、それを効果的に盛り上げる音楽家の存在を感じさせます。韓流って、人間を
よく知っているという気にもさせてくれます。心理ドラマという範疇で括るのは違うでしょうが、人の心の動きに必然性あるプロセスを構成し、説得力をもたらしたりなど、心理変化の論理性をていねいに追いかけています。

歌手としてのIUの才能も、しっかりドラマに織り込んでいて、また、彼女の実際の出来事も取り込んでいるところもあり、ドラマの進行にIU の実像を重ね合わせて見せるという、正にエンタメ的なテクニックが駆使されます。このテクニックの追求度に、韓流の特徴を感じています。
何というか、リアリズムを捨てているからこそ吹っ切れて、技術的洗練をなし得ているように考えられます。

百田さんにお願いします

今回の日韓問題は、歴史的転換点になる可能性があるとも見られています。切に、我国にとってのエポックメーキングとすべく、安易な妥協を避けて邁進してもらいたいものです。

そんな中で、韓流文化も一緒に退けてしまうのではなく、何か道がないものか、と思ってしまうのです。何よりも日本が国家戦略として、世界に向けての統一的広報や、ロビー活動を行なうべきでしょう。この件に関しては、韓国の後塵を拝しているといわれます。厄介なのは、NHKが韓国発の記事をそのまま世界に発信している惨状があったりするところです。いわんや朝日や毎日をおいておや、ですが。
その上で、韓流ドラマをただ垂れ流すのではなく、
ドラマの後にその解説を入れるようにするのはどうでしょう。

昔の、映画テレビ放送での淀川長治水野晴郎のような感じです。解説は二度ドラマを楽しませてくれるものですし、かつそこに批評的論点をガッツリ絡める作戦です。ここは、ディスる下品なやり方ではなく、ドラマのフィクションとしての価値を尊重しつつ、歴史的ファクトを視聴者にすりこんでいこうとする企画にするわけです。ドラマの解説を、韓国の歴史講習機会として活かせないものでしょうか。

このためには、時代劇が中心となるでしょう。また、解説はもう小説を書かないと語っている百田尚樹氏が適役かと思われます。ストーリー展開上の工夫を拾い上げてもらうとともに、歴史のファクトを
語っていただきます。これなら、視聴者の心に無理なく届くものと考えられます。

現代ドラマについても、そこに表現される韓国的特徴とともに、日本との共通性を紹介したり、ドラマづくりの技巧を読み解いていただくことで、一つの作品を多様に味わえることとなりましょう。肝心なのは、批評を通じての相対化です。まず国内から浸透させ、解説が溜まったらそれを本にし、翻訳して韓国でも発売してもらいたいと、思っています。日本人著作の本の発売が厳しいようなら、ネット配信などもあります。

ドラマ解説だけではなく「韓国の歴史 日韓表現比べ」や、「韓国の暮らしに見る日本の影響」や、併合時代の双方を描いた「韓国人と日本人」など、百田先生に執筆いただきます。草の根運動的にかつ、多面的なプランにより事実を語ることを通じて、韓国の人々に学んでいただく戦術です。その前に早く「今こそ、韓国に謝ろう」のハングル訳を出していただくことが先かもしれません。
こういう文化戦略的工夫は、他にも多様に考え得ることではないでしょうか。

好きか嫌いかより、選択的つきあい

人間同士好きか嫌いかだけで考えたら、続けるか別れるかの二者択一しかなくなってしまいます。夫婦だって、仲の良いうまくいっている関係より、片目をつぶって暮らしたりから、別居しながら婚姻を続ける関係までの範囲の方が、圧倒的多数ではないかと思われます。二人の間に咲いた子供という文化を捨て去ることはできません。

経済活動でもある文化的交流を「活用」することを通じて、自国にとっての国益と幸福のために活かす道が開けないものか、そんなことを思っています。★