借地借家人としての日本国

日本の国土が、実は借り物だったらどうしますか?
どこからか、土地を借りているという話です。私は、この話を初めて知った時、愕然としました。土地とともに、住み慣れたわが家が、実は借家で大家さんがどこかにいて、賃借料を払い続けていたことがわかった、というような驚きです。お父さんどうなっているの?と叫びたい気分になりました。
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日米地位協定」って、最近ようやく言葉として出回るようになったと思います。しかし、テレビ番組で報道されることはないように思います。もしかしたらクローズアップ現代などで取り上げているかもしれません。その事実はともかく、日本のタブーのような話、そんな感じです。

このことについては、作家矢部宏治氏の功績によるところが大きく、数年前からこれをテーマにした書籍を上梓し、世に問い続けています。

この空には見えないアルプスがある

日米地位協定の一端を紹介しますと、日本の空には
空域というのがあって、日本の航空機といえどそこを避けて通過しなければなりません。例えば、羽田を発着する航空機は横田空域を回避して飛ぶことになります。見えないアルプスが首都圏の空にあるがごとく、広大な制限ゾーンがあるわけです。その空域とは、米軍が使うためにあるのです。

だいぶ前に沖縄に行った時のことですが、着陸する前に、旅客機が海面近くを飛んでくれたことは、よく覚えています。それが、嘉手納空域を避ける為だと知ったのは、矢部氏の著書でのことで、つい最近のことです。

しかも、これは、米軍が日本の空を活用する範囲の取り決めなどという代物ではなく、根本的には、米軍が日本に基地を展開する権利からきていることであり、そもそもどこにでも、米軍を設置できることになっているのです(全土基地方式)。

横田空域や、嘉手納空域だけに止まらず、米軍が日本の上空を自由に軍事訓練を行なっている実態には、もう言葉がありません。
また、日本の基地から飛び立った米軍機は、自在に他国へ行き戦争もできます。
日本の空といえど、日本の飛行機が自由に使えるわけではないということを超えて、日本に日本の空があるとはとても言えません。

自国の空がないということは、ここが自分の国の領土とは思えないと感じられます。誰かに借りている
国土と思うのは、ここからきています。

一昨年のことだったか、トランプ大統領が初めて来日した際、確か立川基地に降り立ったことがありました。れって、考えようによっては奇異な感じがします。人の国に入るのに、裏口から乗り込んで来られたような感覚です。正面玄関口から入ってこない、の図々しさは何なんだ、ということですが、この時、日米地位協定を実感したものです。

日米合同委員会?

さらに、この日米地位協定に関わる会議体として、1952年からスタートした「日米合同委員会」があります。毎月二回米軍と日本の官僚とで行なわれているそうです。ここでの決定は憲法以上といわれています。

わが家の運営は、憲法に基づいてお父さんが行なっていると思っていたら、憲法は骨抜きで、お父さんの見解ではなく、米軍の意向だったというわけです。

ここまで知ったら、この国をコントロールしているのはお父さんなどではなく、ますます、自分の家や土地と思えなくなり、借りて住まわせてもらっているという感覚になってきます。しかも、賃借料という費目の形はとらずとも、様々な名目を装って賃借料を支払い続けている、と言っては自虐的過ぎるでしょうか。敗戦国にならなければこうはなっていない、そんな声が聞こえてくるようです。
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日米地位協定について、矢部氏は写真のように、コンパクトにまとめた一冊を提供してくれました。詳しくは是非とも確認いただきたいと思いますが、ここでは、この本のサマリーを語ることが趣旨ではありません。この本でレポートされている一端の紹介を通じて、その事実の存在を知ってもらいつつ、この事実に対する受け止めを検討したいと思っています。

なお、矢部氏の本を読む際は、椅子に腰掛けるのは危険なので、呉々もご注意ください。あまりのファクトにブッ飛んでしまいます。

どんな反応しますか?

