業務に関わるさまざまな連絡に混じって、組合からの連絡が、たまにあることはあるのですが、その案内ぶりにはあきれてしまいます。
この人は、連絡の情報内容に対する「質」「性格」に対するセンスが皆無なんですね。「組合の恒例秋の運動会があるので、皆さん参加よろしく」と同じレベルで伝達しているわけです。その姿勢にあきれたこともあり「世の中には思想の自由があるのだから、署名を強要するんじゃねーよ」と思わず反発してやりました。
日常的な事柄に比して少し異色なテーマではないでしょうか。その運動の趣旨、主催者、組合の係わり等、要点だけでも伝えてくれないと、全くわからないでしょう。一体「組合は核の何なのさ!」とは言いませんでしたが、別の角度から言えば組合活動も落ちぶれたものです。わけもわからず、言われたままを行なっているわけではないでしょうけど。
組合幹部サイドの方なら理念理想はないのかよ、これだから、会社側から丸め込まれるだけの組織になっている、と言いたくなります。その点では、実情を素直に表現していると見ることもできます。
核兵器不拡散条約って何よ
さて、この「核兵器廃絶1000万名署名キャンペーン」についてですが、チラシを読んでみると、2020
わが組合の上部組織にあたる日本労働組合総連合会(連合)は、「原水禁」や「KAKKIN」などの団体とともに、核兵器廃絶と世界の恒久平和実現に向けて、運動を展開しているとのことです。過去3回の署名運動では718万筆の署名を集めた、などと記載があります。
こうした平和を願う活動は人類にとって共通の思いであり、すばらしいことだと思います。賛同こそすれ、異を唱えるものではありません。
しかし、ちょっと立ち止まって考えてみると、疑問が噴き出してくることもまた、事実です。そこんとこ、ですよね。
ここで、一旦出発点を押さえておかなくてはと思うのですが、素人考えで恐縮なのですが、まず世界じゅうが平和を望んでいるのだと思います。そのルールづくりとしてNPTなどがあるのでしょう。誰だって自国を滅ぼす、まして地球をそうすることを期待してはいないでしょう。
なぜ人間は核を持ちたがるのか
安全保障を考えてルールを作るという動きがあるのですが、それ以前に核兵器開発を行なった国もあり、それらも含めて世界じゅうでルールを守ろうとなっているようです。ただ、実態としては、核兵器開発の動きにあわてて、後からルール整備となったのかと思われます。
ですから、核保有国も含めてNPTに参加しているという、一見不可解な状況があるのですが、彼らも本心では核なんか持ちたくないと思っている、とみればわからないことではありません。
そうしてみると、核兵器廃絶を唱えることも、核兵器を装備することも、同じ安全保障の考えから始まっていることなのだろうと、たどり着きます。だから、これはいわば平和を願う両輪とみることもでき核兵器保有国がありながら、NTPがあることは、おかしいことではないのでしょう。
ここで、ゼロベースで考えてみましょう。
兵器、つまり武器を持たないことがどういうことか、考えてみたいと思います。
自国を我家に例え、世界を町に例えてみると、町じゅう武器を持った軍隊を備えているのに、我家だけは正規軍がないし、もちろん核もありません。
時々、いずれ核を搭載すべく、ミサイルをぶっぱなしてくる、破れかぶれのご近所さんがいます。露さんも、中さんも、多くの核兵器を蓄えていらっしゃいます。
無邪気な核反対で平和がくるか
こういう状況下で、武器を持たないことは、どうぞ
攻めてきてください、ということになりませんか?
いきなり攻めてはこないにしても、脅されたら降参するだけ?闘う術がないではないですか。
まして、いやなご近所さんに対する抑止力は、何もないことになっています。
何を言いたいかというと、自衛力、防衛力を問題にしたいのです。
つまり、核兵器廃絶を語るなら、防衛問題も、併せて論じないことには、木を見て森を見ない類のことになる、と言いたいわけです。
核廃絶自体は理想的な高邁な目標でしょう。しかし、そこには陥穽があるのでは、と指摘できるような気がします。防衛論とともに論じなくては、より大きな論に、あるいは、見えない意図に取り込まれてしまいます。
ここで、やや論がズレるようでズレないのですが、
憲法改正も、併せて見ようと思います。
なかなか改正論議が活発にならないのは、ひとえに
国会の不如意に過ぎますが、我国の防衛力問題は、憲法改正と真っ直ぐにつながっています。
よく言われる言い方に、憲法改正への無関心層や、
よくわからないという人々は、現状是認になるので、このままでいい、すなわち改正しないを選ぶといわれます。つまり、今まで平和だったからこのままでいい、これは戦後の憲法のお陰だから、改正しなくていいという考え方です。
とは、飛躍が過ぎるでしょうか。
署名運動は、5年に一度のサイクルかつ、それはNPT再検討会議に合わせてのことであり「連合」様
自体に、そのような意図はないのかもしれません。
実はこの署名キャンペーンを推進する「連合」を調べてみると、そのホームぺージには、「政治との関わり」の記述があり「連合の政治理念」「連合の政治活動」について、ときっちり表明されています。
試しに、その質問フォームから、憲法改正について団体の立場を訊いてみたのですが「憲法論議を否定するものではない」「慎重に対応していく」という全く不明瞭な回答でした。その不明瞭さの意図を推測することは控えておきます。
「連合」の意図を確認できない以上、私の趣旨は一団体を批判するところではないのですが、すでに問題を孕んでいるように思われます。
憲法改正と表裏のテーマ
周囲に対し大所高所から目配りしておかないと、
きれいごとでは済みません。理想的な平和をお花畑のように美しく語り、結局それが自国の利益を売り渡すような行為になってしまうリスクがあることを
言いたいわけです。
中国や韓国に魂を売り渡している日本の政治家、文化人が、どれだけいることか。最近、作家の平野啓一郎氏が、日韓対立を抑えるべく「韓国最高裁大法院の応募工訴訟判決文を読むべし」などと朝日新聞に書いているようですが、これは完全に滑っている発言であり、あきれてしまいます。「馬〇じゃないの」と思わせられます。この作家様は、たぶん「反日種族主義」*もご存知ないのでしょう。
南太平洋の島々にも、サイレントインベージョンは浸透してきました。
人間はイノセントでいることなどできません。無知は、悪に加担する時代なのです。
今、朝鮮半島状勢が流動化していて、目が離せなくなっています。専門家の二つの指摘があります。
一つは、在韓米軍の弱体化があるなか、その米軍が撤退する可能性も出ていて、韓国は日本を仮想敵国として射程内に入れているとの論で、日本は自らの抑止力を強化しないでいていいのか、との指摘です。在韓米軍撤退はトランプ大統領の公約でもありました。**
もう一つは、米国の対中政策の動きに、北朝鮮の取り込みの可能性があり、これは、アジアの安全保障枠組みの大変化となるわけで、北が非核化しないなら、日本の安全保障上、米と歩調を合わせつつ核を考慮せざるを得ない、というものです。
ここで、NPTをクリアする方向として、核シェアリングが提案されています。***
ことほどさように、日本の周辺が慌ただしくなってきているのに、署名運動だけしていては、危険この上ありません。我国の防衛論としての軍備論や憲法改正論をもっと議論すべき時が来ていると思います。もちろん、長期的な防衛戦略が大前提です。
リアリズムを捨てて、お花畑だけの先に平和がある
と思いますか?★
**「正論」11月号、江崎道朗氏論文「SEIRON時評 No.62」
より。
***「正論」11月号、高橋洋一氏論文「日本も『核』検討を」より。