仲木戸を消した京急の罪

今年の3月、仲木戸という駅名はなくなり、京急東神奈川に変更されました。
仲木戸→歴史を感じさせる名前だ!京急東神奈川→
記号だけの情けない名前だ!・・・と感じているのは
私だけではないようです。この名称変更計画が公表されるに至って以前から私は気になっていました。

2年前の神奈川新聞、2018年10月7日付けで結構大きく報じられました。46の駅名変更を予定しているので驚いたしだいです。しかし、この時点で、この記事内容を仔細に読み込んでいたわけではありません。私自身が特に仲木戸の駅名変更を意識し出したのは、変更実施報道が為された今春頃からでしょうか。

私は5年前から仕事の都合で京急線を利用するようになりました。勤務地に関わる思い入れもあり、京急電車の赤い車体は、丸ノ内線の赤とは違う趣きがあり、気に入っています。もちろん、車体はこの色ばかりではなく、他社線との乗り入れもあり、何種類かになるでしょう。とはいえ、この赤い車体が基本カラー、テーマカラーだと思っています。
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2年前の新聞報道による印象では、読みにくい駅名が多い指摘があり、これにより私は勝手に以下の駅は変更候補になるだろうと、ぼんやり思い浮かべていました。横浜から南下してみます。
弘明寺→こうめいじ、こうみょうじ
能見台→のうみだい
追    浜→おいはま
逸    見→いつみ
いずれも正しくない読み方を表記してみました。他のエリアの方なら、読めないかもしれません。
(正しい読みは末尾に記載)

仲木戸を使い続けよう

最近私は、仲木戸に行く用事があり、私の中で駅名問題が再燃しています。京急東神奈川とはバッドネーミングであり、個人的には仲木戸で通すことにしています。この期に及んで2年前の神奈川新聞を逐一読んでみると、記事のメインに仲木戸を取り上げているではないですか。並行して、私は京急に問い合わせを入れておきました。新聞報道ではかなり広範囲を変更対象に、いわゆる風呂敷を広げていて、どこまで駅名改悪が続くのか気になったからです。
特に、汐入が改名されることなどは、全く由々しきことです。汐入も変更対象に上がっていたのです。
以下、京急からの回答全文を掲載します。
平素は,京急電鉄をご利用いただきまして,ありがとうございます
また,回答にお時間を頂戴いたしましたこと,お詫び申しあげます

当社は,2020年3月14日(土)に創立120周年記念事業として,
産業道路駅」を「大師橋駅」に,「花月園前駅」を「花月総持寺駅」に,
仲木戸駅」を「京急東神奈川駅」に,「新逗子駅」を「逗子・葉山駅」に変更いたしました。

この変更につきましては,2018年9月21日(金)~10月10日(水)に沿線の小中学生を対象におこなった
「わがまち駅名募集」においていただいた46駅の駅名変更案のご意見を参考に、
沿線地域の活性化へ繋げることを目的に,町名,地域シンボルおよびお客さまの利便性等を総合的に判断し,
決定したものです。
また,2020年3月14日(土)同日に,羽田空港国際線旅客ターミナル等の名称変更に伴い,
羽田空港国際線ターミナル駅」を「羽田空港第3ターミナル駅に,
羽田空港国内線ターミナル駅」を「羽田空港第1・第2ターミナル駅」に駅名を変更しております。
なお,現在のところ,今後の駅名変更の予定はございません。

今後とも,京急電鉄をご愛顧いただきますよう,お願い申しあげます。 京急ご案内センター)


神奈川新聞の記事内でも批判されていますが、回答中許せないのは、小中学生へのアンケートでお茶を濁していることです。特に「歴史への敬意がない」という観点から、仲木戸の改称は槍玉に上がっています。その他、JRでの改称の失敗例が紹介されたり
もしています。

しかし、結局京急は、この報道を顧慮した気配もなく、この3月の変更を実施しました。では、京急側の言い分ですが、「読み方が難しく利用者に不便」「街の実態が変わった」などと広報部が説明しています。

読み方が難しいからと易きに流れるのですか。「なかきど」が難しい?街の実態は変わるものだから、象徴的な駅名こそ守るべきものではないのですか。公共交通機関という社会的役割を担う企業としては、あまりにも涼し過ぎる脳内事情ではありませんか。しかも、スマホの時代に、何だと言うのでしょうか。

前回の私のブログで主張した「思想消費」の観点から、京急の駅名変更は買えません。なぜ、日本文化を守るという立場に立てないのか。
この類は、日本中のあちこちで起きていることだと思います。その意味でも「思想消費」の概念は、広範に適用できるはずですし、その意味でここでも持ち出しています。

仲木戸ってどんなところ?