この日米地位協定のことを人にぶつけてみると、無視、無関心、無反応のレベルは別にして、大きく三通りの反応が得られるように思います。
一つ目は、米軍や日本政府に対する反発を露にして、日本はアメリカの属国をやめて、真の独立をめざすべきだという反応(A)。
二つ目は、日本はアメリカに敗戦したけれども、アメリカのおかげでここまで発展できたことは事実だから、仕方ないのではないか、という反応(B)。
三つ目は、オッケーオッケー、いいね、アメリカ大好きだから、この際、合衆国の一つに加えてもらえば、という反応(C)。

Cの反応をした三番目の人は、さっさと国籍をアメリカにして頂いて、この議論に入れるべきではないように思います。
Aの人は、Bの人を生ぬるいと感じるとともに「強引に支配されて何喜んでんだよ」的なことを言うでしょう。現にある高名な社会学者は、ラジオやネット動画で具体的な口汚い表現で、日本の外交を批判しています。彼が意図的に、あえてそういうワードを選択していることも、その気持ちも、わからないではありませんが。
Bの人は、現実主義者といえば聞こえはいいが、長いものには巻かれろ的な無力感も漂っています。

この問題をどう考えたらいいのでしょうか。

再び持ち家の話に置き換えてみますと、テーマは二つになるのではと考えられます。
一つはこの家のセキュリティの問題、もう一つは、幸福論の問題に行き着くように思われます。

まずセキュリティの問題については、国家の外交や防衛をどう考えるか、ということです。A の人の考え方は、最終的にはそこを目標にすべきと思いますが、防衛費用や方法論において、現実性に欠けるように思われます。簡単に言って、一気に理想的には
ならないのでは、ということです。

今の国際情勢を踏まえた時、チャイナやロシアの脅威に対抗するには、米国との連携を活かした方が合理的ではと思えます。同盟国間の、アライアンスというのか、アーキテクチャーと呼ぶべきかはともかく、ここは現実的な路線を選ぶべきと思うのです。
理想をめざすのは、一見美しくもあり、勇ましくもあるのですが、セキュリティとは一日も欠かすことはできないわけですから、理想を想う間隙を衝いて
足下を掬われる恐れがあります。

今さらですが幸福論をちょっと

幸福論がイシューというのは、持ち家と借家のどっちが幸せ、との例えでは論破できない性質があるように思います。持ち家で不幸な人はいるし、借家住まいでも幸福な人はいるし、当然その逆もあるからです。

Cの人のように、米国が好きだからという人は、これは非常に軽いのですが、自分の幸福観に忠実ともいえるわけで、お好きにどうぞ(アメリカに)行ってらっしゃいというばかりです。

ただ、一定期間日本で生活し、人生を過ごした人間にしてみれば、子や孫のことを思えば幸福の源泉としての、安心で固有の文化を持ったこの国の先々を考えないわけにはいきません。
また、およそ二千年続いているこの国の歴史や伝統を、われわれの時代でそれを踏みにじることに繋がる道を選ぶなど、それは最も避けたいところです。かつて、この国のために命を捨てた人々があり、その結果として、われわれの今がある、それを忘れるわけにもいきません。

著者矢部氏の立場はほぼAとお見受けしました。私は、Aを目標にしてBというところでしょうか。現実的であることが肝のような気がします。つまり、当面、借地であろうが、借家であろうが、そこは拘らない考えをとりたいと思うのです。
これは決して将来のために今の幸せを我慢するという感覚ではありません。今のセキュリティを最大限にしつつ、かつ、将来に繋がる今の幸福を享受する、という着地点とでも言えばいいでしょうか。

野党で日米地位協定の見直しをマニフェストに掲げているところがありますが、こういう取り組みも不断に行なっていくべきことと思います。

また、日米地位協定の問題は、安保や戦後民主主義憲法改正など、政治的なイシューと不可分と思われます。多面的多元的に検討されて然るべきでしょう。

日本の国会に期待できるか

それにつけても、国会は重要なことを議論することから逃避しているのではないでしょうか。
まだモリカケをやるつもり?野党はマスコミと歩調を合わせて政権批判ばかり。政府も、議論の俎上に載せることなく、とっとと法案を通過させます。議論不要な内閣府のやり方なども使っています。

日本人を再生産する上での少子化対策、着々とチャイナの手が伸びてきている北海道、沖縄等国土問題。ほんと、お願いします。
あなたたちは、われわれ国民のお父さんではなかったか。★