JR東神奈川があるからって、京急東神奈川とは、なんと貧困なる精神でしょう。わかりにくくないから。スマホで一発ですから。京急は常にJRに追いつけの精神で取り組んでいるという、いわば都市伝説があります。あのスピードの出し方もJRを追い越せの現れらしい。巷間そう言われているし、実際私は、車中でそれを話しているおっさん達の話を直に聞いたことさえあります。そんな京急魂はどこへ行ったのですか。JRに合わせるなんて、そこまで落ちぶれたのですか。しかも、実は、設立は京急国鉄よりも一年早い( 1948年)そのプライドはないのですか。

しかし、そもそも私は、仕事で仲木戸に行く程度で、歴史的な知識があるわけではありません。そこで、調べてみることにしました。仲木戸あたりは、
どんな町だったのでしょうか。

まず二つのキーワードをあげます。「東海道」と「神奈川御殿」です。
近世の東海道は、1601(慶長六)年にできたようですが、仲木戸あたりは正にこの東海道に重なります。東海道五十三次東海道のことです。日本橋を起点に、品川宿川崎宿に続き、神奈川宿は三番目の宿場にあたります。続いて「神奈川御殿」ですが、以下引用。

御殿とは、「御殿・御茶屋」とも呼ばれる徳川将軍等の宿泊・休憩施設で、戦時を含む上洛の宿泊、駿府往復(家康の場合)、日光社参の宿泊、鷹狩や湯治などの遊覧に用いられた。
(中略)
神奈川にも御殿があったことは、御殿町という町名が昭和五十一年の町名変更まで残っていたこともあり、よく知られている。*

となっていて、神奈川宿に御殿が作られたということです。七行足らずの引用で家康とつながっていることがわかります。日本広しといえど、さすが江戸のお膝元という感じです。
それで、この御殿が仲木戸と関係してくるのです。御殿があったからこそ、「木戸」が作られ、通行上の要としていたようなのです。
資料では、「仲木戸横町」と地図に命名され、以下引用。

・・・おそらく仲木戸横町は神奈川御殿設営時に新たに設定された道と思われる。**

という具合です。
つまり、「仲木戸」とは、江戸時代に「神奈川御殿」のあった町の「ひとつの施設」であり、シンボリックな存在だった可能性があります。
仲木戸駅の近所に復元された「高札場」があります。写真の通りです。これは、お上が木札を掲示することにより、庶民への法令等の告知方法として機能していたようです。
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ところで、何故高札場が復元されているのに仲木戸はないの?と疑問が湧きます。駅名になるほど親しまれていたのでは?と思うわけです。は、歴史学の素養があるわけではないので、素人の推論になりますが、古地図資料(後世の作成)を見ても「仲木戸横町」は記載されても「仲木戸」そのものは出てきません。私は「関所」の簡易版のイメージを浮かべています。経緯は明らかではありませんが、何らかの理由で、「仲木戸」の形態は伝承されなかったのでしょう。それこそ簡易なものだったから気にも止められなかったのかもしれません。ここで、飛躍しますが、だからこそ、せめて駅名に残そうということになった、と空想するのは都合が良過ぎるでしょうか。

ここに至って重要なテーマが浮上してしまいました。「なぜ仲木戸という駅名が付けられたのか」。
こんな問いが立ってしまいました。
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 「仲木戸」は京急が作った?

あにはからんや、答えはすぐ見つかりました。仲木戸駅、改悪後の駅名、京急東神奈川駅の1階に表示板による掲出があったのです。私は、スマホのシャッターを押しながら、これは京急の言い訳だと思っていました。たぶん、改名と合わせて取り付けたものと想像します。
この表示板から以下、引用します。

仲木戸の由来
1905(明治38)年12月24日、京浜電鉄(現京急電鉄)品川(現北品川)ー 神奈川間の全通にともない誕生した。かつての駅名の「仲木戸」は開業当時の付近の地名にちなむものである。(ただし、開業の直後は「中木戸」という駅名の表記も混在している。)
仲木戸」という地名は、江戸時代の初期、東海道神奈川宿に、将軍が上洛する際などの宿泊・休憩施設として御殿が造営され、御殿への人々の往来を管理するために設けられた木戸に由来すると考えられる。木戸の付近には「仲木戸横道」や「仲木戸横町」と呼ばれる道や町が存在した。御殿は江戸時代のうちに廃止され木戸も消滅したが、「御殿」とともに「仲木戸」という地名が残り、明治時代には横浜市神奈川町の字の一つになっていたのである。

この表示板の標題は写真でわかると思いますが、「京急東神奈川駅(旧仲木戸駅)」となっています。旧仲木戸駅ときたもんだ。変更時に設置したことは明らかです。しかし、自ら駅名を変えておいて、その言い訳をするかのように表示板を作る。何故、仲木戸を捨て去り、京急東神奈川にしたのか、書いてごらんよ。仲木戸の説明は、ですます調ではなく、である調の為、居丈高で上から目線的なトーンとして私には、感じられます。
内容的にまとまっているので、煩を厭わず掲載しました。

明治38年に、誰が「仲木戸」にしようと言ったものでしょうか。普通に考えて京急電鉄の誰かでしょう。上層部で権限のある地位の方もしくは、一般社員からの提案等が考えられます。「誰?」は興味深いところですが、ここは京急に取材するのも一案ではありますが、しかし、そこは本質ではないとも思えます。あっさり改名したことは、社内の過去の決定プロセスに対する記録がないようにも思えます。また、当時一般公募したとは想像できません。

もし、私がルポライターなりノンフィクションライター的志向が強ければさっさと取材に走っているでしょう。繰り返しますが、問題はそこでありません。このコラムは、今、何故、変えたのか、京急東神奈川に決めたのか、その精神を問うています。今は八月でもあり、東京裁判ならぬ、仲木戸裁判を行なうべきでしょう。

改称に関わった部署はともかく、ここは経営最高責任者を問うべきでしょう。A級戦犯者として葬る先靖国神社ならぬ熊野神社といきたいところですが、神社は神様を祀るところなので、成仏寺あたりでしょうか。この戦犯者は英霊にはなり得ませんからね。毎年3月14日は、仲木戸記念日とします。

要は、我国の歴史や文化を粗末にする貧困なる精神と、社内の先人が当時の地名を尊重した気概を踏みにじった罪が、確定しました。時代が進むほど進化するものもありますが、むしろ劣化するものもあるということですね

第二京浜脇からの展望  センター奥にランドマークタワーがわかる 手前はJR線 京急線はこの左方およそ100㍍ぐらい
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話の流れで熊野神社や成仏寺が出てきましたが、仲木戸辺りはほんと、神社仏閣の多いこと。仲木戸から子安方面では、金蔵院、熊野神社、成仏寺、慶運寺。仲木戸から神奈川新町方面では、東光寺、神明宮、能満寺、良泉寺と、ちょっと歩いただけですぐあるのです。第二京浜から仲木戸方面を望むと、JR線のスペースが広大です。ああ、この辺りに神奈川御殿があって、家康は上洛の際に何か作戦をプランしたんだろうなあ、とか、この御殿で好物の天麩羅をツマミにして酒を飲んだのだろうなあ、などと浮かんできました。

      成仏寺
金蔵院  熊野神社
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そうだ東海道がある!

京急の考えるべきは、乗客の利便性や名前の読みやすさなどではなかったのです。京急沿線の価値創造をプランすべきだったのです。そういう視点で見るとき仲木戸はむしろ、歴史遺産であり、京急沿線の財産だったのです。JRの戦略を参考にするなら、こんな手はどうでしょうか。
「いざ東海道を歩こう」大キャンペーンを展開するのです。もちろん、ルート的にはJRも被るのですが、京急が先に行なうことによって、JRとの差別化も兼ねて取り組むのです。 JR東海のように頻繁にCMを流すことだけが能ではありません。京都といえばJR東海が定着してしまいましたが、東海道といえば京急のイメージを作ってしまうのです。羽田→京急イメージは定着させましたが、もう一本柱を立てるべき時です。

近辺を歩いてみると、行政の政策でしょうが、随所に歴史案内板があり、説明がなされています。JR線を跨ぐと、すぐ横浜神奈川図書館があり、歴史資料コーナーもあります。「散歩の達人」では仲木戸特集もうやったのかしら、などとも思ってしまいます。雑誌とタイアップするなど、メディアミックスのアイデアも考えようはいくらでもあるでしょう。
音楽は宇崎竜道、阿木燿子(横須賀イメージ)や、
ユーミン(東京イメージ)、あるいは若手新人ユニットで安上がりにする手もあります。

京急線の起点は泉岳寺です。泉岳寺といえば、赤穂浪士が浮かびます。終点は三崎口です(京急本線の終点は浦賀)。終点近くの久里浜といえばペリーです。横須賀といえば、鎮守府があり、日本遺産があり、ヴェルニー公園、横須賀製鉄所跡。その手前には安針塚もあるではないですか。ちょっと考えただけで、歴史ネタがざくざく出てくる、出てくる…。金沢八景歌川広重もいるし、ずっと上って青物横丁という、藤沢周平の小説に出てきそうな味のある駅名もあります…。

東海道と言うとのどかなイメージですが、もう一方で三浦半島は日本の歴史で常に地政学的に要衝でした。江戸幕府の表玄関として、また先の大戦中を通じて、そしてんにちの横須賀にまっすぐ繋がっています。三浦按針も家康と関係しているし、小栗上野介も当然出てくることになります。つまり、江戸を語るとき三浦半島は一蓮托生の歴史を背負っているわけです。この意味合いを語るには、実は京急ほど打ってつけの存在はありません。こういう歴史的パースペクティブで見た時、当然仲木戸も入ってくるというに過ぎません。クリエイティブが必要な場面と言うべきでしょうか。

京急創立120周年事業でやるべきは、しょぼい駅名改悪作戦ではなく、「新江戸紀行」としての京急大活性化キャンペーンではなかったのでしょうか。西はJR東海に任せて、東は京急のイメージづくりをする絶好のチャンスでした。現CEOが戦犯だと言うのは、こちらの方の罪が大きいかもしれません。
仲木戸を消した罪とは、我国の歴史的毀損と共に、このようなマーケティング機会ロスを含めています。

よく小売業などで陥りがちだと思うのが安易な顧客第一主義です。「お客さまの声に耳を傾けよう」「お客さまがすべて」こういう軽薄な素振りが、モンスタークレイマーなどを生む遠因になっているのではという気さえします。「東神奈川」に京急を付だけとは、最も「やってはいけない」チープさと言うべきでしょう。

「沿線地域の活性化へ繋げることを目的に…」
??活性化に繋がってませんから。
「町名、地域シンボルおよびお客さまの利便性等を総合的判断し…」
???町名、地域シンボルを考慮することと、お客の利便性は同時に成立ちませんから。お客志向自体が浅墓極まりないことですから。

大所高所の考えから、当社の姿勢を打ち出してごらんよ。ニーズだけを見ていたら便利なだけの電車屋さんになるだけです。当初、あの後藤慶太も関わった現京浜急行電鉄株式会社。お子様相手に「けいきゅん」も悪くはないけど、大人を唸らせる、リスペクトされる京急電鉄を作ってみなよ。京急120周年事業に祝意をこめ、心よりお悔やみ申し上げます(合掌)。★

補足
弘明寺→ぐみょうじ
能見台→のうけんだい
追    浜→おっぱま
逸    見→へみ
汐    入→しおいり
汐入とは、とても可愛い地名だと思います。幸い汐入の駅名は「横須賀芸術劇場」の副駅名がつくことで、存続しています。因みに5駅中弘明寺以外は改称対象でしたが、改称を免れています。
なお、本コラムは、この3月の駅名変更の全体について批評するものではありません。

参考文献
*「近世社会の成熟と宿場世界」井上攻 岩田書院
**「神奈川の東海道(上」企画・発行 神奈川東海ルネッサンス推進協議会